振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

高浜町中央図書館を訪れる

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(写真)JR小浜線若狭高浜駅

 

 

2019年6月、福井県の嶺南地方にある大飯郡高浜町を訪れました。

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(地図)若狭湾周辺における高浜町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

高浜町を訪れる

高浜町役場

高浜町福井県の最西端に位置する自治体であり、大飯郡おおい町のほかには京都府舞鶴市綾部市にも接しています。人口は1万1000人ですが、関西電力の高浜発電所原子力発電所)があるため財政的には豊かです。2016年9月には高浜町役場と高浜公民館の複合施設が竣工していますが、延床面積は7,414m2であり、日本設計による作品紹介に掲載された館内の写真を見ると、とても人口1万人の自治体の役場とは思えません。

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(写真)高浜町役場・高浜公民館。

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 (写真)高浜町役場・高浜公民館。左が役場部分、右が公民館部分。

 

愛知県高浜市

余談ですが、愛知県の西三河地方には人口約5万人の高浜市があります。愛知県の高浜市役所の新庁舎が開庁したのは2016年12月であり、福井県高浜町役場の開庁からわずか3か月後のことだったようです。高浜市は市役所の建物を単独で建設し、公民館と小学校を一体的に整備しています。このため単純な比較はできないのですが、市役所/町役場の建物だけを比較すると、どちらが人口1万人の自治体でどちらが5万人の自治体なのかわかりません。

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(参考写真)愛知県の高浜市役所。

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(写真)福井県高浜町と愛知県高浜市の位置関係。©OpenStreetMap contributors

 

高浜町中央図書館を訪れる

高浜発電所は1974年に運転開始した原子力発電所です。若狭高浜駅から徒歩5分の場所に高浜町文化会館がオープンしたのは1985年であり、2015年にリニューアルオープンしています。790席の大ホール、定員183人の小ホールなどがあり、また高浜町中央図書館があります。2018年度までは定期休館日が「毎週月曜」でしたが、2019年4月1日には「毎週火曜」に変更されています。

高浜町中央図書館の延床面積は663m2ということですが、ワンフロアにゆったりと書架が配置されているせいか、床面積以上に広く見えます。新聞雑誌コーナーには、大学図書館のようなカラフルな椅子や机もありました。この日のテーマ展示はノートルダム大聖堂の火災を踏まえた「文化遺産」でしたが、その裏側にあった「裏特集 悪党どもに情けは無用」というテーマ展示のほうが魅力的でした。

 

原発立地自治体の図書館

原発立地自治体の図書館を訪れるのは2館目。中部電力が運用する原子力発電所は1か所しかないため、なかなか原発立地自治体を訪れる機会がありません。中部電力浜岡原子力発電所静岡県御前崎市に立地していますが、御前崎市立図書館(旧・浜岡町立図書館)もやはり、町の規模を考えると別格レベルの立派な建物でした。御前崎市立図書館に原発関連コーナーがあったかどうかは覚えていないのですが、高浜町中央図書館の郷土資料コーナーの脇にある「原子力関係図書コーナー」はかなり目立っていました。原発について深く考えさせるような展示を行っているわけではなく、単なる常設コーナーではありますが、『原子力年鑑 各年版』から原発に批判的な新書類まで、数多くの文献が集められていました。

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(左)高浜町中央図書館が入っている高浜町文化会館。(右)高浜町中央図書館の入口。

 

 

高浜町を歩く

旧丹後街道

JR若狭高浜駅から徒歩5分ほどの場所には旧丹後街道が通っており、「ふくいの伝統的民家」が4軒ならんでいるエリアもあります。福井県の典型的な民家建築についてはこちらに説明がありました。このサイト内には福井県の典型的な農家建築の写真が数多く掲載されていますが、素人目にも共通点がわかっておもしろい。2009年度時点では、高浜町で選定された「ふくいの伝統的民家」は福井県で7番目に多く、明治時代以前の建築に限ると福井県で5番目に多いようです。

