ayc.hatenablog.com(1)の続き。このブログ(1)(2)に使われている写真はCC BY-SAライセンスです。もしブログに掲載するのが好ましくない写真があればこっそり教えてください。
丸亀市立中央図書館でばしゃばしゃする
丸亀市猪熊源一郎現代美術館内のカフェで昼食を取ると、美術館に入ろうとする参加者と別行動を取り、建物1階の丸亀市立中央図書館に入って館内撮影の可否を聞いた。ここは写真撮影には寛容なようで、午後の部開始までの15分でできるだけいろんなコーナーの写真を撮った。この中から23枚の写真をWikimedia Commonsにアップロードしている。実質10分間でだーっと写真を撮ってさっと出た。適度なざわめきがあったのでシャッター音はそれほど気にならなかった。
Category:Marugame City Library - Wikimedia Commons
ウィキペディアの編集を行う
(写真)本日の文献の一部。市史や地名事典から旅行ガイドまであれこれ。
午後の部ではまずMiya.mさんから編集方法の説明を聞き、その後3班に分かれて作業に入る。3月のWikipediaLIB@信州では編集作業の時間を3-4つのスパンに区切る方法を取ったが、今回も緩やかに「どんな節を作るか考える時間」「文献で調べる時間」「文章を作成する時間」などに分けるためのワークシートが用意されていた。本日の対象記事は「玄要寺」、「寿覚院」、「南条町 (丸亀市)」の3つで、私は「南条町 (丸亀市)」の作成グループに入った。
ステップ1では「歴史」「地理」「交通」などの意見が挙がり、ステップ2ではそれぞれについて2人ずつくらいで文献で調べ、ステップ3では2人が協力してどちらかのPCで文章を打ち込む、という流れを期待していた。グループ内ではっきり役割分担して、ウィキペディア的に見栄えのする文章量の多い記事にするにはこんな流れが必要になる。そのためにワークシートは効果的だと思う。
とはいえ今回の「南条町 (丸亀市)」グループでは、こちらの想定していた流れにはならなかった。まちあるき時にガイドを務めてくださった遠藤さんがおり、ステップ1からかなり細かい部分まで説明してくださるので、ステップ1の段階でなかなかまとまらなかった。
寺院記事と比べて、町丁記事は視野の広さが重要になる。『角川日本地名大辞典』や『日本歴史地名大系』で大局をつかみ、「南条町」であれば町の範囲や各寺院の名前を抑えてから、自治体史で詳しく書いてある部分を探し、文献では判然としなかった部分や語句を遠藤さんら地元の方に聞く、というのが効率の良い(かつ、つまらない)方法だと思っている。
ただし、今回は遠藤さんに様々な点の詳しい説明を聞いたことで、その説明の出典を『丸亀市史』で探す、という流れが自然と生まれた。そんな流れもまた良しと思って、ステップ2以降はそれぞれが行っていることを見ているだけだったが、手持無沙汰な方が出てしまったのはこちらが工夫できたかもしれない。
イベント終了時には以下のような記事ができた(2017-05-21T16:19:51の版)。
(写真)3つの机、3グループに分かれて作業した。
(写真)成果発表。
南条町を加筆する
イベント対象となった「佐竹徳 - Wikipedia」をイベント後に小加筆。イベント開催場所の「瀬戸内市立図書館 - Wikipedia」を作成。
ウィキペディアタウン新丸子/武蔵小杉(2016年2月)
プレイベントに参加。プレイベント前に個人的に歩いて興味を持った「小杉御殿 - Wikipedia」を加筆。
Wikipedia TOWN × 高遠ぶらり(2016年3月・2017年1月)
イベント開催場所の「伊那市立図書館 - Wikipedia」を作成。2度目の参加前に「伊那旭座 - Wikipedia」や「信州高遠美術館 - Wikipedia」を作成。
ブラトヨハシ/ブラタハラ(2016年9月・11月・2017年1月)
執筆対象記事を検討する中で映画館関連文献の多さに気づき、「豊橋市の映画館 - Wikipedia」を作成した上で個別館記事を8記事作成。ブラトヨハシ/ブラタハラの準備段階では「田原市図書館 - Wikipedia」を加筆
