振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウン in 春日井 vol.1」に参加する

2019年2月2日(土)、愛知県春日井市の中部大学で開催された「ウィキペディアタウン in 春日井 vol.1」に参加しました。

「ウィキペディアタウン in 春日井」を開催します コミュニケーション学科 中部大学

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(写真)尻冷し地蔵の全景。作者 : 円周率3パーセント

 

 

1. 中部大学を訪れる

中部大学人文学部コミュニケーション学科では、3・4年生を対象に「情報文化プロジェクト」(要するにゼミ)を行っており、その1つである「柳谷プロジェクト」(柳谷啓子先生のゼミ)が今回のイベントの主催者です。

柳谷ゼミでは2018年度にもWikipediaの編集を絡めた取り組みを行っており、中部大学 - Wikipediaに文章を加筆したり、写真を追加したりしています。2019年度には地域住民も巻き込んだイベントを行っていくようで、その第一弾として企画されたのが今回のイベントです。

 

Wikipediaによると、中部大学は7学部を持つ総合大学で、学生数は約11,000人。春日井市の郊外に38万m2という広大なキャンパスを有しています。そのルーツは名古屋第一工学校、大学開校時の名称は中部工業大学のとのことで、工学部が主体の大学のようです。柳谷先生は「図書館には人文学系の文献が少ない」と嘆いていましたが、学食を食べただけでも男子学生主体の大学だということがよくわかりました。

柳谷先生は2017年11月23日に岐阜女子大学で開催された「ウィキペディアタウンin岐阜」に参加して、Wikipediaが大学での教育に使えるのではないかと思ったそうです。岐阜でのイベントには私も参加しています。このイベントでは「弥八地蔵 - Wikipedia」と「岐阜女子大学デジタルミュージアム - Wikipedia」を新規作成したのですが、Wikipediaの編集対象としての面白さには2記事の間で大きな差があり、弥八地蔵を編集したグループがうらやましかったのを覚えています。

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(地図)愛知県における春日井市の位置。©OpenStreetMap contributor

 

2. ウィキペディアタウン in 春日井

この日のスケジュールは以下の通り。25号館(人文学部棟)にある2514講義室(パソコン教室)が会場です。まずは柳谷先生から自前の資料によるWikipediaの説明を聞き、その後、大学から徒歩数分の場所にある尻冷やし地蔵を見学。写真のアップロードを行い、昼食を挟んで「尻冷し地蔵 - Wikipedia」と「退休寺 - Wikipedia」の新規作成を行いました。

 

スケジュール

10:00-10:30 Wikipediaの説明(2514講義室)

10:30-11:10 尻冷し地蔵の見学

11:10-11:30 写真のアップロード(2514講義室)

11:30-12:10 Wikipediaの編集(2514講義室)

12:10-13:00 各自で昼食

13:00-15:00 Wikipediaの編集(2514講義室)

 

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(地図)中部大学と尻冷やし地蔵の位置。©OpenStreetMap contributor

 

参加者は学生が7人、地元の方が8人、ウィキペディア編集経験者が私と円周率3パーセントさんでした。地元の方はいずれも70代以上と思われます。地元の方に話を聞いてみると、尻冷し地蔵の管理者である退休寺の檀家総代や檀家役員の方が数名おり、また中部大学の聴講生(オープンカレッジ、シニアカレッジ)の方も数名おりました。学生に話を聞いてみると、一般教養科目には一定数の聴講生がおり、その中には年配の方も目立つようです。総合大学がある自治体は愛知県でも多くないということに気づきました。

学生はいずれも3年生で、4年生への進級後も柳谷ゼミでWikipediaの編集に関わっていくようです。アカウント作成の仕方、アップロードの仕方、Wikipedia編集の仕方などを地元の方に教える役割を与えられ、手厚いフォローを行っていました。

 