2018年6月23日には高浜まちなか交流館がオープン。旧丹後街道に面した明治時代の和菓子屋を改修しており、イベントを開催するなどして高浜町の魅力発信拠点になっているそうです。平日の夕方ということもあって、建物内に観光客はいません。まちあるきマップのようなものが欲しかったのですが、そもそも作成していないのか、館内にはありませんでした。

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(写真)旧丹後街道にある「ふくいの伝統的民家」に選定されている4軒。

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 (左)「望郷の灯りと石」。1994年建設。(右)高浜まちなか交流館。2018年オープン。

 

佐伎治神社

佐伎治神社(さきちじんじゃ)は式内社の旧県社であり、巳の年と亥の年の6年ごとに、御霊会として高浜七年祭を開催しています。嶺南では規模の大きな神社/祭礼に思えますが、Wikipediaにはまだ佐伎治神社の記事も高浜七年祭の記事もありません。

高浜七年祭が前回開催されたのは2013年ということで、今年の6月23日から29日に高浜七年祭が開催されます。ゼンリン社によって神輿位置の動態管理が行われるそうで、愛知県豊橋市豊橋鬼祭で実施されたおにどこに類似するサービスでしょうか。

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 (左)佐伎治神社の鳥居。(右)佐伎治神社の社殿。

辰野町の映画館

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(写真)辰野駅前の本町通り。2018年10月。

 

2018年10月28日(土)に諏訪市図書館で開催された「信州・酒ペディア in 上諏訪」の前日、長野県上伊那郡辰野町を訪れました。

 

辰野町を訪れる

近世の辰野村は小規模な農村であり、1906年明治39年)の国鉄中央本線(現・JR中央本線辰野駅開業、また1909年(明治42年)の伊那電気鉄道(現・JR飯田線)開業を機に発展しました。大正時代から昭和戦前までがもっとも華やかだったそうですが、現在でも味のある街並みが残っています。

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(地図)愛知県から見た辰野町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

JR辰野駅前の本町商店街を歩き、街並みの写真を撮りながら辰野町立図書館を訪れたのですが、辰野町警部交番(旧・辰野警察署)の外観を撮ったら小走りで近づいてきた警察官に職務質問を受けました。愛知県から何をしに来たのか聞かれたので、「諏訪市図書館でWikipediaを編集する怪しいイベントのために来た」「(今日は観光だけど)明日は観光とも仕事ともいえない」と伝えましたが、「まちあるき」という趣味を理解してくれない警察官だったようで、こちらの意図は伝わってなかったと思います。平日の昼間から観光地とは言えない地方都市を歩いていると怪しまれるので気を付けましょう。

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(写真)伊那警察署辰野警部交番。2018年10月。

 

辰野町の映画館

辰野劇場(-1970年代初頭)

所在地 : 長野県上伊那郡辰野町1672(1969年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

1930年・1950年・1953年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「辰野劇場」。

詳細は「伊那地方の映画館 - 消えた映画館の記憶

 

1930年の映画館名簿にはすでに辰野劇場が登場します。まだ長野県には長野市松本市上田市の3市しかなかった時代。当時の長野県に映画館は28館しかありませんでしたが、うち12館が南信地方にありました。これ以後、1969年の映画館名簿までは辰野劇場が掲載されていますが、1973年の映画館名簿には掲載されていません。

 

日本の映画館客数がピークを迎えたのは1958年。日本の映画館数がピークを迎えたのは1960年。『伊那毎日新聞』には「今週の映画案内」が掲載されていますが、1959年9月2日に映画案内は以下の通りでした。高遠文化会館(上伊那郡高遠町、現・伊那市)、赤穂銀映(駒ヶ根市)、赤穂キネマ(駒ヶ根市)、伊那電気館(伊那市)、伊那旭座(伊那市)、伊那中央劇場(伊那市)、松島映劇(上伊那郡箕輪町)、辰野劇場(上伊那郡辰野町)の8館が掲載されています。

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(写真)「今週の映画案内」『伊那毎日新聞』1959年9月2日