その地域への興味がイベントだけで終わってしまってはつまらない。これまでもウィキペディアタウン後には気になっている記事を作成したり加筆したりしている。今回はイベントがやや消化不良だったこともあり、家に帰ってから簡単に「南条町 (丸亀市) - Wikipedia」の加筆を試みた。
愛知県内で『丸亀市史』を所蔵している公立図書館は豊田市中央図書館と春日井市図書館の2館だけ(愛知県図書館は所蔵なし)だったため、名古屋大学附属図書館に赴いた。イベントで使った『角川日本地名大辞典』と『丸亀市史』を再確認し、イベントで使わなかった『日本歴史地名大系』を確認。何枚かの写真を加え、地図を作成している。
『角川日本地名大辞典』と『日本歴史地名大系』を核として歴史節を加筆した。近世の町である「下南条町・上南条町」の説明と、近代以降の町である「南条町」の説明を分けた。イベント中には南条町の範囲がわからず困ったため、OpenStreetMapから丸亀市中心部を抜き出して範囲を示す地図を作成した。寿覚院と玄要寺だけでなく、本照寺と法音寺の写真も加えた。まちあるきで前を通った「戎座」は、『丸亀市史』にあった初演者の説明を加えた。右上にインフォボックスを加えて、現代の町丁であることを明確にした。以下のようになった。
南条町の課題
・やっつけ仕事感のある地図の改訂
Microsoft ペイントで適当に作った地図などではなく、Illustratorなどのきちんとした画像作成ソフトで作った地図が望ましい(誰か作って)。今後のウィキペディアタウンで丸亀城下町の他の町丁も作成するのであれば、城下町全体の地図もほしい。
・写真の改訂
宗泉寺以外の4寺院は1枚以上の写真が掲載されていてが、よりよい写真があれば差し替えてほしい。特に法音寺。
・航空写真の掲載
どこかの時代で外堀と水路が埋め立てられた。外堀と水路があった時代を示すために、「水尻池」などのように航空写真を掲載すると効果的ではないか。
・絵図(古地図)の掲載
高橋徹さんの説明では1802年の丸亀城下町の絵図が使われた。南条町の寺院はこの絵図にも掲載されているため、ぜひ歴史節に載せたい。
・歴史以外の節の加筆
香川県外では『角川日本地名大辞典』と『日本歴史地名大系』と『丸亀市史』を閲覧するので手一杯だった。外堀や水路が埋め立てられた時のこと、明治期に設置された学校のこと、県道のこと、現在ある幼稚園やコミュセンのことなどももっと詳しく説明したい。
例えば「オープンデータソンin和歌山市」では、是住さんが国立国会図書館デジタルコレクションから『紀伊国名所図会』のこんな絵図を探してきて「和歌山城」に加えた。南条町にもこんな絵図があるとぐっと質が高まる。
・今回のイベントは執筆対象に「南条町」という町丁記事が含まれていたこともあって、実際に南条町を一周していくつかのポイントを巡った。一つか二つの目的地に行って帰って来るだけのイベントでなく、ひとつの「まち」を歩くイベントだった。水路跡や街道など、単なるポイントではない説明も多かった。こんなウィキペディアタウンはなかなかない。
・イベント中に「南条町+丸亀市」でインターネット検索してみた。南条町は丸亀城下ではかなり早い段階に設置された町で、今でも石碑や寺院や道路舗装や水路の地形的な痕跡が残っているというのに、驚くほど情報が出てこない。ただ、ネット検索では出てこないのに地名事典や自治体史にはきちんと記述があるし、地元の歴史愛好家に聞けば話が止まらない。こんな町だからこそウィキペディアタウンで作成する意義があった。今後のイベントでも町丁記事は作成対象の候補に入れてほしい。
・前日と当日にあった懇親会の席では、主催者側からも参加者側からも「ウィキペディアをまちづくりに活かしたい」という意見があった。私はいまでもウィキペディアが何かの役に立つのかどうか懐疑的な気持ちがあるし、ウィキペディアタウンは「オープンデータへの理解を深める」「地域文化への関心を強める」ためのイベントくらいにしか思っていない。まちづくりというキーワードを聞くとちょっとひるむが、丸亀では継続的にウィキペディアタウンを開催するとのことなので、今後に期待が膨らむ。
終わりに
丸亀市/丸亀高校出身の友人がいる。私が前回丸亀を訪れたのは、その友人が亡くなる前だった。