10時からのWikipediaの説明時には、「Wikipediaのアカウント作成」「Wikimedia Commonsへの画像アップロード」「Wikipedia記事の新規作成」を丁寧に説明した16ページのレジュメが配布されました。2019年度に行うWikipedia関連イベントの狙いとして、「地域の情報を世界に公開することで地域の活性化につなげる」「観光や地域ガイドアプリへのスポットの情報提供という二次利用につなげる」という説明がありました。

ゼミ内の学生だけで完結するのではなく、地元の方を巻き込み、また同一学科内の他ゼミも巻き込む意図を感じます。春日井市文化財課や春日井市図書館と連携できればいいのですが、現状では難しいとのことです。

 

尻冷し地蔵の見学時にガイドの説明などはありませんでしたが、参加者はいずれも地域の歴史に興味がある方ばかりであり、また尻冷し地蔵の管理者である退休寺の檀家役員の方などもいたことから、いろいろな話を聞くことができました。

「尻冷し」という名称は、湧き水がつねに地蔵の足元を濡らしていたことに由来します。そもそもこの地蔵は、この地で湧き水を求めて死んだ武士を供養するために建てられたものでした。地図上ではわかりにくいものの、地蔵の裏手はちょっとした崖になっており、湧き水が出ていたのもうなずけます。戦後の土地開発で湧き水が枯れたことで、現在は上水道を使用しているそうです。「尻冷し」とはいうものの、参拝者が頭から水をかけるせいで全身が濡れています。

現在は住宅地から離れた場所にぽつんとありますが、地蔵の前を通る道は下街道 (善光寺道) - Wikipediaであり、中山道名古屋城下を結ぶ重要な街道だったようです。

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(左)尻冷し地蔵。作者 : Wa140074870013。(右)地蔵の前にある清水。作者 : 円周率3パーセント

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(左)馬頭観音作者 : Wa140074870013。(中)念仏供養塔。作者 : Wa140074870013。(右)地蔵盆の子供相撲。2017年8月24日。作者 : 加藤美奈子

 

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(左)準備された文献。(右)学生のサポートでWikipediaを編集する地元の方。

 

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西尾市立図書館を訪れる

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(写真)花時計と西尾市立図書館。2017年7月。マリーゴールドなど主体の夏仕様。

1. 西尾市を訪れる

愛知県西尾市は人口約17万人の自治体。矢作川の最下流部に位置する城下町であり、南側は三河湾に面しています。市北西部の丘陵には西尾茶の茶畑が広がっており、西尾線を運行する名鉄は抹茶スイーツを押し出したキャンペーンを張っています。

2011年には幡豆郡の3町(一色町吉良町幡豆町)を編入したことで、三河湾に浮かぶ佐久島西尾市域となりました。2018年9月には久々に佐久島を訪れ、レンタサイクルで島内を散策しました。

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(地図)愛知県における西尾市の位置。©OpenStreetMap contributor

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(地図)西尾市を構成する旧自治体と4図書館の位置。©OpenStreetMap contributor

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(写真)三河湾に浮かぶ佐久島のイメージ。

 

西尾市立一色学びの館、西尾市立吉良図書館、西尾市立幡豆図書館はいずれも訪問済み。館内では写真を撮らせてもらいました。開館年は1984年(吉良)、1988年(一色)、1992年(幡豆)とやや古いものの、一色学びの館は2018年4月にリニューアルオープンして館内が一新されています。撮影させてもらった館内の写真はWikimedia Commonsにアップロードしています。

Category:Isshiki Manabi No Yakata - Wikimedia Commons

Category:Nishio City Kira Library - Wikimedia Commons

Category:Nishio City Hazu Library - Wikimedia Commons

ayc.hatenablog.com

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(左)西尾市立一色学びの館。(中)西尾市立吉良図書館。(右)西尾市立幡豆図書館。

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(左)一色学びの館の「五感ゾーン」。(中)吉良図書館の郷土の作家コーナー。(右)幡豆図書館の特集展示。

