振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウンin安曇野松川村」に参加する

 

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(写真)すずの音ホール内から見た松川中央公園と北アルプス

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

 

インターナショナルオープンデータデイ(IODD)の2018年3月3日(土)、長野県北安曇郡松川村で開催された「ウィキペディアタウンin安曇野松川村」に参加した。

 「WikipediaLIB@信州#02【小諸編】」の前日、2017年8月末には個人的に松川村図書館を訪れている。この際は信濃松川駅と松川村図書館を往復しただけで、有名な安曇野ちひろ美術館などには行かなかったため、今回のイベントに参加するのを楽しみにしていた。

ayc.hatenablog.com

 

松川村を訪れる

 愛知県から長野県のイベントに参加する際、JR中央西線で行くと前泊が必要となることが多い。2017年3月のWikipediaLIB@信州 #01の際には長野市で、8月のWikipediaLIB@信州 #02【小諸編】の際には上田市で前泊したが、今回も松本市で前泊した。

 昨年8月と同じように、松本駅から大糸線松川村に向かう。大糸線飯田線と同じように私鉄として建設されたため、駅間距離が短い。松本市街地で見えていた乗鞍岳はすぐに見えなくなり、安曇野市の豊科や穂高市街地では常念岳大天井岳が正面に来るが、松川村に入るとゴツゴツした有明山がひときわ目立ち、信仰の対象となっているというのもうなずける。8時過ぎ、県立長野図書館の平賀館長・小澤さん・AraiSyoheiさんが車で到着するのと同時に松川村図書館に着いた。

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(左)駅前の安曇節会館。(右)駅前の喫茶ロバ。

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(写真)松川村図書館が入っているすずの音ホール。

 

 今回の参加者は地元の大北地域の方が多く、松川村会議長や松川村会議員の方、地元の自治体の行政職員、県内の公共図書館員などがいた。参加者一覧によると、講師を除区参加者は28人、うち長野県内25人、県外3人。長野県内25人のうち一般が21人で、図書館関係者は4人ということだった。主催者による積極的な広報活動の結果、開催日が近くなって参加者がぐっと増えた。図書館員やウィキペディアンではない一般参加者の比率がこれだけ高いウィキペディアタウンは珍しい。

 ウィキペディアンは私のほかに、講師のさかおりさん、のりまきさん、AraiSyoheiさんがいた。のりまきさんだけは執筆グループに入ったが、私、さかおりさん、AraiSyoheiさんは4つの机を回って各班をフォローする形をとった。今回の講師はさかおりさんであるが、イベントの準備途中にはなぜだか私も講師扱いとなった。

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(写真)今回用意された資料。ブックトラックの資料だけでもかなり充実しているけれど、ほんとにすごいのは机に置かれた新聞スクラップ。

 

今回のスケジュール

09:15-09:35 開会

09:40-10:20 講師によるウィキペディアの説明

10:20-10:40 松川村の紹介DVDの鑑賞

10:50-12:00 まちあるき(バスツアー)

12:00-13:15 おひるごはん

13:15-15:45 編集作業

15:50-16:40 成果発表・講評

16:40-17:00 写真撮影・閉会

 

さかおりさんによる講義

 さかおりさんがウィキペディアタウンで講師を務めるのは初めてだとのこと。他地域で講師を務めることの多いくさかさん・らっこさん・Miya.mさんはどちらかというと“管理系”のウィキペディアンであるが、さかおりさんは“執筆系”のウィキペディアン。さかおりさんがウィキペディアに参加したきっかけ、のめりこむようになったきっかけ、有名になったきっかけはウィキペディア15周年イベントなどでも聞いたことがあったが、参加者にとってウィキペディアを身近に感じさせるような講義だった。

「地元の神社の記事がないことが気になっていた」さかおりさんは、「近くにある小学校の記事を書いたらダメだしされ」、「悔しかったから徹底的に調べて書いた」。この小学校の記事、2009年11月にの初版はでは2,300バイトだったが、現在は40,000バイトを超えている。「間違ってもいいから気軽に書いてみよう」「出典がなかったら加えてみよう。今回はそのきっかけ」。との言葉があった。

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(写真)さかおりさんによる「地域情報の発信はウィキペディアから」。地方病の記事も使って説明。

