振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

養老町の映画館

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(写真)養老町役場。 

2019年(令和元年)7月、岐阜県養老郡養老町を訪れました。かつて養老町には映画館「高田劇場」「文化劇場」がありました。

 

1. 養老町を訪れる

養老町岐阜県の西濃地方に位置する自治体。名古屋市から公共交通機関を使って訪れる場合は、岐阜県大垣市から養老鉄道で南下するか、三重県桑名市から養老鉄道で北上する方法があります。養老の滝や養老天命反転地などの観光名所があり、名神高速道路の養老サービスエリアなどもあるため、自治体規模の割には知名度の高い自治体かもしれません。

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(地図)愛知県名古屋市から見た岐阜県養老町の位置。©OpenStreetMap contributors 

 

養老町は1954年(昭和29年)に1町9村が合併して発足した町です。かつて養老郡役所が置かれたのは養老郡唯一の町だった高田町ですが、養老村にあった養老の滝(養老公園)は全国的な観光地であり、政治経済の中心と観光の中心が分かれていました。通勤通学客の多い美濃高田駅無人駅ですが、観光客の多い養老駅は有人駅となっています。

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(写真)養老鉄道美濃高田駅

 

2. 養老町図書館

2.1 図書館の施設

養老町民会館の一角にある養老町図書館は1991年(平成3年)に開館した図書館です。図書館部分の延床面積は974m2。図書館内は1階に児童書や郷土資料が、2階に一般書があります。養老町民会館の図書館以外の部分は照明が落とされており、やや図書館に入りづらい雰囲気を感じました。

図書館の開館から30年が経過していますが、古さを感じるほどではありません。図書館内にはエレベーターがないと思われ、階段を使わずに1階から2階に上がる際には図書館外に出る必要があるようです。

郷土資料の書架はカウンター前に置かれていますが、鍵が掛かっていて自由に閲覧できない状態でした。『岐阜新聞』と『中日新聞』から養老町関係の新聞記事を切り抜いてスクラップ集はいい取り組みです。

 

2.2 図書館の統計

岐阜県による県内公共図書館の統計をを見ると、養老町図書館の2015年度末の蔵書数は92,685冊、2015年度の貸出数は63,958冊とのことです。養老町の人口は2万9000人であるため、1人あたり貸出数は2.2冊であり、全国平均を大きく下回っています。

同じ西濃地方の大垣都市圏にある垂井町と比較してみます。垂井町は人口(2万7000人)が養老町とほぼ等しく、タルイピアセンター図書館の開館年(1994年)・蔵書数(98,956冊)も養老町とほぼ等しいのですが、1人あたり貸出数は8.7冊に上り、養老町とは4倍近い差が生じています。何が原因でしょうか。

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(写真)養老町図書館が入る養老町民会館。

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(写真)カバの図書返却ポスト。(右)図書館の入口。

 

3. 養老町の映画館

活気があるというほどではありませんが、養老町中心市街地にある高田商店街ではまだ多くの店舗が営業しています。商店街の西端には村社の愛宕神社が、商店街の東端には愛宕神社御旅所があり、毎年5月に開催される高田祭には、大垣まつりなどと同様に3台の」(やま、山車)が繰り出します。かつて高田商店街には2館の映画館がありました。

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(地図)国土地理院 地理院地図 1974年-1978年に加筆

 

3.1 高田劇場(1951年1月30日-1968年頃)

所在地 : 岐阜県養老郡養老町高田(1968年)
開館年 : 1951年1月30日
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧1955』によると1950年1月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「高田劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は食料雑貨店「りんごや」とその北側の駐車場。

映画館名簿によると、1960年代後半まで営業していた映画館として「高田劇場」がありました。映画館名簿や図書館の文献では高田市街地のどこかにあったということしかわかりませんでしたが、「タギゾウくんの養老ノート」というサイトによると大晃堂内科医院の近くにあったようです。個人サイト的でもあるこのサイトの運営者はよくわかりませんが、『養老郡誌』や『養老町史』を電子化したコンテンツなどがあることから、養老町当局が関わっているものと思います。

大晃堂内科医院の正面には駐車場があり、その西側には「りんごや」という食料雑貨店がありました。店内では2人の男性が座って話しており、主人に訪ねてみるとこの「りんごや」が映画館「高田劇場」の跡地だそうです。1970年代の航空写真を見ると映画館らしき建物が写っており、閉館後もしばらくは建物が残っていたようです。なお、60代に見えた「りんごや」の主人は映画館時代の経営者ではないそうです。

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(左)西から見た高田劇場跡地。(右)東から見た高田劇場跡地。

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(地図)国土地理院 地理院地図 1974年-1978年に加筆 ※上にあげている航空写真と同じ

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 (写真)『たか田』(「たか田」編纂委員会、1954年)に掲載された高田劇場の広告。

 

3.2 文化劇場(1951年頃-1955年頃)

所在地 : 岐阜県養老郡高田町(1955年)
開館年 : 1951年頃
閉館年 : 1955年頃
『全国映画館名簿1955』には開館年が記載されていない。1951年の映画館名簿には掲載されていない。1952年・1953年・1955年の映画館名簿では「文化劇場」。1956年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は高田商店街南東部にある「川瀬新聞舗」。

映画館名簿によると、高田劇場より早く1950年代後半に閉館した映画館として「文化劇場」がありました。映画館名簿や図書館の文献では高田市街地のどこかにあったということしかわかりませんでしたが、「りんごや」で主人と話していた常連客によると、現在の「川瀬新聞舗」の場所にあったようです。

この場所は高田商店街の南東端にあり、道路を挟んで正面には愛宕神社御旅所や養老町国際学習会館があります。国際学習会館の場所には1979年(昭和54年)から2004年(平成16年)まで、養老町出身の作曲家である山口俊郎を顕彰する山口会館(初代)が建っていたようです。

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(写真)高田商店街と文化劇場跡地。右は養老町国際学習会館。

 

養老町の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、また映画館の場所については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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