振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

沼垂の映画館

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(写真)JR貨物沼垂駅跡地。

2019年(平成31年)4月13日(土)、新潟県新潟市を訪れました。「新潟島北部の映画館」からの続きです。

 

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2019年(平成31年)4月13日には「Wikipedia新潟ローカルタウンプロジェクト」が開催されました。この日の朝、新潟市が発行している地図「沼垂の町 小路めぐり」を見ながら沼垂(ぬったり)地区を歩きました。新幹線や高速バスの起点となるJR新潟駅から北東に1km程度。政令市の中心駅から徒歩圏内にありながら昭和の情緒溢れる地域です。

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1. 沼垂を訪れる

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(地図)新潟市街地における沼垂の位置。©OpenStreetMap contributors

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(地図)沼垂の地図。地理院地図

 

1.1 沼垂東

夜行バスで朝6時前にJR新潟駅に到着し、新潟島の北部を2時間近く歩いてから沼垂に向かいました。沼垂地区は沼垂西と沼垂東に分かれており、その境界は県道464号/国道7号ですが、かつてはこの場所に栗ノ木川という川が流れていたそうです。地図には「大橋跡」と記されていますが、碑などがあるのかどうかは確認し忘れました。

沼垂東の北部には現役の銭湯「千代乃湯」が。江戸時代から続いていて、現在の主人が8代目らしい。すごい。建物の西側には薪が積み上げられていました。千代乃湯はまだ薪で湯を沸かしているのだそうです。沼垂東の南部には「さか井湯」もあります。

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(写真)JR新潟駅

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(左)高木酒店。千代乃湯の西側。(右)銭湯「千代乃湯」。

 

1.2 沼垂日劇跡地のアパート群

沼垂を訪れたいちばんの目的は、映画館「沼垂日劇」の跡地を確認することでした。1943年(昭和18年)に映画館に改修された沼垂日劇は、昭和40年代後半にはもう成人映画を上映するようになったとのこと。閉館日は1995年(平成7年)3月10日なので、成人映画館としての歴史のほうが長いようです。

ぐぐっても沼垂日劇の場所は判明しなかったので、住所から所在地の見当をつけて歩いたうえで、翌日に新潟県立図書館にある住宅地図で場所を特定しています。沼垂には1970年(昭和45年)まで「港座」が、1965年(昭和40年)まで「中央映画劇場」もあったようですが、住宅地図では場所を特定できませんでした。

 

沼垂日劇跡地には1997年(平成9年)竣工のアパート「ステラハウス2A」が建っています。周辺にはアパートが多く、赤さびに覆われたアパートの密集具合が異様な雰囲気を出している「礎アパート」群もあります。Google mapsやYahoo地図では第2・第3・第5・第6・第7・第8・第9・第10の8棟が確認でき、ステラハウスの場所にはかつて第1と第4が建っていたものと思われます。

ホームズの建物情報を見ると、新潟市内には第35礎アパート(中央区白山浦1丁目)や第40礎アパート(中央区関屋恵町)などが確認できます。中央区礎町通にある礎不動産が取り扱っているようですが、この会社は沼垂が発祥なのでしょうか。

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(左)建て替えられたアパート群。中央左のアパートの場所が沼垂日劇跡。(右)赤さびが目立つ古いアパート群「礎アパート」。

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(地図)沼垂日劇跡地周辺の地図。地理院地図。

 

沼垂日劇周辺のすぐ東側は貨物線の線路であり、さらに東側は臨海工業地帯です。かつてこの付近にはJR貨物沼垂駅 - Wikipediaがありました。Wikipedia記事を読む限りでは、1990年(平成2年)以降はほとんど使われず、2008年(平成20年)には完全に貨物列車の運行がなくなったのかな。

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(左)沼垂の工業地帯にあるJXTGエネルギー。(右)JR貨物沼垂駅跡地。

 

1.3 沼垂寺町の長屋群

南に向かうと7寺院が密集する沼垂寺町があり、その中央部には異質な雰囲気を醸し出している長屋群があります。堀を埋め立てて建設した市場だったとのこと。今昔マップで明治時代の地形図を見ると、確かに栗ノ木川と新川(新栗ノ木川)を結ぶ堀が描かれていました。

2010年(平成22年)以降にはこの長屋に出店する店舗が相次ぎ、2015年(平成27年)には沼垂テラス商店街と命名沼垂テラス - Wikipedia)。Wikipediaには地域再生大賞準大賞やグッドデザイン賞を受賞したと書かれています。現在は飲食店・カフェ・居酒屋に加えて、装飾品、生花、総菜、パン、陶芸品、雑貨、古本など30近くの店舗が出店しているようです。

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(写真)沼垂寺町の長屋群。

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(写真)沼垂テラス商店街。

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(地図)明治時代の沼垂町。今昔マップより。河川と堀を着色。

 

沼垂地区から新潟市立中央図書館「ほんぽーと」までは徒歩5分程度。沼垂日劇以外の映画館の場所を調べたうえで、もう一度足を延ばしてみたいと思います。

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(左)沼垂白山神社CC BY-SA 漱石の猫。(中)新潟市立中央図書館「ほんぽーと」。(右)新潟市立万代長嶺小学校。

 

2. 沼垂の映画館

2.1 沼垂日劇(1943年3月4日-1995年3月10日)

所在地 : 新潟県新潟市沼垂東6-2-18(1995年)
開館年 : 1943年3月4日
閉館年 : 1995年3月10日
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1929年8月。1955年の映画館名簿では「日本映画劇場」。1958年の映画館名簿では「沼垂日本劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「沼垂日劇」。跡地はアパート「ステラハウス2A」。

1943年(昭和18年)3月4日には演芸場の明治座が映画館化して沼垂日劇となり、邦画の二番館として営業していました。戦後の1961年(昭和36年)に改装しますが、1963年(昭和38年)5月9日に宿直室付近から出火して全焼しています。再建して営業を続け、昭和40年代後半からは成人映画館となると、1995年(平成7年)3月10日まで営業を続けました。跡地は1997年(平成9年)竣工のアパートです。

(写真)1963年に沼垂日劇が焼失した際の短報。『キネマ旬報』1963年6月15日、342号。

 

2.2 沼垂港座(1914年5月1日-1970年6月頃)

所在地 : 新潟県新潟市沼垂東4-4-16(1969年)
開館年 : 1914年5月1日
閉館年 : 1970年6月頃
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1919年8月。1955年の映画館名簿では「港座」。1958年の映画館名簿では「港座映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「港座」。1966年・1969年の映画館名簿では「沼垂港座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はアパート「エトワール沼垂」南の駐車場。

1914年(大正3年)には寄席の大漁座が映画館化して港座に改称。戦前は洋画の上映館であり、戦後は大映・松竹・新東宝の二番館だったようです。

 

2.3 中央映画劇場(1952年-1965年12月12日)

所在地 : 新潟県新潟市沼垂西横町(1966年)
開館年 : 1925年9月、1952年
閉館年 : 1965年12月12日
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1925年9月。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「中央映画劇場」。1963年・1966年の映画館名簿では「沼垂中央劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローソン新潟沼垂西店」。

1952年(昭和27年)には第二富士館が中央映画劇場に改称し、東映を中心とする二番館として営業していました。沼垂の映画館の中では最も早く、1965年(昭和40年)12月12日に閉館しています。

 

沼垂の映画館について調べたことは新潟市の映画館 - 消えた映画館の記憶にまとめており、跡地については消えた映画館の記憶地図(新潟県版)マッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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