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(写真)松川村の紹介映像。

 

まちあるき(バスツアー)

 イベント前々日には雪が降り、前日には強風が吹いていたというが、この日はよく晴れて風もないうえに暖かかった。図書館のすぐ脇にある松川中央公園で正調安曇節の説明を聞いた後、20数人乗りのマイクロバスと6人乗りのワンボックスカーに分かれて、大和田神社、すずむし公園、安曇野ちひろ公園の3つの目的地に向かった。今回はまちあるきではなくバスで目的地を回り、松川村エコツアーガイド倶楽部の久保田さん(体育会系)と吉澤さん(文化系)がガイドを務めた。バスの走行距離は10km弱。

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(左)イベントの企画者である北アルプス地域振興局の坂田さん。(中)歌碑の前でガイドする吉澤さんと説明を聞く参加者。(右)移動に使ったマイクロバスとワンボックスカー。

 

地域について学び、愛着を高めることで、地域で生まれ育った若者や管内に在住している方の地域への定着に繋げるため、地域に存在する文化財や歴史的建造物等についての記事を作成し、インターネット上の百科事典である「ウィキペディア」に投稿する「ウィキペディアタウン」を開催します。

ーイベントの開催趣旨を公式サイトから引用

 今回は北アルプス“地域振興局”が主導したイベントであり、地域への定着のに繋げる試みのひとつだった。村民なら誰でも知っている神社や公園、村民以外にとっては知らないけれど興味を引かれる目的地、という絶妙な選定だった。

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(写真)巨大な神楽殿や土俵がある大和田神社。

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(左)神戸原扇状地の写真を撮る平賀さんを撮る小澤さん。(右)すずむし公園から見た有明山。

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(左)安曇野ちひろ公園。(中)青空が気持ちよすぎて木登りする参加者。(右)とっとチャン広場に設置されている「モハとデハニ」。

 

  12時過ぎには図書館に戻り、主催者に斡旋された地元の店のお弁当、もしくは信濃松川駅周辺の店でおひるごはん。時間にゆとりがあったので図書館内も見学した。一般書と児童書の混配がこの図書館の特色であるが、他館の公共図書館の方に「作家別に分けられた9類の棚に全集も並べられている」という点を指摘された。なるほど。表紙を隠して帯の内容だけを見せる展示もおもしろい。

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(写真)松川村図書館の書架や展示。

 

Wikipediaの編集作業

 午後は県立長野図書館の小澤さんによる「Wikipedia Townを楽しむために」から。毎回思っているのですが小澤さんと篠田さんはただものではないですよ。さかおりさんがWikipediaに書く記事は「読ませる記事」だそうだけど、小澤さんと篠田さんは「聞かせる説明」で、こちらがはっとするような言葉が何度も出てくる。

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(写真)小澤さんによる編集作業の説明。

 

 さて。今回は私、さかおりさん、のりまきさん、AraiSyoheiさんの4人のウィキペディアンが参加していた。メイン講師であり30分強の講義を行ったさかおりさんとともに、なぜか私も講師という扱いになっていた。のりまきさんは文献を調べてウィキペディアの記事を書くことに絶対の強みがあり、AraiSyoheiさんはファシリテーターとしての能力に秀でている。私がすべきことはなんだろう。

 午後には「大和田神社 (松川村) - Wikipedia」(新規作成)、「松川村図書館 - Wikipedia」(新規作成)、「安曇野ちひろ公園 - Wikipedia」(新規作成)、「安曇節 - Wikipedia」(加筆)の4つの班に分かれて編集作業を行った。 ウィキペディアンの中でのりまきさんだけは班に入ったが、その他の3人は自由に動きながら編集作業をサポートする形をとった。今回は参加者の約2/3がウィキペディアの編集未経験者であり、ウィキペディアタウンの参加経験者も4-5人に過ぎなかった。

 ウィキペディア編集の熟練者がいるとその方が仕切る立場になることが多い。全員が未経験者もしくは初心者であれば、全員が対等な立場でワークショップを進められるかもしれない。参加者の主体性に期待しているこの方法に対しては、「講師が講師としての役割を放棄した」と感じる方もいたかもしれない。

 

