振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。図書館におけるウィキペディアタウンの開催を推進しています。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ブラミヤヅⅡ ブラミヤヅ&ウィキペディアタウン」に参加する

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(写真)滝上児童公園の紅葉と如願寺川。

 

2018年11月11日(日)、京都府宮津市で開催された「ブラミヤヅⅡ ブラミヤヅ&ウィキペディアタウン」に参加した。公式の告知サイトがないのでチラシを貼っておく。

このイベントは宮津市教育委員会が推進する文化的景観普及啓発事業の一環。2017年にも行われた町歩きイベント「ブラミヤヅ」の2年目であり、「ブラミヤヅⅡ」は11月11日の「ブラミヤヅ&ウィキペディアタウン」と11月18日の「宮津祭りの巡幸路と町並みをたどる」がセットになっている。

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宮津市を訪れる

宮津市京都府北部にある人口17,000人の自治体。近世には宮津城の城下町であり、現在は天橋立という名所を抱える観光地であるが、人口は下げ止まる気配もなく、2010年国勢調査では2万人を割り込んでしまった。隣接する与謝野町よりも人口が少なく、京都府南部の精華町の約半分だとか。この自治体は将来どうなるのかな。

何年か前までは宮津市に親類が住んでいた縁もあって、宮津市を含む丹後や北近畿には1年に1回以上は訪れている。2017年4月には宮津市伊根町を、2017年12月には豊岡市京丹後市峰山町を、2018年9月の「ウィキペディアにゃウン」の際には峰山町舞鶴市などを訪れた。

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(表)宮津市の人口の推移。(地図)訪れたことのある北近畿の図書館。

ayc.hatenablog.com

(ブログ)2017年のGWに宮津市立図書館を訪れた際のブログ。

 

「ブラミヤヅ&ウィキペディアタウン」の開催場所は宮津市福祉・教育総合プラザ。聞きなれない名前だけれど、複合商業施設「ミップル」3階の宮津市立図書館 - Wikipediaと同一フロアにある会議室のことだった。宮津市立図書館はちょうど1年前の2017年11月27日に「ミップル」に移転している。人影もまばらな宮津市街地でにぎわっているのはこの施設だけであり、テナントが撤退したタイミングで移転を決めた宮津市の英断は称賛したい。

 

スケジュール

10:00-10:30 イベントの説明、Wikipediaの説明

10:30-12:00 まちあるき

12:00-13:00 昼食

13:00-13:30 Wikipedia編集の説明

13:30-16:00 Wikipedia編集

16:00-16:30 成果発表

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(写真)宮津市立図書館が入っている複合商業施設「ミップル」。

 

宮津市街地をまちあるきする

今回のガイド役は宮津観光アテンダント まちなか案内人の島田さん。島田さんは宮津市出身ではないが、宮津市内のホテルに勤務するなかで歴史に興味をもってまちなか案内人になったそうだ。まちなか案内人によるブログは更新頻度が高いので季節ごとの宮津の様子をつかむのに役に立つ。

2020年の大河ドラマでは明智光秀が題材となる。丹後地方には細川ガラシャ明智光秀の三女で細川忠興正室)に関する史跡が多数あり、かつて宮津観光アテンダントではこの地域最大の観光スポットである天橋立の案内をすることが多かったが、2017年頃からは宮津市街地の案内が増えたそうだ。今回のまちあるき中にも別のまちあるき団体に出くわした、イベント前の8時30分頃に宮津市街地を歩いていた際にもやはりまちあるき団体に出くわした。

今回のまちあるきコースを示したのが以下の図。歩行距離は約2500m。このエリアは個人的には何度も歩いたことがあるが、西堀川通りや黒田家住宅の説明を聞けたのが収穫だった。地方都市なのにOpenStreetMapに建物がすべて書き込まれているのは、私がこの夏から秋に書いたからです。

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(地図)まちあるきコース。出典はOpenStreetMap。作者はOpenStreetMap contributor。

 

「ミップル」からまずは新浜へ。江戸時代に埋め立てられて町となった新浜はかつて花街だったそうで、町屋が多数残っている。イタリア料理店「アチェート」があったり、ブッククラブみやづのチラシが貼ってあったりして、小さいけれども動きがある地区に見える。

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(左)花街だった新浜の路地。中央の黒い法被が島田さん。(中)かつて新浜には歌舞練場があった。(右)イタリア料理店「アチェート」。

 

新浜を西に向かうと、宮津市街地を東西に分ける西堀川通りにでる。地図を見ると西堀川通りを境に道路の区割りが違うのがはっきりわかる。かつてこの場所には見返り柳が植えられていたそうで、「宮津まちなみシンポジウム」のチラシにも使われている、宮津の景観や都市計画を考えるうえで重要な場所だそう。

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(写真)西堀川通りの現在と過去。ほぼ同一地点。過去の写真には見返り柳も見える。

 