私が辰野町を訪れるすぐ前に出た『広報たつの』2018年10月号には、1949年6月29日に辰野劇場が第1回信州辰野ほたる祭りの会場となったとする言及があります。辰野町立図書館で辰野劇場の場所についてレファレンスしたところ、図書館の文献ではお手上げといった感じでしたが、『広報たつの』の製作スタッフに電話で連絡を取ってくれました。「辰野駅前の本町通(商店街)、スワ時計店の角を南東に入った場所」とのことです。 現地を訪れてみると整地されたばかりでした。

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(写真)辰野町立図書館。左側の緑屋根は近年に増築したスペース。

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(写真)辰野劇場跡地。「立入り禁止」の文字の辺りが建物入口だった。2018年10月。

 

Google ストリートビューを見てみると、2014年8月撮影のストリートビューには辰野劇場の建物が写っています。「N●●●● SHOPPERS 辰野店」という文字が見えるため、スーパーマーケットとして使用されていたのでしょう。

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 (写真)2014年8月時点の辰野劇場。Google ストリートビュー。©Google

 

国土地理院地理院地図にも辰野劇場の赤い屋根が写っています。整地されてしまった辰野劇場跡地ですが、数年前までは建物が建っていたようです。

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(写真)辰野市街地における辰野劇場の位置。地理院地図 空中写真 2016年4月撮影

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(写真)辰野市街地における辰野劇場の位置。地理院地図

 

辰野劇場に関するより詳しい言及は期待できないと思っていましたが、意外な雑誌から見つけました。日本地図センターが刊行している『地図中心』2017年6月号の特集は「辰野町」。2009年に辰野美術館が作製した「たつのロマンを歩く」という地図が掲載されており、本町周辺の近代化遺産に混じって辰野劇場も掲載されています。昭和30年代の写真を見ると、近年まで建っていた建物とは異なるようです。ウェブ検索してもこの地図のことは出てこないし、私が辰野町を訪れた際もこの地図の存在には気づきませんでした。とても良い地図なので辰野駅や観光案内所などで配布してほしいし、辰野町立図書館に所蔵されていてほしいと思いました。

『地図中心』に寄稿された文章を読む限り、2017年時点ではまだ辰野劇場の建物が健在でした。私が辰野町を訪れるのが1年早かったら、映画館時代の建物に出会えていたかもしれません。残念。

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(地図)「たつのロマンを歩く」。中央左に辰野劇場。©辰野美術館

 

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三国町の映画館

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(写真)三国町の街並み。

2019年(令和元年)5月末、福井県坂井市三国町(旧・福井県坂井郡三国町)を訪れました。「坂井市立三国図書館を訪れる」からの続きです。

 

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1. 三国町の映画館

1960年代の映画館名簿によると、三国町には3館の映画館がありました。同じ坂井郡自治体では、丸岡町は2館、春江町は1館、芦原町は1館、金津町は1館であり、現在の坂井市/あわら市域ではもっとも多くの映画館があった町です。

映画館名簿に書かれている各館の住所は現存しない地名であり、3館があったのは「三国町のどこか」ということしかわかりません。また、三国町の映画館についてウェブ検索すると、「(3館ではなく)2館の映画館があった」ということだけしかわかりません。そこで、現地を訪れて映画館の跡地を明らかにしました。

普段は①県立図書館で古い住宅地図を調べてから、②映画館跡地を訪れて痕跡を確認する、という形を取りますが、今回は先に県立図書館を訪れる余裕がなかったため、①現地を訪れて聞き取りを行ってから、②坂井市立三国図書館で文献がないか探すという形をとっています。結果を航空写真にマッピングしたのが以下の図です。

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(写真)三国町にあった映画館の位置。地理院地図 空中写真 2008年撮影

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(写真)三国町にあった映画館の位置。地理院地図 空中写真 1961年-1969年撮影

 

1.1 港劇場(1952年11月-1965年頃)