私は「安曇野ちひろ公園」の班の状況を気にかけながら、自分でもこまごまとした編集作業を行った。編集対象となった記事に「Template:工事中」を貼ったりノートページにイベントの編集対象となった旨を書いたりした。記事リンクの整備Wikimedia Commonsへのリンク地図や写真ギャラリーの挿入なども。やはり自分には編集サポートという役割がいちばん合う。

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 (写真)編集作業中の参加者。みんな真剣。

 

編集対象となった記事

※成果発表後の講評で述べたことの要約です。

安曇節 - Wikipedia - 加筆

 2014年にMizuhara gumiさんによって作成された記事。Mizuharaさんは安曇野の方ではないはずだが、地域外で入手できる文献で安曇節の概要を手堅く知れるようになっていた。今回のイベントでは『唄え、安曇節』や新聞記事「愛され歌い継がれ安曇節」など、地元でないと入手が難しい文献を使って、既存のきちんとした骨格に肉が付いた。「おもしろみ」の要素が加わった。写真があればなおよいと思い、イベント後には安曇節会館と歌碑の写真を追加した。

 

松川村図書館 - Wikipedia - 新規作成

 昨年8月に個人的に訪れた図書館であり、自分で記事を作成しようかとも思ったけれど、できれば地元の方に作成してもらいたいと思い、またWikipediaLIBでも作成対象にできると思い、作成するのを控えていた。単なる利用案内にとどまっている図書館記事(例えばこれ)も多いが、この記事は特色節が設けられているのがいい。入口のランドセル置き場の存在、顔写真が添えられた作家紹介など、細かいけれど他地域ではなかなか見られない特色についても追記してほしい。

 

安曇野ちひろ公園 - Wikipedia - 新規作成

 高校生や大学生が参加者の中心であれば、編集ワークショップでやるべきことは個別に指示を出してしまうほうがうまくいくかもしれない。参加者が大人であるからこそ、編集ワークショップの2時間半をどう使うかも自分たちで考えてもらうやり方がある。この班は鄭さん以外にウィキペディアタウンの参加者がいなかったが、「何を書くか」について他の班よりじっくり考えたことが記事から見て取れる。公園内にある安曇野ちひろ美術館は有名だけれども、公園そのものについては検索してわかる情報が少ない。公式パンフレットの要約にとどまらない、百科事典とは何かについてよく考えた内容になっている。

 

大和田神社 (松川村) - Wikipedia - 新規作成

 イベントの準備段階で編集対象とする記事を聞き、ひとつひとつぐぐって簡単に調べたが、大和田神社だけはほとんど情報が見つからなかった。イベントの対象にするほどの神社なのか疑問を持っていたが、実際に訪れてみると巨大な神楽殿があったり土俵があったりして興味深い神社だった。この神社の情報をウェブに残せるのはこの地域の人だけだと思ったし、この題材を今回のイベントで取り上げた主催者はイベントの本質を理解していると思った。

 

 イベント後には信濃松川駅前の割烹料理店「いろは亭」で懇親会。松川村の紹介映像にも登場した田鯉のすずめ焼きなどが出てきた。

 

ふりかえり

 今回のイベントの企画者は北アルプス地域振興局。松川村松川村図書館が会場となり、ウィキペディアイベントの開催実績がある県立長野図書館が運営面で協力している。北アルプス地域振興局の中でも特に坂田さんが中心となったが、2017年8月のWikipediaLIB #02【小諸編】で坂田さんとさかおりさんが一緒のグループになったことが開催のきっかけだったらしい。

 2017年7月のウィキペディアタウンin飯田、8月のWikipediaLIB@信州 #02【小諸編】、11月のウィキペディアタウンin福井市東郷も、WikipediaLIB@信州 #01の参加者が自身の所属館で開催を実現したイベントだった。ウィキペディアタウンを長野県各地に広めるというWikipediaLIBの意図は確実に成果を出している。

 

