振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「福井ウィキペディアタウン2019」に参加する

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(写真)福井駅

 

1. 福井市を訪れる

2019年5月25日(土)、福井県福井市福井市立桜木図書館で開催された「福井ウィキペディアタウン2019」に参加しました。

www.library-archives.pref.fukui.lg.jp

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(写真)福井市立桜木図書館が入るAOSSA。福井駅前。

 

福井市では2017年11月18日の「福井ウィキペディアタウン in福井市東郷」と2018年5月27日の「福井ウィキペディアタウン in 足羽山」に続いて3年連続3回目のウィキペディアタウン。過去2回は福井県立図書館が単独で主催しましたが、今回は福井市立桜木図書館と福井県立図書館の共催であり、会場は福井駅前の桜木図書館です。

 

2016年8月には個人的に福井県を訪れ、越前市中央図書館、鯖江市図書館、福井県立図書館、福井市立桜木図書館を初訪問しました。越前市鯖江市の図書館の対比に興味を持ち、文献を調べたうえでWikipedia越前市立図書館 - Wikipedia鯖江市図書館 - Wikipediaを作成しています。

2017年3月には県立長野図書館でWikipedia LIB@信州 #01が開催され、私は講師の一人として参加しましたが、ここに福井県立図書館の3人が参加されていました。この方々とは2017年6月8日の「オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1」でもお会いし、2017年11月18日に福井で開催されたウィキペディアタウンには編集サポートとして呼んでいただけたのでした。2018年5月27日のウィキペディアタウン、今回のウィキペディアタウンでも編集サポートとして参加しています。

 

2. 福井市立桜木図書館を訪れる

福井市立桜木図書館は福井駅東口の再開発ビル「AOSSA」にある図書館であり、福井駅から徒歩1分の好立地です。休館日は第3木曜日のみで、週の定期休館日はありません。平日は21時まで開館していることもあって、とても使い勝手の良い図書館だと思います。

2017年度の統計を見ると、桜木図書館の蔵書数は21万冊であり、福井市立図書館(中央館)の0.5倍。桜木図書館の貸出数は28万冊であり、福井市立図書館(中央館)の0.8倍。桜木図書館の入館者数は31万人であり、福井市立図書館(中央館)の1.9倍。蔵書数や貸出数と比べると入館者数が顕著に多い、いわゆる "駅前型図書館" ですが、他地域の駅前型図書館と比べると床面積は大きく、ゆったりとしています。

 

イベントのスケジュール

10:00-10:10 開会・イベント趣旨説明(福井市立桜木図書館:北村明恵さん)

10:10-10:30 Wikipediaについて(Wikipedia管理者:くさかきゅうはちさん)

10:30-13:20 まちあるき(福井市文化財保護課:藤川明宏さん)

13:20-14:20 各自で昼食

14:20-14:35 Wikipediaの編集について(くさかきゅうはちさん)

14:35-14:50 図書館での郷土資料の調べ方(北村明恵さん)

14:50-16:50 資料調査・Wikipedia記事編集

16:50-17:20 成果発表・講評

17:20-17:30 記事の再編集・ふりかえり

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 (写真)会場の桜木図書館のおはなし室。

 

3. 福井城下を歩く

今回の参加者は約25人であり、講師・スタッフを含めると30人強となりました。参加者の内訳は、県立高校の高校生が9人おり、それ以外は県立高校の教員、県内の図書館司書、県外の図書館司書、県外の学校司書、元図書館員、市役所職員、学芸員ウィキペディアン、マッパーなどでした。県立高校の高校生は部活動の一環として参加されていました。

福井市立桜木図書館におけるイベント担当者は北村明恵さん。イベント趣旨説明の時は緊張していたのかクールでしたが、前日夜に主催者陣で焼き鳥店に行った際には「(イベントを通じて)いままで見ていた町が違う町に見えるといい」「(郷土資料を通じて)先人の思いに触れる」というかっこいい言葉がどんどん出てくる熱い司書です。開催意図がわかりづらい複雑なイベントだからこそ、なぜ図書館で開催するのか主催者が参加者に説明するのは大事です。Wikipediaについての講義はWikipedia日本語版管理者のくさかきゅうはちさん。

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(写真)くさかきゅうはちさんによるWikipediaについての講義。(※画像編集済)

 

この日は快晴であり、長袖だと暑いくらいの日差しでした。ただし、事前にはまちあるきコース図が配布され、見学場所が明確に提示されていたことで、それほど間延びせずに歩いていた印象です。

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(写真)福井市街地を歩く参加者。

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(地図)配布されたまちあるきコース図。OpenStreetMapを使用している。