所在地 : 福井県坂井郡三国町喜宝(1965年)
開館年 : 1952年11月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1952年11月開館。1953年の映画館名簿では「港座」。1955年の映画館名簿では「港劇場」。1958年の映画館名簿では「ミナト劇場」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「港劇場」。1965年の映画館名簿では「ミナト劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「宮崎病院南西60mの宮崎病院駐車場。

60代と思われる三国湊町屋館の女性スタッフに話を聞くと、「宮崎病院の近くに映画館があったと思う」とのこと。一方で、やはり60代と思われるマチノクラの女性スタッフからは、「病院の近くではなく、専了寺の近くではなかったか」と聞きました。

地方都市に住むこの年代の女性にとって、映画館での映画鑑賞というのは男性の趣味という意識が強いのではないかと思います。この2人の女性からは「どのあたりに映画館があったか」を聞くことができましたが、具体的な館名は登場しませんでした。

 

坂井市立三国図書館で『1981年 坂井郡住宅明細図 三国・芦原』を確認したところ、三国町喜宝には「港アパート」があります。映画館名簿には番地まで掲載されていないので、港アパートの場所に港劇場があったことが確実であるとは言えませんが、名称や航空写真から、この場所に港劇場があった可能性が高いと思われます。

図書館の後に現地を訪れると、港劇場があった場所は宮崎病院の駐車場となっていました。この駐車場の場所を言葉で説明すると、「病院と寺院の間にある路地を20m進んだ場所」であり、三国湊町屋館とマチノクラで聞いた話はどちらも間違いではありませんでした。

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(左)宮崎病院駐車場。港劇場跡地。右奥が宮崎病院

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(右)宮崎病院三国駅から徒歩1分。

 

1.2 三国座(1934年8月-1968年頃)

所在地 : 福井県坂井郡三国町堅71(1968年)
開館年 : 1934年8月
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1934年8月開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1966年・1968年の映画館名簿では「三国座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「見返り橋」北60mの空き地。

60代と思われる三国湊町屋館の女性スタッフからは、「遊郭があったあたりに映画館があった。市民館の近くから坂を下った場所にあった」と聞きました。

坂井市立三国図書館で『1981年 坂井郡住宅明細図 三国・芦原』を確認したところ、三国町堅には「三国座アパート」があります。1960年代の航空写真を見ると、三国座アパートの場所には1960年代から巨大な建物が写っています。建物の名称や航空写真から、空き地の場所に三国座があったことが確からしいと言えます。

 

図書館の後に現地を訪れました。三国座があった場所の北東側には小河川(用水路?)が流れており、この小河川を境にはっきりとした段が形成されています。上段と下段の間は崖になっており、歩行者用の階段のみが三国座に通じています。Google maps では自動車が通行可能な道路として描写されていますが、とても無理かと。自動車でアクセスする道路は北西側の一か所のみであり、その突き当りに映画館があったようです。

上段にはそば屋や定食屋がありますが、三国座の周りは写真で見ての通り、民家しか見当たりません。三国座の映画館跡地は何もない場所ともいえますが、なんともいえないフォトジェニックな場所です。上段の道端では70代と思われる3人の婦人が井戸端会議をしていたため、三国座があった場所について聞いてみましたが、私が撮った写真に「写っている空き地で間違っていない」と教えてくれました。

なお、2008年に撮影された航空写真には映画館らしき巨大な建物が写っています。閉館したのは1960年代後半ですが、その後半世紀ほどは建物が残っていたのは驚き。取り壊し前に訪れることができなくて残念です。しかし、映画館の建物をそのままアパートとして使っていたのでしょうか。

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(写真)三国座跡地の空き地。

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(写真)三国座跡地の空き地。

 

1.3 みくに東映劇場(1957年頃-1970年頃)

所在地 : 福井県坂井郡三国町今新46(1970年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1970年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「みくに東映」。1963年の映画館名簿では「三国東映」。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「みくに東映劇場」。1971年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「金鳳寺」北北西30mの「三国北幼稚園」廃墟。

60代と思われる三国湊町屋館の女性スタッフからは、「もう使っていない幼稚園の建物の場所に映画館があった」「私が子どもの頃に、映画館から幼稚園に建て替えた」とも聞きました。