 知り合いが少なくて緊張していたことで中身が今一つだったWikipediaLIB@信州 #01、少しゆとりができて話の内容にもあそびを入れられたWikipediaLIB@信州 #02【小諸編】に続いて、県立長野図書館からは今回も一般参加者と違う役割が与えられた。私は人前で何かしゃべるのが苦手だし、ほぼ即興でしゃべらなければいけない“講評”のような役割を与えられるとどきどきする。もともとのレベルが低いので、1回ごとに目に見える成長がないといけないと思っている。今回はどうだったかな。個人的には、この3回のイベントにいつもいてくれた諸田さんや井原さんの存在が心強かった。

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イベント中や懇親会の最中にはある方といろいろ話す機会があり、また後日にもfacebookのメッセージでやりとりした。初めてお会いした時からこの方にはちょっと苦手意識を持っていたのだけど(ごめんなさい)、やはりすてきな方だと思うようになりました。まだまだこの方に対する距離感はぎこちないのだけれど。

 

 

「Wikipediaブンガク in 神奈川近代文学館」に参加する

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(写真)#2月24日のスカイツリー

 2018年2月25日(日)、横浜市神奈川近代文学館で開催された「Wikipediaブンガク in 神奈川近代文学館」に参加しました。

 

首都圏を訪れる

 この週は木曜日から日曜日までずっと首都圏におり、日曜日のイベントに参加してから帰りました。

 木曜日は横浜の某オフィスで作業。金曜日と土曜日は首都圏を観光し、日野市立図書館、逗子市立図書館(外観だけ)、鎌倉市中央図書館、墨田区立ひきふね図書館、墨田区立立花図書館を訪問。その合間に立川シネマシティと藤沢市鵠沼海岸のシネコヤで映画を観ています。金曜日の夜には「神奈川の県立図書館を考える会」の定例会にも参加。この日の議題は「県立川崎図書館リニューアルオープンを勝手にお祝いする会」についてでしたが、「-考える会」のスケールの大きさに驚きました。

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 (左)日野市立図書館。(中)鎌倉市川喜多映画記念館。(右)鎌倉市図書館旧館。

 

神奈川近代文学館を訪れる

 神奈川近代文学館港の見える丘公園の最奥部にあります。JR桜木町駅で降り、横浜公園山下公園をふらふらしながら目的地を目指しました。文学館という施設になじみがないのですが、愛知県では半田市新美南吉記念館が近いのでしょうか。近代文学に限らなければ名古屋市蓬左文庫西尾市岩瀬文庫があるし、館内に文学者の展示コーナーが設置されている図書館は豊田市中央・田原市渥美・東浦町中央などいくつかありますが、単独施設の近代文学館はどこも集客に苦戦しているという話を聞きます。

 参加者は約15人。県内の公共図書館の方、県内の学校図書館の方、図書館業界の方などがおり、ウィキペディアンとしてはTさん、Sさん、Aさん、AraiSyoheiさんと私の5人。この日は基本的に文学館内の図書室(閲覧室)の資料を用いて編集を行いましたが、『神奈川近代文学館30年史』、『新訂 作家・小説家人名辞典』、『文豪ストレイドッグス』各巻など持ち込みの資料もありました。神奈川近代文学館では文豪ストレイドッグスとのコラボ企画を行っており、1階ロビーには絶えず若い女性がいました。

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(地図)横浜市中心市街地における神奈川近代文学館の位置。港の見える丘公園の中。

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(写真)神奈川近代文学館の展示館。

 

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(写真)イベント開始前の会場。持ち込まれた文献。

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(写真)講師のくさかきゅうはち氏。

 

日本初開催のWikipedia“ブンガク”

スケジュール

10:15-10:20 開会あいさつ

10:20-11:00 講師による説明「ウィキペディアとは」

11:00-12:15 「山川方夫と『三田文学』展」鑑賞

12:15-13:15 おひるごはん

13:15-16:00 文献調査・執筆作業

16:00-16:30 成果発表・ふりかえり

 

 この日のスケジュールは上の通り。午前中には講師による講義と文学展の鑑賞、午後に文献調査と執筆作業です。展示を観る前には文学館の方による解説を聞くことができました。

 今回はウィキペディア“タウン”ではなくWikipeida“ブンガク”という名前であり、“まち”ではなく“文学”をテーマとしているため、まちあるきではなく文学展の鑑賞を行います。“まち”ではない何かをテーマとしたウィキペディアタウン系イベントには、これまでにWikipedia ARTS(芸術がテーマ)、酒ペディア(日本酒がテーマ)、WikipediaLIB(図書館がテーマ)などがありましたが、文学をテーマとするウィキペディアタウン系イベントは日本初とのことです。

