振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

城チャレンジ(Castles Challenge)に参加する

 2016年9月1日から9月30日に開催されたオンライン上のウィキペディア執筆コンテスト、城チャレンジ(Castles Challenge - Meta)に参加しました。

ウィキメディア財団アルメニア支部とスペイン支部が共催したイベントで、アルメニアにある城/砦/遺跡など72記事が対象。ウィキ・ラブ・オリンピックと同様に全言語版の編集者が参加できますが、参加者11人の中で非スペイン人は私だけだったようです。

そもそもこの執筆コンテストの狙いがよくわかりません。アルメニア支部とスペイン支部がどうか関わっているのかも定かではないのですが、これを機にアルメニア文化に触れてみようと思って参加しました。新規作成/加筆したのは以下の4記事。

 

中世アルメニアの都市(2つ)

アニ (トルコ) - Wikipedia

 現・トルコ。10世紀から11世紀にバグラトゥニ朝アルメニアの首都。

カルス (都市) - Wikipedia

 現・トルコ。10世紀にバグラトゥニ朝アルメニアの首都。

古代アルメニアの都市(2つ)

アルタシャト - Wikipedia

 現・アルメニア共和国。紀元前2世紀から紀元2世紀にアルメニア王国の首都。

ティグラノセルタ - Wikipedia

 現存しない古代都市。紀元1世紀にアルメニア王国の首都。

 

カルスは加筆、それ以外の3記事は新規作成です。アルタシャトは52言語版、アニは35言語版、ティグラノセルタは24言語版にあり、いずれも日本語版にないのがおかしいくらいの主題。アニとアルタシャトはメインページに掲載されました。

いずれも英語版の翻訳をベースとし、『アルメニア人の歴史』(藤原書店、2016年)、『アルメニアを知るための65章』(明石書店、2009年)で加筆しています。アニとカルスとティグラノセルタは英語版が優れているので助かりました。アルメニアの編集者といえばArvinさんがいます。固有名詞を日本語化するときなどにアルメニアの歴史 - Wikipediaは大いに役立ちました。

 

 

アルメニア人が独自の国家を有していた期間はなんて短いのか、古代や中世と比べて現代のアルメニア共和国はなんて小さいのか、と思いを巡らしました。

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画像 : 古代のアルメニア王国(左)と中世のバグラトゥニ朝アルメニア(右)

画像 : 現在のアルメニア共和国(下)画像はいずれもWikimedia Commonsより

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余談ですが、古代から中世のアルメニア王国イスラエル王国・ハンガリー王国には存在感のある湖があります。バスク地方には湖がないですね。

 

 

11月1日から11月30日にはWikipedia:ウィキペディア・アジア月間 - Wikipediaが開催されています。小規模な記事ながら「バグラトゥニ朝アルメニア」を作成する予定です。