振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。図書館におけるウィキペディアタウンの開催を推進しています。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

三国町の映画館

f:id:AyC:20190605012203j:plain

(写真)三国町の街並み。

 2019年5月末、福井県坂井市三国町(旧・福井県坂井郡三国町)を訪れました。「振り返ればロバがいる - 三国町を訪れる」からの続きです。

ayc.hatenablog.com

 

 三国町の映画館

1960年代の映画館名簿によると、三国町には3館の映画館がありました。同じ坂井郡自治体では、丸岡町は2館、春江町は1館、芦原町は1館、金津町は1館であり、現在の坂井市/あわら市域ではもっとも多くの映画館があった町です。

映画館名簿に書かれている各館の住所は現存しない地名であり、3館があったのは「三国町のどこか」ということしかわかりません。また、三国町の映画館についてウェブ検索すると、「(3館ではなく)2館の映画館があった」ということだけしかわかりません。そこで、現地を訪れて映画館の跡地を明らかにしました。

普段は "①県立図書館で古い住宅地図を調べてから、②映画館跡地を訪れて痕跡を確認する" という形を取りますが、今回は先に県立図書館を訪れる余裕がなかったため、"①現地を訪れて聞き取りを行ってから、②坂井市立三国図書館で文献がないか探す" という形をとっています。結果を航空写真にマッピングしたのが以下の図です。

それぞれの映画館の詳細は福井県の映画館 - 消えた映画館の記憶に、地図は消えた映画館の記憶地図(全国版) - Google My Mapsに掲載しています。

f:id:AyC:20190604235833p:plain

(写真)三国町にあった映画館の位置。地理院地図 空中写真 2008年撮影

f:id:AyC:20190605003151p:plain

(写真)三国町にあった映画館の位置。地理院地図 空中写真 1961年-1969年撮影

 

 

三国座(-1960年代後半)

所在地 : 福井県坂井郡三国町堅71(1966年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1966年の映画館名簿では「三国座」。1965年のゼンリン住宅地図では「三国座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は倉庫がある空き地。

 

60代と思われる三国湊町屋館の女性スタッフからは、「遊郭があったあたりに映画館があった。市民館の近くから坂を下った場所にあった」と聞きました。

坂井市立三国図書館で『1981年 坂井郡住宅明細図 三国・芦原』を確認したところ、三国町堅には「三国座アパート」があります。1960年代の航空写真を見ると、三国座アパートの場所には1960年代から巨大な建物が写っています。建物の名称や航空写真から、空き地の場所に三国座があったことが "からし" と言えます。

図書館の後に現地を訪れました。三国座があった場所の北東側には小河川(用水路?)が流れており、この小河川を境にはっきりとした段が形成されています。上段と下段の間は崖になっており、歩行者用の階段のみが三国座に通じています。Google maps では自動車が通行可能な道路として描写されていますが、とても無理かと。自動車でアクセスする道路は北西側の一か所のみであり、その突き当りに映画館があったようです。

上段にはそば屋や定食屋がありますが、三国座の周りは写真で見ての通り、民家しか見当たりません。三国座の映画館跡地は何もない場所ともいえますが、なんともいえないフォトジェニックな場所です。上段の道端では70代と思われる3人の婦人が井戸端会議をしていたため、三国座があった場所について聞いてみましたが、私が撮った写真に写っている空き地で間違っていないと教えてくれました。

なお、2008年に撮影された航空写真には映画館らしき巨大な建物が写っています。閉館したのは1960年代後半ですが、その後半世紀ほどは建物が残っていたのは驚き。取り壊し前に訪れることができなくて残念です。しかし、映画館の建物をそのままアパートとして使っていたのでしょうか。

f:id:AyC:20190604232355j:plainf:id:AyC:20190604232359j:plain

f:id:AyC:20190604232404j:plainf:id:AyC:20190604232407j:plain

(写真4枚)階段下の空き地。三国座跡地。

 

 

港劇場(-1960年代後半)

所在地 : 福井県坂井郡三国町喜宝(1966年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1960年・1966年の映画館名簿では「港劇場」。1965年のゼンリン住宅地図では「旧劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「宮崎病院」駐車場。

 

60代と思われる三国湊町屋館の女性スタッフからは、「宮崎病院の近くにあったと思う」と聞きました。一方で、やはり60代と思われるマチノクラの女性スタッフからは、「病院の近くではなく、専了寺の近くではなかったか」と聞きました。地方都市に住むこの年代の女性にとって、映画館での映画鑑賞というのは男性の趣味という意識が強いのではないかと思います。この2人の女性からは「どのあたりに映画館があったか」を聞くことができましたが、具体的な館名は登場しませんでした。

坂井市立三国図書館で『1981年 坂井郡住宅明細図 三国・芦原』を確認したところ、三国町喜宝には「港アパート」があります。映画館名簿には番地まで掲載されていないので、港アパートの場所に港劇場があったことが確実であるとは言えませんが、名称や航空写真から、この場所に港劇場があった "可能性が高い" と思われます。

図書館の後に現地を訪れると、港劇場があった場所は宮崎病院の駐車場となっていました。この駐車場の場所を言葉で説明すると、「病院と寺院の間にある路地を20m進んだ場所」であり、三国湊町屋館とマチノクラで聞いた話はどちらも間違いではありませんでした。図書館の後に現地を訪れましたが、写真映えするスポットではありません。

f:id:AyC:20190604232622j:plain

(左)宮崎病院駐車場。港劇場跡地。右奥が宮崎病院

f:id:AyC:20190604232625j:plain

(右)宮崎病院三国駅から徒歩1分。


 

みくに東映劇場(-1970年代初頭)

所在地 : 福井県坂井郡三国町今新46(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1960年の映画館名簿では「三国東映」。1965年のゼンリン住宅地図では空白の欄が描かれている。1969年の映画館名簿では「みくに東映劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は旧「三国北幼稚園」。現在の坂井市域最後の映画館。

 

60代と思われる三国湊町屋館の女性スタッフからは、「もう使っていない幼稚園の建物の場所に映画館があった」と聞き、「私が子どもの頃に、映画館から幼稚園に建て替えた」とも聞きました。

坂井市立三国図書館で『1981年 坂井郡住宅明細図 三国・芦原』を確認したところ、三国北幼稚園の所在地は「三国町今新46」。映画館名簿におけるみくに東映劇場の所在地も「三国町今新46」であり、幼稚園の場所にみくに東映劇場があったことが "からし" と言えます。

図書館の後に現地を訪れると、伝統的な街並みの中に黄色く塗られた幼稚園の建物が残されていました。幼稚園が建てられた50年前には、周囲の街並みとのギャップで反発もあったかもしれませんが、現在では逆に街並みに溶け込んでいるように見えます。

f:id:AyC:20190604232649j:plain

(写真)三国町立三国北幼稚園の建物。みくに東映劇場跡地。

f:id:AyC:20190604232653j:plain

(写真)三国町立三国北幼稚園のすぐ北側の街並み。

www.google.com

hekikaicinema.memo.wiki