坂井市立三国図書館で『1981年 坂井郡住宅明細図 三国・芦原』を確認したところ、三国北幼稚園の所在地は「三国町今新46」。映画館名簿におけるみくに東映劇場の所在地も「三国町今新46」であり、幼稚園の場所にみくに東映劇場があったことが確からしいと言えます。

図書館の後に現地を訪れると、伝統的な街並みの中に黄色く塗られた幼稚園の建物が残されていました。幼稚園が建てられた50年前には、周囲の街並みとのギャップで反発もあったかもしれませんが、現在では逆に街並みに溶け込んでいるように見えます。

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(写真)三国町立三国北幼稚園の建物。みくに東映劇場跡地。

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(写真)三国町立三国北幼稚園のすぐ北側の街並み。

 

三国町にあった映画館について調べたことは「福井県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(福井県版)」にマッピングしています。

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坂井市立三国図書館を訪れる

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(写真)みくに龍翔館。明治・大正期の三国にあった龍翔小学校のデザインを模した郷土資料館。

2019年(令和元年)5月末、福井県坂井市三国町(旧・福井県坂井郡三国町)を訪れました。「三国町の映画館」に続きます。

 

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1. 三国町を訪れる

坂井市福井市の北側に隣接する町。2006年(平成18年)に坂井郡三国町丸岡町春江町、坂井町が合併して発足した市であり、三国町坂井市の北西端にあります。坂井郡6町のうち4町は坂井市としてまとまりましたが、2町は坂井市発足2年前の2004年(平成16年)にあわら市となりました。坂井市となった4町の中で三国町だけが離れた位置にあります。

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(地図)福井県における坂井市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

1.1 三国駅周辺

福井市街地から三国市街地までえちぜん鉄道三国芦原線に乗りました。運転士のほかにはこの記事に登場するアテンダントの方も乗車していました。三国駅の木造駅舎は2018年(平成30年)3月26日に竣工したばかり。建物内には観光案内所やカフェが併設されており、三国観光の起点という雰囲気があります。

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 (写真)えちぜん鉄道三国芦原線の電車。

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 (写真)三国駅駅前通り。

 

1.2 旧市街地

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 (写真)かつての三国湊周辺。

 

三国町の古くからの中心市街地には、正面が朱色に塗られた三国湊町屋館という観光案内所があります。三国湊町屋館の西側には旧岸名家という展示施設があり、さらに西側にはマチノクラという展示施設があります。2016年3月にオープンしたマチノクラでは、竹下景子三国町を歩く動画などで歴史や産業を学べるようになっています。

明治時代の三国港は、小浜港や敦賀港を抑えて福井県最大の商業港であり、1879年(明治11年)時点の港湾移出額を見ると福井県全体の62%を占めていました。福井県立三国中学校(現・福井県三国高校)は、福井中学校(現・藤島高校)、大野中学校(現・大野高校)、武生中学校(現・武生高校)、小浜中学校(現・若狭高校)に続いて福井県で5番目の旧制中学校。明治・大正期には坂井郡域で中心的な地位にあったことがわかります。

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 (写真)見学施設の旧岸名家。左側は三国湊町屋館。

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 (写真)展示施設のマチノクラ。

 

三国湊町屋館から東を見ると見学施設の旧森田銀行本店 - Wikipediaがありますが、この建物は福井県に現存するもっとも古い鉄筋コンクリート造の建築物だそうです。

1920年大正9年)の竣工時、三国の経済は衰退しつつあったようで、10年後には福井銀行に吸収されています。周囲の民家群からはやや浮いた印象。三国湊町屋館と旧森田銀行本店の間には1本の大きなタブノキが植わっていますが、この場所は岸名家とともに三国有数の豪商だった内田家の邸宅跡だそう。

これまでの中心市街地には、建物内をただ見学するだけの施設(旧岸名家と旧森田銀行本店)しかありませんでしたが、三国町の歴史や産業を概観できる展示施設(マチノクラ)がオープンしたのは大きい。自動車で東尋坊越前松島水族館芝政ワールドを回るだけだった観光客を中心市街地にひきつけることができるのでは。