西堀川通りから弧を描く道路を山王宮日吉神社に向かって進むと、かつて酒造業を営んでいた黒田家住宅がある。漆喰の白壁と煙突とうだつと板壁の組み合わせはなんだか新鮮。主屋の竣工は明治初期の1869年で、1975年までは醸造を行っていたらしい。現在の宮津市街地に酒蔵はない(市域にはハクレイ酒造と白糸酒造がある)ので、この写真だけ見ると宮津市街地に見えない。

黒田家住宅から50m北には煉瓦造の蔵がある。窓などを見ると現代の建物にも見えるけれど、内部は昔ながらの蔵がそのまま残っているらしい。さらに北には、やはりかつて酒造業を営んでいた矢野家住宅があった。これらのスポットはぐぐってもあまり情報がないが、実際にまちを歩けばきっと気になる建物で、ガイドの説明がありがたい。

このエリアには旧三上家住宅 - Wikipediaがある。旧三上家住宅は重要文化財であり、宮津市街地のまちあるきを行う上では絶対に外せないスポットといえると思うが、今回のまちあるきでは「いちスポット」として扱い、建物の中には入っていない。観光客や宮津市当局に迎合しない(?)スタンスがいいな。

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(左)黒田家住宅。(右)無名の蔵。

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(写真)重要文化財の旧三上家住宅。

 

現在は用水路のような如願寺川も、古地図では存在感のある河川として描かれており、宮津市街地と漁師町を隔てていた。如願寺川が山から出てきた場所にあるのが如願寺と山王宮日吉神社である。

このブログ一番上の写真は如願寺のすぐ下にある紅葉を撮ったもの。如願寺は宮津市最古の寺院だそう。仁王門は宮津市にいくつかある中でもっとも古く、1672年竣工の本堂は京都府指定文化財。境内はかなり縮小したとはいうけれど、紅葉も含めて立派な寺院だった。

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如願寺。(左)仁王門。(中)本堂。(右)本堂屋根裏の龍と虎の彫り物。

 

山王宮日吉神社宮津城下町の西堀川より西側の氏神。西堀川より東側の氏神はあとで訪れる和貴宮神社である。地理的な氏子区域の区分もあれど、近世には歴代宮津藩主の崇敬を受けたのが山王宮日吉神社で、商人の崇敬を受けたのが和貴宮神社らしい。

宮津最大の祭礼である宮津祭 - Wikipediaはかつて「秋祭りとして行われる山王宮日吉神社の例祭」だったが、いまは「春祭りとして行われる山王宮日吉神社・和貴宮神社の両者の例祭」らしい。山王宮日吉神社は赤ちゃんが神を相手に相撲を取る神事の土俵があったり、樹齢370年の市指定天然記念物のサザンカの大木があったり、式内社の杉末神社を摂社としていたり、境内を京都丹後鉄道の線路が走っていたりと、歴史に興味がなくてもぱっと目につく見どころの多い神社だった。

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山王宮日吉神社。(左)拝殿。(中)赤ちゃん土俵入り神事の土俵。左上にはサザンカ。(右)摂社の杉末神社。

 

山王宮日吉神社からはまちあるき後半。西堀川通り沿いにある茶六本館は、大正期に建てられた木造3階建てで、2010年には同じく木造3階建ての清輝楼とともに登録有形文化財となった。木造3階建てはそれだけ珍しい建物らしく、Wikipediaには「木造3階建て - Wikipedia」なる記事まである。

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(左)用水路のような如願寺川。(中)岩洞長治郎碑。(右)茶六本館。

 

和貴宮神社は山王宮日吉神社と対をなす(ように見えるけどこの言い方は不適切)神社で、山裾に広い境内を持つ山王宮日吉神社とは対照的に、宮津市街地にこじんまりとした境内を持つ。北前船を扱う商人からの信仰を集めた神社で、玉垣の寄進者を見ると加賀、摂津、大阪…とさまざまな地域の名前が確認できる。

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和貴宮神社。(左)鳥居。(中)拝殿。(右)水越岩。

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和貴宮神社。(写真)寄進者名が彫られた玉垣

 

まちあるきは予定の30分オーバーで終了。1時間30分の予定が2時間になったし、訪れる予定だった清輝楼はパスしている。宮津観光アテンダントの普段のツアーは2時間とか3時間なのではないだろうか。ウィキペディアタウンという複雑なイベント全体において、まちあるきの比重が大きくなってしまうと、頭も体も疲れて後半のWikipedia編集時間がだれる。主催者がその点を宮津観光アテンダントに明確に伝えて、立ち寄るポイントを絞れば、1時間30分に抑えられたように思う。

 

Wikipediaを編集する

図書館から斡旋されたグラン・マのお弁当を食べ、午後にはWikipediaの編集をスタートする。今回主催者から提案された項目は以下の3点。訪れていない清輝楼が入っている点がちぐはぐな印象だけれど、3点とも宮津市外の方に伝えたい魅力的な題材なのは間違いない。なおこんなこともあろうかと、イベント開始前に清輝楼の写真は取っておいてある。

編集対象となった3記事

和貴宮神社 - Wikipedia

山王宮日吉神社 - Wikipedia

清輝楼 (宮津市) - Wikipedia

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(写真)グラン・マのお弁当。

 