2. 西尾市岩瀬文庫を訪れる

名鉄西尾線西尾駅から旧市街地を通って徒歩20分。鶴城公園内に西尾市岩瀬文庫 - Wikipedia西尾市立図書館 - Wikipediaがあります。1908年に実業家の岩瀬弥助私立図書館として開館させた岩瀬文庫は、明治時代の開館ながら古典籍が中心でした。左記のWikipedia記事2記事は加筆を行いましたが、岩瀬弥助 - Wikipediaの加筆はこれから。“公共図書館” という概念がなかった時代に、屋敷の使用人にも目的を告げずに古書をひたすら集め、蔵書数10万冊(!)という岩瀬文庫を開館させた人物。調べがいがあります。

1955年には岩瀬文庫の蔵書と建物が財団法人から西尾市に移管され、1983年まで市立図書館として使われました。1983年に西尾市立図書館の現行館が開館し、煉瓦造の旧書庫はお役御免。2000年代には新しい閲覧室が建設され、2003年に博物館としての西尾市岩瀬文庫が開館しています。

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(左)岩瀬文庫旧書庫。登録有形文化財。(右)西尾市岩瀬文庫。左が旧書庫、その奥が新書庫。

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(左)「岩瀬弥助翁之像」。(右)図書館脇の庭園。

 

3. 西尾市立図書館を訪れる

1階「幼児・児童・ヤングアダルト

西尾市立図書館は3階建てであり、1階が児童書、2階が一般書、3階がブラウジングコーナーや学習室となっています。1980年代前半の建物なので階段はやや急で、年配者は3階まで上がるのがつらいかも。

西尾市立図書館の建物入口脇には西尾市立図書館おもちゃ館 - Wikipedia(旧岩瀬文庫児童館)があり、1925年頃竣工のこの建物は「日本初の児童館」とされることもあるようです。現在は長期休館中とのことで、今後の活用方法が気になります。

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(左)絵本・紙芝居コーナー。(中)おはなし室。(右)児童テーマ展示「岩瀬弥助」。

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(左)学習漫画コーナー。いらすとやまみれ。(中)児童参考図書。ポプラディア多数。(右)ヤングアダルトコーナー。ドラゴン推し。

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(写真)西尾市立図書館おもちゃ館(旧岩瀬文庫児童館)。登録有形文化財

 

2階「一般開架・参考資料・郷土資料」

2階は西尾市立図書館のメインフロア。カウンターの左手が文芸書、カウンターの正面が一般書、カウンターの右手が参考図書・郷土資料です。

私が図書館を訪れる時には、その町の歴史や産業をざっくり調べてみることにしています。私にとって西尾市と言えば「西尾茶 - Wikipedia」や「佐久島 - Wikipedia」ですが、西尾茶にしても佐久島にしてもWikipedia記事が一番よくまとまっている印象。いちおう「茶」に関する書籍は別置されているのですが、見落としてしまいがちな棚にあるし、冊数は少ないです。このあたりは1980年代開館の古い図書館だということを強く感じます。

西尾市の郷土資料については掘り出し物が多い印象を受けました。近隣の同規模自治体、例えば安城市図書情報館や刈谷市中央図書館と比べても多いです。

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(写真)2階中央部。真ん中にカウンター。

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一般開架。(左・中)書架。(右)個人全集コーナー。

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一般開架。(左)書架。(中)テーマ展示「動物」。(右)自動貸出機。

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(左)参考資料。(右)郷土資料。



3階「新聞雑誌・視聴覚資料・学習室・会議室」

郷土出身の偉人として、小説家の尾崎士郎、詩人の茨木のり子、評論家の外山滋比古については目立つ展示コーナーが設けられています。茨木のり子の実家は旧一色町域、育ったのは旧西尾市域ということで、少女時代の日記には戦前の西尾市にあった映画館「松栄館」も登場します。なお、尾崎士郎については吉良図書館に隣接して尾崎士郎記念館があり、吉良図書館内にも特設コーナーが設けられています。

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(左)雑誌コーナー。(右)持ち込みパソコン室。

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(左)尾崎士郎コーナー、茨木のり子コーナー。(右)外山滋比古コーナー。

 

