振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「お花見!オープンデータソン in 京都」に参加する

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(写真)満開のしだれ桜が美しい毘沙門堂

 

 

2019年4月7日(日)、京都市で開催された「お花見!オープンデータソン in 京都」に参加しました。WikipediaウィキペディアタウンとOpenStreetMapマッピングパーティを同時開催するのがオープンデータソン。主催は「諸国・浪漫」、協力は「Code for 山城」です。

集合場所は京都府立図書館2階のナレッジベース。オープンデータソン、WikipediaOpenStreetMapについての説明を聞いた後、京都市営地下鉄山科区北部まで移動。お花見&まちあるきを行った後に、再び京都府立図書館に戻ってWikipedia / OpenStreetMapの編集を行いました。

countries-romantic.connpass.com

 

京都府立図書館を訪れる

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(写真)会場の京都府立図書館。

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 (左)図書館が準備してくれた文献。(中)会場のナレッジベース。(右)坂ノ下さんによるイベントの説明。

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 (写真)Code for 山城の青木さんによるオープンデータの説明。

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 (写真)ArisenさんによるWikipediaの説明。

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(写真)坂ノ下さんによるOpenStreetMapの説明。


山科をあるく

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(地図)京都市における山科区の位置。©OpenStreetMap contributors

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(地図)イベントのまちあるきコース。©OpenStreetMap contributors

 

京都府立図書館から京都市営地下鉄東山駅まで徒歩。東山駅から山科駅まで地下鉄で移動し、山科駅地下のラクト山科で弁当や菓子などを購入。山科駅から山科疎水公園脇の花見スポットまで歩き、参加者30人で満開の桜を見ながらおひるごはんを取りました。事前の場所取りなどはしていませんでしたが、12時頃に着くと30人の参加者が座れる場所をさっと確保できました。この4月6日・7日の週末に桜がちょうど満開だったことも含めて、主催者の花見スポットハンティングが絶妙でした。

山科疎水公園は琵琶湖疎水の旧河道にあり、かつては諸羽ダムと呼ばれる貯水池だったようです。1970年に諸羽トンネルが開通したことで公園として整備されたそうです。国鉄湖西線の整備がきっかけで諸羽トンネルを掘ったらしいのですが、わざわざ新トンネルを掘るだけの価値が1970年当時の琵琶湖疎水にあったのだろうか。

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 (左)京都国立近代美術館と琵琶湖疎水。(中・右)白川沿いを歩く参加者。

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(左)1960年代の琵琶湖疎水諸羽ダム。(右)現在の山科疎水公園。いずれも地理院地図 空中写真・衛星画像
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(写真)お花見をする参加者。 

 

12時40分頃にはお花見を終えてまちあるき開始。山科疎水公園の階段下には諸羽神社(もろはじんじゃ)がありました。今回のまちあるきには各スポットで説明してくれるガイド役はおらず、参加者は境内を自由に見学します。

私は午後の編集時間にWikipedia「諸羽神社」を編集しました。京阪京津線四宮駅は地名の山科区四ノ宮に由来していますが、地名の四ノ宮は諸羽神社の別名である「四の宮」が由来である可能性があるようです。四ノ宮、安朱、竹鼻の3地区の産土神であるという記述を見つけたので、どの程度の範囲を勢力としているのか理解するために簡単な氏子区域図を示します。10月第3日曜日の神幸祭では神輿2基が氏子区域を巡幸するそうなので、氏子区域図に神輿の巡回ルートを重ね合わせるとおもしろいです、きっと。だれか全国の神社の氏子区域図を作ってくれないかな。

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(写真)諸羽神社。(右)拝殿。

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(写真)諸羽神社。(左・中)本殿。(右)琵琶石と磐座。

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(地図)諸羽神社を産土神とする四ノ宮、安朱、竹鼻の範囲。それほど正確な図ではないです。

諸羽神社からは琵琶湖疎水の道を通って北上します。前述の諸羽トンネルの出口付近からは開渠になっており、満開の桜と菜の花が観光客を集めていました。琵琶湖疎水を通る河川水運は1951年から途絶えていたそうですが、2018年10月には67年ぶりに復活し、2019年春には本格的な運航を開始したのだそうです。我々が通りがかった時には運よく疎水船がやってきました。毘沙門堂までの途中にある瑞光院も今回の編集対象ですが、残念ながら境内に入ることはできず。

