振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

豊根村教育文化センター森遊館情報室を訪れる

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(写真)JR飯田線大嵐駅

2019年(令和元年)12月、愛知県北設楽郡豊根村富山地区(旧・北設楽郡富山村)を訪れました。森遊館は休館日だったので入館していません。なお、約2年前の2018年(平成30年)1月には豊根村の中心部にある豊根村ふれあいセンター内図書コーナーを訪れています

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1. 豊根村富山地区を訪れる

北設楽郡富山村(とみやまむら)は1876年(明治9年)から2005年(平成17年)まで存在した自治体。大正時代のピーク時には1500人の人口を有していましたが、日本のダム史に残る佐久間ダムが1955年(昭和30年)に完成すると、村役場があった河内集落などが佐久間湖に沈んで全人口の1/3が離村。1980年代からは「(※離島を除けば)日本一人口の少ない自治体」として知られ、2005年に豊根村編入合併された際の人口は218人でした。合併後の人口減少率はすさまじく、2018年(平成30年)時点の富山地区の人口は76人となっています。

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(地図)名古屋市から見た北設楽郡豊根村の位置。©OpenStreetMap contributors

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(地図)豊根村富山地区。国土地理院 地理院地図

  

愛知県豊橋市豊橋駅からJR飯田線で2時間強、37駅目が大嵐駅(おおぞれえき)です。大嵐駅の所在地は静岡県浜松市天竜区水窪町であるものの、実質的には愛知県豊根村富山地区のための駅であり、ホームからは豊根村の大きな看板が見えます。大嵐駅は比較的よく知られた秘境駅であり、Google検索では訪問者の個人ブログなどが多数ヒットします。

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(写真)大嵐駅。(左)飯田方面のトンネル。駅舎手前には豊根村の看板。(右)豊橋方面の大原トンネル。

 

1937年(昭和12年)には国鉄飯田線が全線開通。1997年(平成9年)には飯田線全通60周年を記念して、立地する水窪町の許可を得て富山村が駅舎を新築しています。この駅舎はJR東海の施設ではなく富山村の施設であるため、厳密には駅舎ではなく休憩所という扱いだそうです。

駅舎の外観は東京駅をモチーフとしたものだそうで、外壁には赤レンガを模した不燃パネルが使用されています。なお、大嵐駅の床面積は56m2、東京駅の床面積は約2万m2。大嵐駅の乗車人員は20人/日、東京駅の乗車人員は約47万人/日とのことです。

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(写真)大嵐駅の駅舎内。

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(左)大嵐駅のレンタサイクル。(右)天竜川に架かる鷹巣橋。橋の中央が静岡県-愛知県境。

 

 

2. 豊根村富山地区を歩く

2.1 富山支所周辺

富山地区の集落に入ってすぐの場所には、豊根村役場富山支所、富山郵便局、新城警察署富山駐在所など、富山地区の公共施設が集まっているエリアがあります。かつてあったはずの「川井旅館」は存在せず、また川井旅館の向かいにあったという「喫茶栃の木」は、2018年(平成30年)に(?) 2km離れたとみやま来富館に移転したようです。富山地区唯一の商店である「千歳屋商店」は日曜定休で閉まっていました。

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(写真)富山地区中心部にある公共施設群。左前が富山郵便局、右前が富山支所、右奥が富山駐在所。

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(左)豊根村役場富山支所。(中)富山郵便局。(右)新城警察署富山駐在所。

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(左)豊根村林業センター前にある「ミニ村」の看板。(右)富山地区の地図。既に存在しない施設もちらほら。

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(左)公共施設群の遠景。(中)千歳屋商店。(右)千歳屋商店周辺。

 

2.2 豊根村立富山小中学校

富山市街地西部の高台には豊根村立富山小中学校がありましたが、2015年(平成27年)に廃校となっています。学校の敷地まで自動車でアクセスすることはできず、児童生徒や教職員は学校下の広場から石段を上る必要があります。さすがにこれでは荷物を運ぶのが困難なため、石段の脇には荷物運搬用の滑車がありました。

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(左)富山小中学校に向かう階段。(中)校歌碑。(右)荷物を運搬するための滑車。

 

遠くからも目につく奇妙な構造物は、1981年(昭和56年)からグラウンド全体を覆っているドームでした。この地域は雪深いわけではなく、なぜグラウンドをドームで覆う必要があったのか気になります。富山小中学校は富山地区の高台にあるとはいえ、その標高はわずか385mであり、奥三河の多くの地区より低いのです。

 

2015年(平成27年)の廃校以前の富山小中学校では山村留学が行われており、留学生寮では2匹のロバが飼育されていました。廃校によってロバたちは用無しとなったものの、現在行われている地元ガイドと歩く観光ツアーにはロバも同伴しているようです。ロバって基本的に愛想が悪いからこういう催しには向いてないと思うけど。今回はこのロバたちに出会いませんでしたが、訪れなかった熊野神社周辺で飼育されてるのでしょうか。