4. 西尾市立図書館のサル

西尾市立図書館の公式サイト、題字の横にはサルのイラストが描かれています。動物をアイコンに使う図書館は珍しくないですが、かつて西尾市立図書館には実際にサルがいたのだそうです。昭和初期の岩瀬文庫の絵葉書には鳥かごのような猿舎が見えます。猿舎があったのは現在は芝生広場となっている位置のようです。サルはいつ頃までいたのでしょうか。

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(写真)公式ウェブサイト。サルのイラストがある。(右)昭和初期の岩瀬文庫。鳥かごのような猿舎がある。1946年以前に撮影された写真であるため旧著作権法の規定により保護期間が満了している。パブリックドメイン

 

まずはサルが到着した頃について調べます。西尾市立図書館『図書館のあゆみ 平成29年度版』の「沿革」には、サルについての言及自体がいっさいありません。しかし、1994年刊行の『西尾の図書館10年誌』には「1955年にジャワ島産1つがい・台湾産1つがいのサルがやってきた」こと、「1991年10月に猿舎が改築され、ニホンザル7匹に入れ替えられた」ことが書かれていました。1990年代の事業年報にもこの2点は掲載されていましたが、いつサルがいなくなったのかはわかりませんでした。

1955年頃の『広報西尾』を読んでみると、「さっそく愛嬌をふりまいて市民の皆様に可愛がって戴くんだと張切っています」と書かれていました。また「鯉、鮒、あひる、草花等も現物寄託として受付ける」とも書かれており、動物の現物寄託という現代ではありえないことが行われていたようです。

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『広報西尾』1955年7月10日号。公表後50年が経過した団体名義の著作物であるため保護期間が満了している。パブリックドメイン。(左)「市立図書館 岩瀬文庫 庭園 設備を充実する市民運動」。(右)「図書館にお猿さん着く 名前をつけて下さい」。

 

サルがいなくなったのはいつ頃でしょうか。2階のメインカウンターでレファレンスしてみると、最初に対応してくださった20代の職員は「図書館に来たばかりなのでわからない」とのことでしたが、40代(?)の係長さん(?)を経由して館長さんから直接話を聞くことができました。館長さんによると、「サルは1955年からおり、何度か世代交代を繰り返した。近所のおばさんが世話をしていたが、公園の改修のために猿舎を取り壊す必要があり、ニホンザルに入れ替えられてからわずか1年後の1992年に日本モンキーセンターに移された」とのことだそうです。

専任の飼育員がいなかったのはもちろん、図書館職員ではなく “近所のおばさん” が世話をしていたとは驚き。“近所のおばさん” が世話をできない日はどうしてたんでしょう。なお、サルがいなくなった経緯について『広報にしお』などでは確認できておらず、今のところ “館長さんの記憶” のみしかないので、Wikipediaには記載できません。

館長さんの話については文献で裏付けを取りたいです。西尾市立図書館側の資料だけでなく、日本モンキーセンター側の資料も探れば、このニホンザル7匹がどうなったのかわかるかもしれません。

 

5. 西尾市立図書館関連のWikipedia記事

西尾市立図書館に関連して新規作成/加筆したWikipedia記事は以下の通り。

 

西尾市立図書館 - Wikipedia - 大幅加筆

西尾市立一色学びの館 - Wikipedia - 新規作成

西尾市立吉良図書館 - Wikipedia - 新規作成

西尾市立幡豆図書館 - Wikipedia - 新規作成

西尾市岩瀬文庫 - Wikipedia - 加筆

西尾市立図書館おもちゃ館 - Wikipedia - 新規作成

西原吉治郎 - Wikipedia - 新規作成

岩瀬弥助 - Wikipedia - 今後加筆予定

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(写真)西尾市立図書館。2018年12月。ハボタンとパンジー主体の冬仕様。

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愛西市立田町福原地区を訪れる

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 (写真)愛西市立立田南部小学校福原分校。

 

1. 愛西市立田町福原地区を訪れる

愛知・岐阜・三重の3県境に近い愛西市立田町福原地区を訪れました。福原地区は木曽川の西側にある愛知県唯一の地区。愛西市立立田南部小学校 - Wikipedia福原分校は愛知県で唯一の小学校の分校です。