 私はARTSにも酒ペディアにもLIBにも参加したことがありますが、芸術や日本酒など文献に残りにくいテーマはWikipediaに記事を作成するのが難しいです。難しいことで取り組む人自体が少なく、イベントなどでやる価値があるとも言えますが。文学というテーマはWikipediaとの親和性が高く、梶井基次郎 - Wikipedia青空 (雑誌) - Wikipedia宮沢賢治 - Wikipedia、など充実した記事も多数あります。今回は「山川方夫と『三田文学』展」という明確なテーマがあり、Wikipediaの編集対象を展覧会の内容に絞ったことで、参加者はすんなりと文献調査・編集作業に取り組めたのではないかと思います。

 

 文献は別棟である本館の図書室(閲覧室)で閲覧します。ふつうのウィキペディアタウンでは主催者や図書館員が事前に文献を集めるか、イベントの参加者がその場で文献を探す必要がありますが、今回は「山川方夫と『三田文学』展」に関する記事が編集対象ということで、展覧会の期間開始前に文学館が展示用の書架に集めた文献を使うことができました。主催者側は負担が減り、参加者側は効率よく調査ができ、文学館側は展示した文献の有効活用の機会になる、うまい方法だと思いました。

 

記事「山川方夫」に写真を掲載する

 私は「山川方夫 - Wikipedia」や「三田文学」を加筆するグループに入りました。編集方法や役割分担などについてはAraiSyoheiさんが仕切ってくれたので、他の方がやらない編集をしようと思い、特に山川の写真の追加を試みました。

 山川は1950年から文筆活動を行い、1965年に亡くなった人物です。まずは図書室で1956年までに撮影された山川の写真を探しました。1956年末までに発行された写真の著作物の著作権は、旧著作権法の規定により消滅しているためです。しかし1956年までに撮影された山川の写真が見つからなかったため、次に1967年までに撮影された写真を探しました。1967年末(50年前)までに公表された団体名義の著作物は著作権が消滅していることから、これらの写真はサイズの制約を受けながらも、ウィキペディア日本語版にアップロードすることが可能であると考えられます。Wikimedia Commonsにはアップロードできません。

 『朝日ジャーナル』1964年10月4日号には以下の写真が掲載されていたため、この写真をウィキペディア日本語版にアップロードしました。ライセンス欄には「米国著作権の保護期間にある著作物」である旨を記載し、420 × 600 ピクセルで90キロバイトという小さなサイズに修正してからアップロードしています。サイズは小さくとも、顔写真は記事の質をぐっと高めます。

「米国著作権の保護期間にある著作物」

このメディア上の著作物は、日本国著作権法に基づく著作権の保護期間は満了していますが、アメリカ合衆国著作権法では著作権の保護期間にあるため、日米両国の著作権法に抵触しない方針をとっているウィキペディア日本語版では、米国法フェアユースの法理に基づき利用しなければなりません。

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(写真)山川方夫。1964年。

 

記事「二宮町」で山川に言及する

 山川は戦時中の一時期に神奈川県二宮町疎開し、また1964年の結婚後には二宮町に住みましたが、国鉄二宮駅前で交通事故に遭って亡くなりました。このように二宮町とは縁が深いにもかかわらず記事「二宮町 - Wikipedia」には山川に関する言及がなかったため、追記することにしました。

 「出身者・在住者」節に山川を加え、「二宮町を舞台にした作品」節に『夏の葬列』と『最初の秋』の2作品を加えました。死後50年が経過しており山川の作品の著作権が消滅していることから、二宮町の風景が目に浮かんでくるような両作品の冒頭部分を掲載しました(この分量なら引用の範囲内でもあります)。

秋の朝だ。私はいま二宮の町を歩いている。私は、まず郵便物を局に持って行き、それから妻の好きな無花果をいくつか八百屋で買い、ついでに薬屋で、ほとんど中毒しかけているアンプル入りの風邪薬を買い、その帰りに、じつはこれはまだ妻の許可を得てはいないが、本屋で『鉄腕アトム』の最新号を買ってくるつもりでいる。…