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(左)敷地入口。「山」の字がずれてる。(右)メイン玄関。

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(左)ドームに覆われたグラウンド。(右)グラウンドと校舎。

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(写真)新城消防署富山駐在所付近から見た富山小中学校。

 

富山小中学校近くには富山地区唯一の信号機「大谷下」がありますが、これは教育目的で1981年(昭和56年)に設置されたものだそうです。かつて豊根村には、下黒川の「黒川橋北西」、坂宇場の「坂宇場小前」、富山の「大谷下」の3機の信号機がありましたが、2005年(平成17年)に坂宇場小学校が廃校となると、2017年度には「坂宇場小前」信号機が撤去されたそうです。2015年(平成27年)に富山小中学校が廃校となったことで、「大谷下」信号機も撤去が検討されているそうですが、どうなるでしょうか。

参考文献「全部で?基 豊根の信号機 年度内に1基撤去へ 将来は…」『中日新聞』2017年8月18日

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(写真)富山小中学校近くにある信号。

 

富山市街地を通る愛知県道1号の名称は、正式には「長野県道・愛知県道・静岡県道1号飯田富山佐久間線」だそうで、3県にまたがっています。 f:id:AyC:20191225044946j:plain

(写真)愛知県道1号飯田富山佐久間線。

 

2.3 豊根村教育文化センター「森遊館」

富山小中学校から南に約1kmの場所には豊根村教育文化センター「森遊館」があります。25m×5コースの温水プール、150席の文化ホール兼体育館、ウェイトトレーニング器具などがあるトレーニングルーム、56人収容の研修室などがあり、情報室には図書コーナーがあるようです。豊根村編入後に整備された施設かと思いきや、合併前の2000年(平成12年)に完成した施設だそうです。人口200人の自治体には過剰な設備に思われ、他にお金の使い道がなかったのだろうかと考えてしまいました。

なお、豊根村教育文化センター「森遊館」の開館日は火曜・木曜・土曜の週3日であり、私が訪れた日曜は休館日でした。公式サイトには書架が写った写真が1枚も掲載されておらず、またOPACも公開されていないため、蔵書数などは不明です。

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(写真)豊根村社会教育センター「森遊館」。

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 (写真)豊根村社会教育センター「森遊館」。(右)「森遊館」に併設された湯の島温泉。

 

2.4 河内集落跡

豊根村社会教育センター「森遊館」近くには、佐久間ダムの建設時に湖底に沈んだ河内集落跡の説明看板がありました。河内集落は延元2年(1337年)に隠れ里として築かれ、天竜川水運の中継地として繁栄。1876年(明治9年)の富山村発足時には、村役場・学校・駐在所・農業などの主要施設がこの集落に置かれましたが、入植から617年後の1955年(昭和30年)、佐久間ダム - Wikipediaの建設によって水没しました。

河内集落があったのは「森遊館」の正面付近ということで、水位の低下で露出している湖底付近に集落があったのだと思われます。2019年(令和元年)10月下旬から2020年(令和2年)2月末まで、6年に一度の導水路点検のために佐久間湖の水位を下げているそう。通常時の佐久間湖の姿を見てみたい気もしますが、珍しい光景を目撃できて運がよかった気もします。Wikimedia Commonsには通常時の佐久間湖の写真がアップロードされていましたが、Tomio344456さんの写真は私が撮った湖底が露出した写真とほぼ同じ位置を撮影していると思われます。

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 (左)佐久間湖岸の河内集落跡地付近。(右)河内集落跡の説明看板。

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(左)水位が低下した佐久間湖。(右)富山地区の集落と大きな高低差がある佐久間湖。

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(写真)通常時の佐久間湖の水量(2011年9月)。河内集落跡地付近。Tomio344456 (CC BY-SA 4.0) - Wikimedia Commons

 

2.5 夏焼第二隧道

JR大嵐駅のすぐ南側には、1955年(昭和30年)の新線切り替えまで飯田線のトンネルとして使用されていた夏焼第一隧道と夏焼第二隧道 - Wikipediaがあります。現在は道路トンネルとして使用されており、水窪町夏焼集落(※無住)への唯一のアクセス路となっています。約100mの夏焼第一隧道には照明がありませんが、約1,200mの夏焼第二隧道には照明がともっていました。夏焼集落は比較的簡単に訪れることができる秘境として人気があるようで、Google検索すると個人ブログなどがいくつもヒットします。

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(写真)夏焼第一隧道と夏焼第二隧道。手前が第一、奥に見えているのが第二。

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(左)夏焼第二隧道の内部。(右)夏焼第二隧道の南側出口。