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 (写真)山科疏水の道を歩く参加者。(中)琵琶湖疎水の諸羽トンネル出口。

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(写真)琵琶湖疎水を航行するびわ湖疎水船

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(写真)瑞光院。境内に入ることはできず。

 

この日の毘沙門堂では花まつり・観桜会が開催されていました。毘沙門堂の枝垂れ桜はJR東海の観光キャンペーン「そうだ 京都、行こう。」のポスターにも使われたことがあるそう。樹齢150年とのことですが若々しく見えます。毘沙門堂でも自由見学です。OpenStreetMapチームは観光客でにぎわう境内でマッピングしたのでしょうか。

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(写真)毘沙門堂の枝垂れ桜。

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 (左)毘沙門堂本殿。(中)毘沙門堂宸殿。(右)毘沙門堂境内。花祭り開催中。

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 (写真)毘沙門堂の桜。

 

諸羽神社、瑞光院、毘沙門堂に次いで4番目の目的地は双林院。双林院からは来た道を下り、再び琵琶湖疎水に沿って歩きます。琵琶湖疎水と安祥寺川が立体交差する場所には、明治初期に完成した煉瓦造の無名橋がありました。名前がついてないのがもったいない。

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 (左)毘沙門堂から双林院まで歩く参加者。(右)双林院。

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(写真)無名橋。琵琶湖疎水と安祥寺川の立体交差。(右)上が琵琶湖疎水で下が安祥寺川。

 

Wikipedia & OpenStreetMapを編集する

桜見物の観光客が多くてきびきび歩けなかったことや、毘沙門堂から山科駅までの区間で参加者が二手に分断されてしまったこともあり、予定から約1時間遅れて15時頃に編集作業を開始しています。Wikipediaチームは15人が3グループに分かれ、毘沙門堂 - Wikipediaの加筆、諸羽神社 - Wikipediaの新規作成、瑞光院 - Wikipediaの新規作成に取り組みました。

3グループそれぞれには、オープンデータ京都実践会の主要メンバーやウィキペディアの編集経験者がファシリテーターとして配置されていました。諸羽神社を担当するグループにはCode for 山城の青木さんと私が入っています。他の3人の参加者はWikipedia編集未経験か数度編集したことがあるだけでした。まず私が記事の骨格を作った上で投稿し(この状態)、3人には歴史節、境内節、祭事節をゼロから書き上げてもらいました。

 

3月21日に名古屋市で開催された「図書で調べて編集するオープンデータワークショップ」では情報カード方式を使い、"どんな節を作成すればよいか" まで参加者に考えてもらいましたが、諸国・浪漫のイベントにはエンジニアや行政職員が多いため、ファシリテーター側であらかじめ節構成を決めたうえで、それぞれの節の執筆を参加者に任せることが多いです。PCの操作やHTMLに慣れていたり、文章を作成するのに長けている方が多いので、Wikipediaの編集が初めてでも自分の役割に専念できていいかもしれません。

諸羽神社グループは3人それぞれが出典のついた文章を投稿できました(16時42分時点でこの状態)。アカウントの作成やアカウント名忘れなどで時間を取られてしまったグループもあったようです。Wikipediaで編集された各寺社記事にはOpenStreetMapのそれへのリンクを貼り、OpenStreetMapで編集された各寺社の地物にはWikipediaのそれへのリンクを貼っています。

編集開始から1時間30分後、16時30分にはもう成果発表。各グループのファシリテーターが編集成果を発表し、Wikipedia講師のArisenさんが講評を行います。例えば、瑞光院の記事は編集終了時点でこの状態でしたが、人物の後ろ姿が数多く映っている写真はWikipediaには好ましくないという指摘がありました。「諸国・浪漫」は毎月開催されるイベントなので、このイベント1度限りの編集で終わらないように講評をしているのだと思います。ただし、地元の方が多数いる場合などは言い方に気を付ける必要があるし、1回限りのイベントで終わらせるつもりなら講評などしないほうがいいのかも知れないですね。

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(写真)Wikipedia & OpenStreetMapの編集中。

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(写真)成果発表。

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(写真)Wikipedia「瑞光院」2019年4月7日16:44の版。