— 『最初の秋』冒頭部分

 

ふりかえり

 今回の参加者は図書館関係者が多く、調査・編集のスキルが高い方ばかりでした。ウィキペディアタウンに類似したイベントの開催を検討している方も参加しており、彼らがこのイベントにどんな印象を持つのか興味がありました。講師、主催者、一般参加者、ウィキペディアン。イベント中に机からちょっと離れた場所からこの4者の動きを見ていると、いつも大きな発見があります。運営側と一般参加者の間でふわふわしていることの多い私にとっては、特に講師のくさかさんのイベント中の動きから学ぶものは多いです。

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(写真)「山川方夫」「三田文学」を加筆するグループ。私も含めて7人。「愛のごとく」も新規作成されました。

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(写真)「桂芳久」を新規作成中の参加者。

岡崎市立額田図書館の新館を訪れる

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。写真についてはCategory:Okazaki City Nukata Center - Wikimedia Commonsにアップロード済です。地図の出典はOpenStreetMapであり、その作者はOpenStreetMap contributorです。

 

岡崎市額田地区を訪れる

 岡崎市立額田図書館の旧館は2017年12月19日(火)をもって閉館。移転準備期間を経て、2018年2月13日(火)に岡崎市額田センターの中に新館が開館しました。さっそく額田センターを訪れました。

 岡崎市額田地区の鉄道最寄駅は名鉄名古屋本線本宿駅本宿駅から額田地区に向けて10便/日のバスが運行されています。朝と夕方を除けば1本/1時間以下であり、予定を立てるのが難しい。今回は本宿駅から額田地区までの5.8kmを徒歩で往復しました。片道約1時間とはいえ、本宿駅と額田地区中心部の標高差はほとんどない(起伏はある)ため、暖かい日であれば気持ちよく歩けます。

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(地図)愛知県における岡崎市の位置。岡崎市中心部と額田地区の位置関係。

 

2017年10月の訪問時

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(左)額田図書館の旧館。(右)工事中の額田センター行政棟。

 

今回の訪問時

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(左)岡崎市役所額田支所などが入る行政棟。(右)額田図書館などが入る市民交流棟。

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(左)建物入口。(右)市民交流棟の通路。図書館入口前。地元産木材が強調されている。

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(左)市民交流棟の集会室。(右)市民交流棟の研修室。

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 (左)市民交流棟の和室。(右)市民交流棟の「森の駅情報コーナー」。

 

岡崎市立額田図書館に入る

 額田町は2006年に岡崎市に編入された自治体です。合併前の岡崎市の人口は約37万人、額田町の人口は約1万人でした。合併後には額田町立図書館が岡崎市立額田図書館に改称し、岡崎市の図書館は中央図書館と額田図書館の2館体制となりました。岡崎市には図書館2館のほかに、7の地域図書室があります。

 2館体制になったとはいえ、中央図書館が693,402冊(2014年度)の蔵書を持つのに対して、額田図書館の蔵書数は48,791冊にすぎませんでした。地域図書室の中で最も規模の大きな南部市民センター図書室の蔵書数は49,568冊であり、図書館と図書室の間で蔵書数の逆転現象が起こっていました。

 さらに、単独館だった額田図書館旧館の床面積は562m2でしたが、複合施設の一角にある新館の床面積は203.35m2。新館の蔵書冊数は「約20,000冊」であり、床面積も蔵書冊数も旧館の半分以下となりました。南部市民センター図書室との差は大きく広がっています。

 

 額田図書館新館の館内は13m×16mくらいでしょうか。ざっくり言えばフロアの半分が一般書、もう半分がそれ以外(児童書・新聞雑誌)です。最奥部の閲覧席に座っていても、館内にいる他の利用者の気配が伝わってきます。カウンターからの視線も感じ取れると思われます。一方で旧館は閲覧席とカウンターにかなり距離があり、自分の居場所を作ることができました。

 2017年10月には初めて額田地区を訪れ、旧館を見学した後に地区の中心部を歩きました。中心部には商店や飲食店がほとんどなく、地図を見ても郊外にぽつぽつとある程度。中心部を歩きながらお昼ご飯を食べるところを探しましたが、結局見つからなかったのでコンビニで済ませました。わずか11年前までは単独自治体だったことが信じられず、若者がここから離れずにいるのは難しい地区だと感じました。