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(地図)配布された今昔マップ。『福居御城下絵図』の上に地理院地図が重ねられている。

 

1. 福井市立郷土歴史博物館

最初の目的地は福井市立郷土歴史博物館。1年前に引き続いてまちあるきガイドをしてくださるのは、福井市文化財保護課の藤川明宏さん。郷土歴史博物館は藤川さんが長らく勤めていた施設でもあります。近世以後の福井市の歴史について、九十九橋の原寸大模型や福井城本丸の模型を用いて説明してくださいました。まちあるきの初めに福井市の歴史をざっくりと頭に入れたことが、この後の養浩館庭園や芝原上水や福井城でも活きていたような気がします。

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(写真)福井市立郷土歴史博物館。※当日朝の散歩時に撮影

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 (写真)博物館内で藤川明宏さんの説明を聞く参加者。

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 (左)福井城の舎人門。※当日朝の散歩時に撮影(右)福井市立郷土歴史博物館と芝原上水。※当日朝の散歩時に撮影

 

2. 養浩館庭園

2つ目の目的地は養浩館庭園(ようこうかんていえん)。養浩館は福井藩松平家の別邸であり、芝原上水を引き込んだ回遊式林泉庭園を持ちます。貴重な上水をふんだんに使っていることが権威の証だったとか。庭園は近世から続くものであり、国の名勝に指定されています。

数寄屋風建築の養浩館は1945年(昭和20年)の福井空襲で焼失。1982年(昭和57年)に庭園が名勝に指定されたことを機に、1993年(平成5年)に復原整備されたものです。細い柱、杮葺の屋根などが軽やか。御上り場(風呂)で洗い湯が建物直下の池に落ちる構造になっている説明の際にはどよめきが起こりました。公式サイトでは建物の各部位について紹介していて親切です。福井城の本丸には天守や櫓などが現存しないため、観光客をひきつける建物として養浩館の存在は大きい。

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(写真)養浩館庭園の入口。※当日朝の散歩時に撮影

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 (写真)養浩館内の御湯殿で藤川明宏さんの説明を聞く参加者。

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 (写真)養浩館内や庭園で藤川明宏さんの説明を聞く参加者。

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 (左)養浩館と養浩館庭園。奥に小亭「清廉」。(右)小亭「清廉」と養浩館庭園。奥に養浩館。

 

3. 芝原上水

福井城の北側を流れている芝原上水は、北ノ庄藩(福井藩)初代藩主の結城秀康が家老の本多富正に命じて造らせた上水。1607年完成であり、江戸の神田上水(1590年-1629年)や玉川上水(1653年)などと並んで日本有数の古さを持つ上水だそうです。

近代になって上水道が整備されると、芝原上水の役割は変化し、主に灌漑用水などに用いられたそうです。現代の福井市街地においては、芝原上水を残さなければいけない理由もないと思いますが、多くの部分が開渠で残っていることが城下町らしさにつながっています。

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(写真)芝原上水。右は福井県国際交流会館。※当日朝の散歩時に撮影

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 (写真)福井県国際交流会館前で藤川明宏さんの説明を聞く参加者。

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 (写真)福井市志比口を流れる芝原上水。※当日朝の散歩時に撮影

 

今回のイベントで作成されたWikipedia記事を読むと、芝原上水は現在の吉田郡永平寺町(旧松岡町)で九頭竜川から取水され、約8kmを流れて福井城下に入っているようです。まちあるき時に見学したのは最下流部ですが、Google mapで芝原上水を上流にたどっていくと、北陸自動車道を超えたあたりで「七瀬川」という名称が出現します。「七瀬川」と芝原上水は異なる水路なのでしょうか。『千年の悲願 九頭竜川の用水』には流路図が掲載されていますが、芝原上水と「七瀬川」の関係については判断できません。

芝原上水は鳴鹿大堰という堰が起点のようです。芝原上水の流路についてはぐぐっても適当な画像が出てこないため、『千年の悲願 九頭竜川の用水』を参考にしてざっくりと作図してみました。

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(地図)芝原上水の流路。©OpenStreetMap contributors

 

4. 福井城

福井市立郷土歴史博物館では展示物を見ながら、藤川さんから主に歴史的な話を聞きました。福井城本丸では堀や石垣などの地形を見ながら、地理的な話を中心に聞きました。本丸では人名・地名・年号など頭が混乱する単語をできるだけ避けていたように思われ、聞く側の思考に合わせたわかりやすい解説でした。

