振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

大磯町立図書館を訪れる

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2019年3月、神奈川県の大磯町立図書館を訪れました。大磯町は平塚市の西隣にある自治体で、ホテルや別荘などが多い保養地として知られている町です。

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(地図)神奈川県における大磯町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

大磯町立図書館

図書館の沿革

JR東海道本線大磯駅から海側に300m下った場所に大磯町立図書館があります。道路に面した部分は切妻屋根であり、1階にも2階にも大きな窓ガラスがはめ込まれた外観が印象的。図書館前の道路は交通量が多いため、建物と道路の間にポーチを設置してワンクッション置いています。

 

1954年(昭和29年)にはこの場所に単独館の図書館が建設され、1983年(昭和58年)には同一地点で現行館への建て替えを行いました。設計は和設計事務所。1987年(昭和62年)の第3回日本図書館協会建築賞を受賞しており、日本建築協会賞や神奈川県建築コンクール優秀賞も受賞しているようです。1983年の開館時から閉館時間は19時と遅く、開館時から貸出返却にコンピュータを導入していたということです。

 

1階

地域資料以外の書籍はすべて1階にあります。建物に入って左側が一般書、右側が児童書。児童書部分は2階層分の吹き抜けになっています。一般書の書架は、下部が斜めになっているタイプの木製書架。日野市立中央図書館などと同じです。所狭しと並ぶ書架には本がびっしりと詰め込まれています。壁面書架が占める比率が大きいことからも、やや圧迫感を感じます。

児童書部分は吹き抜けや窓の存在で開放的。奥まった場所にある小部屋、入口脇にもあるガラス窓の小部屋と、いわゆる "おはなし室" が2つありました。しかしおはなし室として使われているのは前者のみであり、後者はリサイクル本コーナーとして使われています。この建物の中でいちばん明るくにぎやかな場所だけに、この使い方はなんだか残念です。

児童書部分から見える半屋外の場所には消防車が止まっています。この場所は消防署分団駐車場であり、消防署分団駐車場を組み込んで図書館を設計したのだそうです。

 

2階

児童書部分の上部の吹き抜けはこの図書館の特徴で、設計段階では2階から1階を見下ろせるのが売りだったはず。でも今は2階の手すり部分に書架が置いてあったりして、見下ろせる場所は意図的に制限されている気がする。1階から2階に響いてくる子どもの声を和らげたり、2階から1階を無断で撮影させるのを防ぐためかな。

 

2階は地域資料コーナー「まちの資料室」や学習室(会議室)や和室など。地域資料コーナーには吉田文庫(吉田茂 - Wikipedia)、坂西文庫(坂西志保 - Wikipedia)、大岡文庫(大岡昇平 - Wikipedia)がありますが、図書館年報や館内の掲示などでこれらの文庫の詳細を知ることはできません。吉田文庫は吉田茂の長男で文学評論家の吉田健一から寄贈を受けた図書、坂西文庫は坂西志保の遺族であるヨハネから寄贈を受けた図書だそうです。

私は関東の人間ではないので、大磯町が有名な保養地であることとか、伊藤博文吉田茂など多数の政財界人と関係が深いことはよく知りません。大磯町民なら小学生でも知っているのかもしれないけれど。図書館がその町の特徴を改めて知る場になっているといいですね。

 

地域資料コーナーの一角には、1968年(昭和43年)以降の「大磯関係新聞記事切り抜き」のスクラップブックがありました。この時代からクリッピングを続けている図書館が全国にどれだけあるでしょうか。この時代から意識が高い。データベースがない時代の新聞記事切り抜きはとても役に立ちます。珍しく住宅地図はすべて開架にあり、大磯町の住宅地図は1966年(昭和41年)や1972年(昭和47年)のものもありました。この時代の住宅地図を所蔵している町立図書館は少ないはずです。

 

なお、1983年(昭和58年)の開館時の2階は展示コーナーだったようですが、1991年(平成3年)の改修時に地域資料コーナーに変えられたようです。図書館の特徴のひとつだったスペースがたった8年でつくりかえられてしまうのは、設計者としては歯がゆいのでは。

訪れた3月末は図書館での学習者が少ない時期ですが、それでも会議室は学習室として使用されていました。会議に使う場合以外は、年間を通じて学習室として使用されているのでしょう。

 

blog.livedoor.jp

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(写真)「大磯関係新聞記事切り抜き」。1983年の大磯町立図書館開館時の新聞記事。

 

大磯町の映画館

戦前の大磯町の映画館

1909年(明治42年)7月4日には大磯町初の常設芝居小屋として、国鉄大磯駅南の大雲寺近くに「大磯座」が開館しました。1910年(明治43年)には大磯座でで初めて活動写真を上映。伊藤博文国葬の映画だったそうです。1925年(大正14年)には大磯町初の常設映画館として南本町に「大磯キネマ」が開館しました。

 

大磯ドライブインシアター(1993-2010)

戦後には町営映画館の設立を模索する動きがあったそうですが、戦後の大磯町に映画館が設立されることはありませんでした。しかし、1993年10月には、大磯プリンスホテル第一駐車場に「ドライブインシアターMovix大磯」(後に「大磯ドライブインシアター」)がオープンしました。日本初のシネコンであるワーナー・マイカル・シネマズ海老名が開館してから半年後のことです。

車1台に1人乗車だと1600円、車1台に2人以上乗車だと3200円というのは他のドライブインシアターと同等ではありますが、1人あたり1万1000円という "大磯プリンスホテル宿泊セット" があったというのが特徴的。デートで映画を観た後にホテルを使いたいカップル、旅行で大磯を訪れた家族連れなんかに支持されたのかな。

 

ドライブインシアターのピークは1990年頃とされます。シネコンが増え続ける中で大磯ドライブインシアターは17年も営業。2010年10月11日に閉館した際には "日本最後のドライブインシアター" だったようです。なお、2017年夏には7年ぶりに大磯ロングビーチでのドライブインシアターが期間限定復活し、2018年夏にも同様のイベントが開催されたそうです。なぜこれだけ長く営業できたのかは気になるため、神奈川県立図書館に大磯ドライブインシアターについてのレファレンスを行っています。

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(写真)大磯ロングビーチと大磯プリンスホテルWikipedia Commonsより。作者 : Mznuma。