(写真)喜楽座の跡地にある説明看板。
2023年(令和5年)9月、愛知県知多市岡田を訪れました。かつて岡田には映画館「喜楽座」がありました。「岡田工業知多工場を訪れる」「知多岡田を訪れる」からの続きです。
1. 知多岡田の映画館
1.1 喜楽座(1926年8月-1967年)
所在地 : 愛知県知多郡知多町岡田久手32(1969年)
開館年 : 1926年8月
閉館年 : 1967年
『全国映画館総覧 1955』によると1926年8月開館。1949年の映画館には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「喜楽座」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。1966年の映画館名簿では「岡田喜楽座」。1969年の映画館名簿では「喜楽座」。1970年の映画館には掲載されていない。跡地はアパート「ローズパーク」。
各年版の映画館名簿を閲覧すると、知多郡岡田町の映画館として喜楽座が掲載されています。『全国映画館総覧 1955』には1926年(大正15年)8月開館とあり、郷土資料などには1925年(大正14年)開館と言及されています。
開館直後の1927年(昭和2年)発行の『知多商工案内』には知多郡の会社一覧が掲載されていますが、岡田町に4社しかない会社のひとつとして喜楽座株式会社が掲載されており、設立年月日は1925年(大正14年)5月28日となっています。経営者は"士"井喜一とありますが正確には土井喜一であり、岡田町で土井織布工場を経営していた人物です。
(写真)喜楽座株式会社が掲載されている『知多商工案内』知多商業会議所、1927年。
(写真)喜楽座が掲載されている『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年。
(写真)1949年の航空写真における岡田地区。地図・空中写真閲覧サービス
1960年(昭和35年)時点の喜楽館の経営者は竹内弥吉であり、竹内は戦前から岡田町で知多木綿の竹内弥吉工場を経営していた人物です。その後、1960年代中頃には経営者が竹内から伊藤好一に代わっています。伊藤は常滑市大野町の大野劇場を拠点としていた興行主です。
(写真)昭和初期の喜楽座。『知多木綿発祥の地・岡田 繁栄の歴史』岡田まちづくり準備会、2006年。
(写真)昭和初期の喜楽座の内部。『知多木綿発祥の地・岡田 繁栄の歴史』岡田まちづくり準備会、2006年。
ウェブサイト「喜楽座」では解体前の喜楽座の写真なども見ることができます。建物は1996年(平成8年)に取り壊され、跡地にはレンガ調の外壁が特徴のアパート2棟が建っていますが、2015年(平成27年)には岡田街並保存会によって説明看板が設置されました。
(写真)喜楽座の跡地にある説明看板。
(写真)喜楽座の跡地にある説明看板。
知多岡田の映画館について調べたことは「知多半島の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。