お昼ご飯は各自で。今回のまちあるきコースは福井市中心市街地なので食事場所には困りません。わたしは福井駅西口の再開発ビル「ハピリン」で越前そばを食べました。2016年に「ハピリン」が開業する前の福井駅のことを知らないのですが、この場所には何があったのだろう。

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(写真)福井城跡。右は御廊下橋

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 (左)御廊下橋。※当日朝の散歩時に撮影(右)山里口御門の展示施設。※当日朝の散歩時に撮影

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 (写真)夜間の御廊下橋と山里口御門。※前日夜の散歩時に撮影

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(写真)福井城の石垣。1948年の福井地震で一部が崩れた。

 

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(写真)お昼ごはんに食べた越前そば。

 

4. Wikipediaを編集する

Wikipediaの編集に入る前に、桜木図書館の北村さんから編集で使用する文献の紹介がありました。今回も重い文献から軽い文献まで揃えられています。会場がおはなし室ということで、絵本書架を用いて面展示のように提示されました。ウィキペディアタウンで図書館司書は脇役になりがちですが、文献紹介の時間は司書の腕の見せ所です。

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(左)使用する文献の紹介。(右)図書館によって準備された文献。

 

編集対象記事

まちあるきの途中、養浩館庭園に入る前に主催者から提示された編集対象記事は以下の3記事です。すべてが福井城に関連する記事でありながら、歴史(福井城)、文化(養浩館庭園)、地理(芝原上水)と分野が分かれており、参加者が自分の興味のある分野を選びやすいようになっていました。とても題材選びがうまいです。

福井城 - Wikipedia(加筆)

養浩館庭園 - Wikipedia(加筆)

芝原上水 - Wikipedia(新規作成)

 

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(写真)編集作業中の参加者。

 

福井城グループに入った1人を除いて、高校生は養浩館庭園グループに固まりました。福井城グループは参加者の属性がばらけ、芝原上水グループには図書館司書が集まりました。私の役割はWikipediaの編集サポートであるため、Wikipedia講師のくさかきゅうはちさんや一般参加しているウィキペディアタウン経験者とともに各グループの様子を窺います。

芝原上水グループ →節構成も文章の内容も一から考える必要がある新規記事であり、なおかつ題材的にはもっとも編集が難しそう。ただしウィキペディアタウン参加経験のある図書館司書が多いため、ある程度放置して自由に編集を行ってもらって問題なさそう。

福井城グループ →既存の記事への加筆ということで、既存の文章への出典を追加したり、既存の文章にない内容を加筆したりすることに限られる。Wikipediaの編集に慣れていない参加者が多いが、市役所職員や公共図書館司書など能力の高い大人が多いので、ちょっとしたヒントを与えるだけでよさそう。

養浩館庭園グループ Wikipediaの編集経験がない高校生が多い。百科事典的な節構成を検討してもらったり、百科事典的な文章の作成を経験してもらうなど、ファシリテーター的役割の方が必要。

 

ウィキペディアタウンの開催目的は、「参加者にWikipediaの編集方法をマスターさせること」ではありません。「参加者にWikipediaの編集を通じて "何か" を得てもらうこと」が目的であり、その "何か" は主催者は参加者によって違います。Wikipedia編集の時間には "その時間にひとりひとりの参加者が何をすべきか" から考えてほしいと思っています。

とはいえ、高校生にそれを求めるのは無茶であり、編集作業の方向性を提示してうまくフォローできるファシリテーター的役割の方が必要。もっとも気になる養浩館庭園グループには、京都府から参加していた学校司書の伊達さんが入り、「情報カード」や「見出しカード」などワークショップ的手法で編集作業の道案内をしていました。

 

今回の私の役割には、Wikipediaの編集時間に各グループのサポートを行うことに加えて、成果発表後には3記事それぞれについて講評を行うという役割もありました。他地域では参考文献を要約するだけになってしまうウィキペディアタウンもありますが、今回の3グループはいずれも、参加者が何かしらの着眼点を持って編集ができたと思います。

参加者が図書館司書/市役所職員/高校教員など能力の高い方ばかりだったこともありますが、題材の選定や文献の選択のうまさ、ガイドによる説明のわかりやすさなどが大きかったのではないでしょうか。特に題材の選定のうまさ。"福井城" というわかりやすく興味を持ちやすい題材を選定し、メインテーマの福井城にサブテーマとして養浩館庭園と芝原上水を加えたのがよかった。ウィキペディアタウンを過去2回開催している福井県立図書館による全面バックアップも大きいです。Wikipediaの編集サポートとしても、いち参加者としても、とても魅力的なイベントでした。

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 (写真)節構成を決めるための見出しカード。