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 (写真)見学施設の旧森田銀行本店。


三国の中心市街地と瀧谷寺三國神社はやや離れているので、三国湊町屋館でレンタサイクルを借りました。

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(写真)三国湊町屋館で借りたレンタサイクル。

 

三国祭りの山車蔵

三國神社の例祭である三国祭は、私が訪れる1週間前(5月19日-21日)に開催されたばかり。坂井市は三国祭が 「北陸三大祭のひとつである」と謳っています。三国の中心市街地にはいたるところに山車蔵があり、どの山車蔵も新しいです。

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 (左)下新区山車蔵。(右)上八町山車蔵。

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(左)元新区山車蔵と旧森田銀行本店。(右)四日市区山車蔵。

 

三国町の街並み

三国町の旧市街地には戦前に建てられた民家が多く残っており、また街並みに溶け込む外観で新築された建物も多いので、歩いているだけで楽しい。坂井市による建築物の新築や修復の際の補助制度はあるようですが、古い民家が取り壊されずにここまで残っているのには驚きます。三国町といえば東尋坊 - Wikipediaという全国区の観光地がありますが、私にとってはこの街並みを歩いているほうがずっと楽しい。

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(写真)見返り橋。

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(写真)思案橋

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(写真)遊郭跡地にある坂道。

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 (写真)三国町神明一丁目。いずれも屋根が特徴的。

 

1.3 瀧谷寺三國神社

瀧谷寺 - Wikipedia(たきだんじ)は真言宗智山派の寺院。本堂、観音堂、方丈及び庫裏、開山堂、鎮守堂、山門と、建造物だけで重要文化財が6棟もあります。 庭園は国指定名勝であるし、宝物殿にある「金銅宝相華文磬」(こんどうほうそうげもんけい)は国宝です。磬 - Wikipedia(けい)とは中国起源の打楽器の一種だそう。

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(写真)瀧谷寺山門。重要文化財

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 (写真)瀧谷寺庭園。国指定名勝。

 

三國神社 - Wikipedia式内社であり、旧社格は県社。例祭の三国祭が福井県指定無形民俗文化財に、随身門が福井県指定有形文化財に指定されています。なお、三国駅前には村社の氷川神社があります。

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(写真)三國神社鳥居。銅板を巻き付けた銅製鳥居。

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 (写真)三國神社随身門。福井県指定文化財

 

2. 坂井市立三国図書館を訪れる

2.1 図書館の歴史

三国町立三国北小学校は京福電鉄三国芦原線南側の橋本区にありましたが、1988年に三国芦原線北側に移転。三国町は小学校跡地に公共図書館と公共ホールの複合施設の建設を計画し、1993年(平成5年)にみくに文化未来館が開館しました。2006年(平成18年)に坂井市が発足したことで、三国町立図書館は坂井市立三国図書館に改称しています。

三国町は港町だけあって建物が密集しており、中心市街地に大規模な公共施設を建設するのは難しい。小学校の移転という好機を活かしました。小学校跡地に建設されたため、建物内も敷地も広々としています。総蔵書数は坂井市立の4館の中で3番目だそうですが、1階の開架室は広々としていて居心地がいいです。

みくに文化未来館の図書館は2代目であり、初代三国町立図書館は1960年(昭和35年)に開館したようです。町立図書館としてはかなり早い時期の開館であり、三国町の歴史の古さを物語っています。

 

2.2 図書館の郷土資料

郷土資料室は2階にありますが、1階のカウンターで使用申請書を書かないと入室できないし、2階に上る階段は郷土資料室の使用者がいるとき以外は封鎖されています。郷土資料室をこのように運用している図書館の場合、1階の開架室にも郷土資料コーナーがあることが多いのですが、三国図書館にはそのようなコーナーも見当たらず、三国町の歴史や産業についての理解が深まる施設にはなっていません。建物は新しいのにこのような運用がなされているのは残念です。

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(写真)坂井市立三国図書館。