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(地図)愛知県における愛西市立田町福原地区の位置。©OpenStreetMap contributor。

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(地図)愛西市立田町福原地区の拡大図。©OpenStreetMap contributor。

 

「今昔マップ」で1888年-1898年の地形図を確認すると、デ・レーケによる木曽三川分流工事 - Wikipedia以前の福原地区は愛知県と陸続きだったことがわかります。分流工事後から1984年に立田大橋が開通するまでの間、福原地区と愛知県を結ぶ交通手段は立田渡船しかなかったそうです。なお、明治時代の分流工事によって、福原地区は三重県桑名市長島地区(旧長島町)と陸続きとなりました。

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(地図)木曽三川分流工事前の地形図と現在の地形図の比較。時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」©谷謙二。

 

2. 愛西市立立田南部小学校福原分校を訪れる

2017年度の福原分校に在籍していた児童は6年生と3年生1人ずつの計2人。6年生の児童が卒業し、4年生に進級予定の児童が本校への通学を希望したため、福原分校の児童数がゼロとなり、2017年度末をもって休校となりました。福原地区には2019年度に小学校入学予定の児童が2人いるそうですが、保護者が本校への入学を希望したため、福原分校は2018年度末をもって廃校となる予定です。

廃校が報じられたのは2018年11月。コスト面だけを考えればスクールバス等を導入して分校など廃止してしまうだろうに、児童数がゼロになるまで分校を維持していたことに驚きます。なお、愛西市立田地区(旧立田村)と八開地区(旧八開村)の5小学校2中学校は、これから小中一貫校1校に統合される予定があります。

5小学と2中学 統合へ 愛西の旧八開、立田村内 小中一貫校設ける方針 」『中日新聞』、2017年9月9日

立田南部小学校福原分校休校に愛西市政策研究会、2017年11月9日

愛西・立田南部小 福原分校、廃校へ 140年の歴史に幕 来年3月」『毎日新聞』、2018年11月22日

『輪中』の分校 140年の歴史に幕」『朝日新聞』、2018年11月25日
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(写真)愛西市立立田南部小学校福原分校。

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 (左)Google mapには出てこない誓光寺。福原地区の寺院はここだけ。(右)やはりGoogle mapには出てこない国土交通省長良川大橋水質観測所。気になる建物。左奥は木曽三川公園センター「水と緑の館・展望タワー」。

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(写真)福原地区のねこ。

 

3. 愛西市立田地区を歩く

愛西市立田地区(旧・海部郡立田村)の特産品といえばレンコン。全国的に見ると茨城県霞ケ浦周辺の生産量が多いけれど、愛西市の生産量は自治体別で4位だそうです。立田地区には枯れた蓮の茎が目立つ水田が至る所にあり、いくつかの蓮田ではミニショベル(バックホー)も見かけました。ミニショベルで表土を取り除いてからくわで掘ることで、くわのみの場合と比較すると約半分の労力で済むらしいです。収穫作業がもはや土木作業。

稲作を行う水田も多いのですが、地形図上では稲田と蓮田は区別されず、どちらも「田」の記号で表されています。昔は「蓮田」という地図記号もあったらしい。なお、立田村における1993年時点の作付面積は、陸稲が549ヘクタールでレンコンが290ヘクタールでした。

なお、立田地区にはビニールハウスも多い。野菜か何か作っているのかと思いきや、ビニールハウスでもやはりレンコンを生産しているのだそうです。

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(写真)立田地区の蓮田。(右)赤蓮保存田。

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(地図)国土地理院 地理院地図における立田地区中心部。

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長浜市立長浜図書館を訪れる

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 (写真)長浜別院大通寺表参道。

2019年(平成31年)1月初頭、滋賀県長浜市長浜市立長浜図書館を訪れました。

 