私は旅館「清輝楼」のグループに入る。同グループの3人は宮津観光アテンダントのまちなか案内人ということで、宮津市街地や清輝楼についての知識をすでに持っているが、パソコンはない。となると役割分担をはっきりする。

Wikipedia記事「清輝楼」に何を書くか。老舗旅館として「歴史」は必須だろう……木造3階建ての「建築」も興味深い……「著名人」が多数訪れているのが売りである……と意見を出し合い、この3点について全員で文献を調べた。そのうえで3人には書くべき文章を紙にペンでまとめてもらい、私がパソコンに文章を打ち込んだ。

 

清輝楼についてもっとも詳しく述べている文献は、島田さんが持ってきた紙の印刷物だった。しかしこれは図書館の蔵書でないので、Wikipedia:検証可能性 - Wikipediaを満たさず使えない……残念。と話し合ったが、清輝楼公式サイトにこの印刷物のPDFが掲載されていることを発見し、Wikipediaの出典として使えることになった。

詩人の野口雨情、小説家の菊池寛吉川英治、政治家の吉田茂俳人河東碧梧桐と、さまざまな著名人が清輝楼を訪れて書や作品を残している。このイベント中には外観の写真しか掲載できないけれど、将来的にはこれらの作品などの建物内の写真を掲載したい、ということを話し合う。建物内の写真を掲載するには清輝楼の協力が必須で、もり協力を頼むならまちなか案内人の存在が助けになるだろう。

 

清輝楼は元禄年間の創業であり、1901年(明治34年)に現在地に移転した。1901年に建てられたのは2階建ての客室棟だが、現在は3階建ての客室棟と3階建ての大広間棟の2棟があり、両者を2階建ての廊下がつないでいる。つまり、オリジナルの建物は2階建てから3階建てに変わり、建物の数が2棟に増えて、客室棟にあった大広間は大正末期に大広間棟に移っている。

文献に書かれているこの変遷を頭で理解するのには時間がかかったが、すでに理解しているまちなか案内人の方や教育委員会の方が近くにいてくれるのがありがたかった。イベント中には文章を書くだけだったが、(将来的な発展の方向として)図で説明するとわかりやすいのではないか……と話し合う。

それにしても木造建築の3階に60畳+45畳の大広間があるとは。一度見てみたい。なお清輝楼はランチもやっているとか。

 

今回は「宮津を知ってもらいたい」というはっきりした意思を持つまちなか案内人の方が同グループだったので、青木さんやMiya.mさんによるWikipediaの説明を補足する形で、公式サイトや観光協会サイトやまちなか案内人ブログとWikipediaの違い、Wikipediaに書き込む利点や欠点も説明した。またパソコンで編集を行ったのは私ひとりだったので、自分がパソコンで何をやっているのか、ことあるごとにパソコンの画面を見てもらった。

ウィキペディアタウンでファシリテーター的な役割をするときは「ウィキペディアの特性や意義を理解してもらい、今後の活動のヒントを得てもらう」ことを常に心がけているけれど、今回はわりとうまくできたのではないかと思う。

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(写真)編集中の各グループ。左のグループがまちなか案内人の「清輝楼」グループ。楽しそう。右は図書館員の「和貴宮神社」グループ。若い。真剣。

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 (写真)個人的に撮影していた清輝楼。

 

ふりかえり

今回は運営側ではなく、“丹後地方(宮津市)に縁のある、いちウィキペディアン” として参加している。

 

ウィキペディアタウンで寺社を題材にするときは、しばしば大人の事情で書き込むのを控えなければならない記述がある。今回も神社を担当したグループはそれに悩まされていたらしい。

ウィキペディアタウン in 白馬村であらいさんがやったような「講評や意見交換後の再編集」、名古屋市ウィキペディアタウンで山本茜さんがやっているような「ふりかえりの時間」はもっと重視されてもよいのではないかと思う。関西地方のウィキペディアタウンはそのルーツが理由で「楽しむ」ことが一番の目的で、それはすごくよいのだけれど、関東地方のイベントや長野県のイベントに顔を出すとそう感じる。

宮津市街地に焦点を当てる「ブラミヤヅ」というイベントを教育委員会が継続的に開催してるのはすばらしいし、宮津観光アテンダントの存在は心強い。図書館と組んで数多くの地域でウィキペディアタウンを開催してくれるCode for 山城にも感謝したい。ただ、今回のイベントは宮津市公式サイトでも宮津市立図書館公式サイトでも告知されていない。これでは参加者が限られてしまう、若い世代に興味を持ってもらうのは難しいと思う。宮津観光アテンダントの方がWikipedia編集にも参加してくださったことで、個人的にはとても意義のあるイベントだった。

宮津市から京都市まで特急はしだてを利用して移動する時間は約2時間、京都市から自宅最寄り駅まで在来線を利用して移動する時間は約3時間。特急はしだてがもっと速いといいのだけれど。もし丹後に住んでいたら11月18日の「宮津祭りの巡幸路と町並みをたどる」も参加するのに。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。見返り柳のある古写真はパブリックドメインです。