振り返ればロバがいる

Wikipediaの「利用者:Asturio Cantabrio」によるブログです。ロバです。東京ウィキメディアン会・関西ウィキメディアユーザ会所属。

第1回ブラトヨハシに参加しました

※注釈がない写真はAsturio Cantabrioが撮影したものです。

 

 

先週末の9月10日(土)、Code for MIKAWAが主催した第1回ブラトヨハシに参加しました。ウィキペディアタウンとマッピングパーティを同時に行うエディタソンで、ウィキペディアタウンとしては東海地方初、愛知県初です。

 

会場はJR豊橋駅から徒歩10分のこども未来館「ここにこ」。豊橋市が近年に行っている3つの大型施設のひとつだそうです。児童研修施設の「ここにこ」(2008年)と穂の国豊橋芸術劇場「PLAT」(2013年)はすでに開館しており、残りはまちなか図書館が入る複合施設(2019年予定)だけだそう。

 

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画像 : こども未来館「ここにこ」と、敷地内の庭園にあったマンホール。きれいな青空が広がった。

 

街歩きする

午前中は「ここにこ」でWikipediaOpenStreetMapの説明、市内で昼食を取ってから午後に街歩きを行い、再び「ここにこ」に戻ってWikipediaOSMの編集作業を行います。参加者は39人。愛知大学地域政策学部まちづくりコースの学生さんが9人参加しており、若さと人数が合わさって活気あふれるイベントとなりました。

コースは2つ。「水上ビル」コースと「吉田城コース」があり、それぞれWikipediaを編集する方とOSMを編集する方に分かれます。私は「水上ビル×Wikipedia」のコースに入る。まずは「勢川」で昼食を取りますが、入る前も出た後も店の前にはお客さんが並んでいました。

昼食後には南に向かって歩き、豊橋駅を通り越して水上ビルへ。「豊橋ビル」「大豊ビル」「大手ビル」の総称である水上ビルは東西に800mほど伸びており、この日は「大手ビル」以外の約500mを散策しました。実際には「大豊ビル」だけでもいくつかの棟に分かれており、さらに棟によって階数が様々。豊橋市まちなか活性課が作成した下記のパンフレットによると、「大豊ビル」だけで9棟に分かれているようです。

http://www.1484machinaka.jp/wp-content/uploads/2014/03/monomap01.pdf

 

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画像 : 水上ビルは、西から豊橋ビル、大豊ビル、大手ビル。OpenStreetMapより。

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 画像 : 水上ビルチームが入った「勢川本店」(左)。吉田城チームが食べたという菜飯田楽。(右)。菜飯田楽は参加者のkmsnkさんが撮影(Wikimedia Commonsより)。

 

空き店舗も多いのですが、過去数年で新しく開店した店も多い印象を受けました。今はまだ活性化の取組みの途中といったところですが、5年くらいすると見違えるように変わるかもしれません。

水上ビルは「あいちトリエンナーレ2016」の会場にもなっています。この日もトリエンナーレの客と思しき方を何人も見かけ、トリエンナーレの会場を探している(おそらく地元の)おじいさんに道を聞かれました。

 

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画像 : 「大豊ビル」(左)。建物の側面と橋脚(右)。

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画像 : 黄色いプレートはあいちトリエンナーレの証。その建物には風俗営業のマークが。

 

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 画像 : 大豊ビル前で話し込む参加者(左)。1964年完成なので2015年(?)が50周年らしい(右)。

 

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 画像 : 県営住宅だという「大手ビル」。水上ビル付近には電線がないので写真写りがいい。

 

 

編集する

水上ビルの街歩きを終え、路面電車が走る駅前大通りや、かつてのメインストリートである広小路通り(旧市電通り)を通って「ここにこ」に帰ります。OSM班、Wikipedia水上ビルコース班、Wikipedia吉田城コース班に分かれて作業を開始。豊橋市図書館司書の方があらかじめ文献を集めて持ってきてくださっているので、その文献を使って作業を行いました。

とはいえ、「水上ビル」という現代に作られた建物の記述を書籍に求めるのは酷だったかもしれません。水上ビルに関する記述があったのは『豊橋百科事典』、『豊橋市の今昔』(写真集)など数点のみでした。このようなキーワードは書籍よりも新聞記事が得意とするところなので、私があらかじめ中日新聞の記事検索などを行ってから新聞記事を印刷して持っていくべきだったかもしれません。

 

ウィキペディアの管理者であるHalowandさんが参加したWikipedia吉田城コース班は、記事「吉田城」の加筆ではなく、「菜飯田楽」の新規作成と「豊橋ハリストス教会」の加筆を試みました。菜飯田楽の場合も書籍に言及を見つけるのは難しそう。新聞記事に加えて自治体広報誌などが参考になるのでしょうか。私が吉田城コースに参加していたら城の歴史にばかり気を取られ、郷土の食文化について想像することはなかったかもしれません。

執筆対象となる記事を「主催者があらかじめ決めておくか」、「参加者がその場で選ぶか」ですが、私が参加した大山道や高遠のウィキペディアタウンでは前者、京都や今回の豊橋では後者でした。どちらが良いとも言い難いところです。

大豊水上ビル - Wikipedia

菜飯田楽 - Wikipedia

豊橋ハリストス正教会 - Wikipedia

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画像 : OSMチームの発表(左)とWikipediaチーム菜飯田楽班の発表(右)。

 

春頃から本イベントの開催を楽しみにしており、盛況の中で終わったことをうれしく思います。が、私Asturio Cantabrioは今回のイベントで主催者のCode for MIKAWAの方々ならびに開催に関わった皆さんに多大な迷惑をかけてしまいました。胃がキリキリ痛むような思いをさせてしまって本当にすみません。

 

 

1966年の水上ビル

ところで、豊橋市総務部広報課がちょうど50年前の今頃に発行した『豊橋の60年』という書籍に、豊橋市街地の航空写真を見つけました。大豊ビルと豊橋ビルは写っていますが、現在の大手ビルの部分はまだ牟婁用水がむきだしになっているようです。1966年9月発行ということなので、1964年の大豊ビル完成からわずか2年ほど。周りに高い建物は少なく、今よりもはるかに存在感が大きいのがわかります。

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画像 : 中央下が国鉄豊橋駅豊橋駅から上(東)に向かって、濃い影を落としながら伸びている建物が水上ビル。この書籍は今年末まで豊橋市著作権を有していると考えられますが、ブログへの掲載許可は取っていません。