1. 長浜市を訪れる

滋賀県長浜市は湖北地方にある人口11.5万人の自治体。琵琶湖岸には秀吉が整備した長浜城があり、市街地には長浜別院大通寺や長浜八幡宮があります。市街地を縦断するように北国街道が通り、北国街道と大通寺の間は黒壁スクエアを中心とするまちづくり事業の成功例として知られています。

平成の大合併では〈旧〉長浜市を含む1市8町が合併して〈新〉長浜市が発足。組織名としての長浜市立図書館は、長浜市立長浜図書館を中心とする6図書館3図書室の大所帯となりました。南部の平野部に6図書館が集まっており、北部に3図書室が集まっています。これらに加えて、滋賀県における現存最古の図書館である財団法人江北図書館 - Wikipediaがあります。

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(地図)滋賀県長浜市の位置。©OpenStreetMap contributor。

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(地図)長浜市における旧自治体と6図書館の位置。©OpenStreetMap contributor。


2. 長浜市立長浜図書館を訪れる

1952年(昭和27年)時点の滋賀県にあった公立図書館は、滋賀県立図書館、彦根市立図書館、水口町立図書館の3館のみ。1983年(昭和58年)には、戦後初・滋賀県4番目の公立図書館として長浜市立図書館が開館しました。滋賀県が図書館先進県となったのは1980年代以後のようです。このように、長浜市立長浜図書館はまだ37年目ですが、組織としての設立・建物の竣工年ともに滋賀県内では古い部類の図書館に入ります。

館内での写真撮影は不可とのこと。団体見学等のイベント時には撮影を許可することもあるそうですが、それ以外は一律で撮影不可としているようです。明快な回答だったので好感が持てました。なお、2016年に訪れた彦根市立図書館でも撮影不可と言われました。

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(左)図書館外観。(中)「あぶない なだれに注意」。時期によって湖北は積雪がある。(右)図書館入口。

 

3. 長浜にあった映画館

私が作成したサイト「消えた映画館の記憶」の「1960年の映画館(近畿地方)」(元の出典は『全国映画館録 1960』)によると、1960年の長浜市には協映劇場(横町)、長浜東映(西本町)、大和映画劇場(南呉服町)、長浜映画劇場(永保町)の4館の映画館があったようです。京都市に近いのが理由か、滋賀県全体でも41館しかありませんでした。大津市6館、彦根市6館、長浜市4館、近江八幡市4館、八日市市3館、草津市3館の順でした。「1980年」には長浜協映と長浜東映の2館に、「1990年」には長浜協映の1館になります。

※1990年には長浜協映のほかに、長浜楽市にドライブインシアターもあった。

 

長浜協映にしても長浜東映にしてもウェブ上の情報で場所は特定できますが、市立長浜図書館にある住宅地図で裏付けを取りました。長浜東映は現在の滋賀銀行長浜駅前代理店の場所にあったそうです。

長浜市史』を確認すると、長浜東映は下郷共済会文庫の建物を転用していたらしい。下郷共済会文庫は下郷久成 - Wikipedia(2代目下郷傳平)によって大正期に開館した私立図書館です。大正時代の文庫が劇場としても使えるほど大きな建物だったことや、1980年代になっても大正時代の建物を劇場としていたことに驚きます。

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 (左)滋賀銀行長浜駅前代理店。長浜東映跡地。(右)有名な長浜タワービル。1964年竣工。

 

長浜市街地に3本あるアーケード街のうち、いちばんさびれているのが浜京極商店街。アーケード中央部の東側、駐車場になっている部分に長浜協映があったようです。長浜協映が閉館したことで湖北地方から映画館がなくなり、長浜市からいちばん近い映画館は彦根ビバシティシネマとなりました。1996年の北近江秀吉博覧会以前に閉館したようですが、正確な閉館時期は不明。長浜市には滋賀夕刊新聞社 - Wikipediaという地方紙があるようですが過去の記事は調べていません。

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 (左)浜京極商店街。(中・右)浜京極商店街にある長浜協映跡地。

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(左)アーケードの大手門通り商店街。(右)アーケードのゆう壱番街祝町通り商店街。

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