振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

木曽町図書館を訪れる

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 3.0 非移植 ライセンスの下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。写真はCategory:Kiso Town Library - Wikimedia Commonsにアップロード済です。

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 クリスマスイブに長野県南部の木曽町図書館(きそまちとしょかん)を訪れました。木曽町図書館は2017年9月20日に開館したばかりで、木曽郡では初となる図書館。木曽町中心部にある木曽町文化交流センターの1階にあります。蔵書は約4万冊と少なめですが、カフェ、貸出用PC、Wi-Fi、新聞データベースなど、都市部の先進的な新館に負けないサービスをしている。新館なので明るくてきれいなのは当然ですが、館長さんは雰囲気の良さも生み出しています。

 

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(写真)図書館のエントランス部分。木曽青峰高校インテリア科の生徒による作品。

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(写真)一般書の書架。

 

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(写真)「ほん? ほん!」

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 (左)「リレー企画おすすめの一冊」。(右)「木曽町と発酵」などの常設展示。

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(左)蔵書検索用PC。(右)データベース用PC。

 

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 (写真)児童書のフロア。

 

 

木曽町にあった映画館について探る

初めて訪れる図書館では、その図書館自身の歴史について、もしくはその町にあった映画館について調べる。地域資料をどれだけ作成/収集しているか体感できるし、レファレンスをする場合は職員の力量を知ることもできる。

 

映画館数がピークを迎えた1960年、全国には7,457館の映画館があった。『全国映画館録1960』によると長野県には121館。長野市に16館、松本市上田市にそれぞれ7館。長野県郡部には47館あり、西筑摩郡には6館。福島町(現在の木曽町中心部)には「木曽映画劇場」と「福島映画劇場」の2館があった。この2館について調べてみる。

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(写真)『全国映画館録1960』より西筑摩郡の映画館。「三留野町」は「読書村」の誤りだと思われる。

 

開館したばかりの木曽町図書館の蔵書数は多くなく、地域資料コーナーは日本十進分類法を崩している。まずは『木曽福島町史 第2巻 現代編』(木曽福島町、1982年)をめくり、「娯楽」「映画館」などの単語で探る。映画館について自治体史で詳細に言及している自治体もある。

次に『写真集 明治大正昭和 木曽路』(国書刊行会、1978年)などの地域写真集をめくる。木曽映画劇場の写真が掲載されており、開館日が「1951年10月1日」であること、現代の感覚では珍しい「町営」の映画館であることが分かった。

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(写真)『写真集 明治大正昭和 木曽路』より木曽映画劇場。

 

福島町の歴史年表が掲載されている文献もあたる。『飛躍のあしあと 木曾福島町町制百周年記念誌』(木曽福島町、1993年)にも『-木曽路』と同じ写真が掲載されていた。

町営の施設だったということで、福島町の社会教育や公共施設について書かれた文献にもあたる。『木曽福島公民館 六十年の歩み』(木曽町木曽福島公民館公民館長 井口利夫、2006年)には、竣工日が「1951年9月18日」であること、同時に役場庁舎と保育所も竣工したこと、福島町公民館に隣接していたこと、1962年頃には映画館が公民館としても利用されていたなどがわかり、映画館と公民館を並べて写した写真や、1965年3月末で閉館することを伝える新聞記事などが掲載されていた。

 

さて、木曽町図書館には蔵書検索用PCの隣にデータベース用PCが置いてあり、信濃毎日新聞データベースが閲覧できる。データベース用PCを使うのに貸出カードを持っている必要はなく、データベース利用申込用紙への記入も必要ない。1か月1万円程度はするだろう新聞データベース、木曽町図書館の予算で導入するのは勇気がいるのでは。使い方次第で蔵書の少なさをカバーする存在になるだけに、気楽に使える点も含めて感謝したい。

2館の名称などで検索すると、「町内にも映画館 全盛期唯一の娯楽」(1995年11月30日)という記事が見つかった。この記事によると木曽地方には映画館が最大8館あったらしい。福島町の2館に加えて、上松町には上松劇場と木曽中劇の2館が、読書村(現在の南木曽町)にはみどの映劇と蘇南東映の2館が、大桑村には野尻劇場が、王滝村には牧尾劇場があった。『全国映画館録1960』より多い。

 

過去の映画館について調べる時には、文字情報(文章)、写真、位置情報(所在地)の3点について探す。木曽映画劇場については開館年や閉館年についての文字情報、複数の写真が得られたが、位置情報については「公民館の隣」ということしかわからなかった。郡部には古い住宅地図が存在しないので位置情報を得るのが難しい。福島映画劇場についてはほとんど何の情報も得られなかった。自力ではここまで。見つけた文献のコピーを頼み、探し出した情報を整理する。

 

これ以上の文献をを見つけるのは難しいが、特に木曽映画劇場の所在地について知りたく、地元の方の知識を得るべくカウンターで尋ねてみた。この日4人いた中でもっとも年配の司書さんの記憶によると、図書館を出てすぐの上町商店街に映画館があったらしく、また別の地区に別の映画館があったらしい。上町商店街には古い商店が複数残っているそうで、店に飛び込んで店主に話を聞けば正確な場所もわかるかもしれない、とのことだった。

 

ひとまず調査を終えて館内で写真を撮っていると、先ほどの司書さんが「この町の歴史に詳しい」方としてイグチさんを連れてきてくださった。先ほどまで読んでいた『木曽福島公民館 六十年の歩み』の編著者である木曽町木曽福島公民館公民館長の井口利夫さんに直接話を伺うことができ、木曽映画劇場は「上町商店街にある居酒屋養老乃瀧の南隣の2軒分」、福島映画劇場は「ろうきん福島支店」の場所であることを教えてくれた。町営の木曽映画劇場では公共ホールとしての役割も有しており、隣接する公民館と一体的に運用されていたこと、民間経営の福島映画劇場は映画上映専門だったことなども教えてくれた。

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図書館は徒歩1分で商店街という好立地にあるため、併設されている「としょカフェ」は図書館利用者以外にも使いやすい。「としょカフェ」で一休みしてから木曽映画劇場と福島映画劇場の跡地の写真を取りにいき、山村代官屋敷と福島関所資料館を見学してから帰った。上町商店街にあるという居酒屋養老乃瀧はすでになく、店舗の跡地と思われる駐車場があるのみだった。次に長野県内の図書館を訪れた際には、数年以上前の住宅地図を閲覧して木曽映画劇場の正確な場所を特定する必要がある。

 

木曽福島公民館 六十年の歩み』によると、木曽映画劇場が閉館した1965年には福島会館(公民館)が華々しく開館している。図書館のある木曽町文化交流センターの完成で福島会館は役目を終え、現在はちょうど解体工事の真っ最中だった。1960年代に閉館した映画館のことを正確に記憶している方はどんどん少なくなる。その方々の知識を、いまウェブに出さねば、誰かが出さねば、と思う。

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(写真)としょカフェ。かりんのお茶は予想通りクセが強かった。

 

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