 新館にはティーンズ向けのコーナーはないようでした。また学習用の席は少なく、最近の新館には設置されていることの多い電源もありません。対象とする利用者層を明確にしたうえで、中高生向けの設備はあきらめたのだろうと思います。財政的には比較的恵まれた西三河地方に住んでいるので、公共施設の統廃合・ダウンサイジングはまだ感覚的に理解できず、図書館が減るなどということは他人事のように思えてしまうのですが、これからは額田図書館のような例も増えるのでしょうね。

 

 さて、肝心の額田図書館の写真は掲載できません。岡崎市立中央図書館や旧館時代の額田図書館でもそうでしたが、岡崎市立図書館は「職員の同伴のもと撮影を認めるが、SNS等へのアップロードは禁止」という対応を撮っているからです。なお、図書館以外の部分を撮影した上記の写真については、額田センターの事務室などで許可を得ていません

 新館にはいつでも行くことができますが、旧館の中にはもう入ることができません。岡崎市はきちんと写真に記録して残しているかな。残してないでしょうね。

「ウィキペディアタウンinしまだ」に参加する

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(写真)島田市博物館。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。地図の出典はOpenStreetMapであり、その作者はOpenStreetMap contributorです。

 

静岡県島田市を訪れる

 2018年2月10日(土)、静岡県島田市で開催された「ウィキペディアタウンinしまだ」に参加した。このイベントは島田市教育委員会が主催したもので、情報ビジネス科を持つ地元の静岡県島田商業高校の生徒6人に加えて、行政関係者、図書館関係者など、計20人弱が参加している。一般からの参加者募集は行っていない。

 ちょうど1年前の2017年2月4日には掛川市で「オープンデータデイ2017 in 掛川 プレイベント」に参加した。この時にも島田商業高校の生徒が参加しており、また個人的に島田市立島田図書館を見学して館内の写真を撮った。

 8時30分頃にJR島田駅に着き、駅から徒歩5分の場所にある大井神社を散策。県社だけあって広い。今回の編集対象である島田大祭で披露される大奴の銅像があった。

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(写真)大井神社にある「島田大祭 大奴」の銅像

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(写真)講師による説明と成果発表の会場であるしまだ楽習センター。建物4階。(右)編集ワークショップの会場である島田市立島田図書館。建物3階。

 

ウィキペディアタウンinしまだのスケジュール

09:30-10:15 しまだ楽習センターで講師による説明(その後マイクロバスで移動)

10:30-12:15 島田市博物館・川越遺跡で現地調査(その後マイクロバスで移動)

12:15-13:00 悪口稲荷で現地調査(その後徒歩移動)

13:00-13:30 図書館で昼食

13:30-16:10 島田市立島田図書館で編集ワークショップ(その後徒歩移動)

16:20-17:00 しまだ楽習センターで成果発表

 

 今回のスケジュールは上の通り。集合場所は島田駅から徒歩1分のしまだ楽習センター。講師の説明を受けた後、2km離れた島田市博物館までマイクロバスで移動し、博物館と島田宿大井川川越遺跡を見学。再びマイクロバスで悪口稲荷まで移動し、悪口稲荷を見学して徒歩で島田市立島田図書館に移動。編集ワークショップを終えると、徒歩で楽習センターに移動して成果発表を行っている。

 この日の講師は海獺(らっこ)さん。 Wikipediaを“ユーザ自身が情報発信を行うサイト”と位置付けて、Facebooktwitter2chクックパッドなどと同列に置いた。主要な参加者が高校生ということで、強調したポイントは「ネットリテラシー」。ウィキペディアの仕組みを理解して編集に携わることで情報リテラシーが向上するとした。「著作権」を強調することが多いくさかきゅうはちさんやMiya.mさんなどの講師とは一味違った説明だった。

 

 東海道における23番目の宿場である島田宿は現在の中心市街地にあった。中心市街地から東に約2km、大井川の東岸には「島田宿大井川川越遺跡」(かわごしいせき)がある。施設など約20か所と街道そのものが国の史跡として指定されている。島田宿は東海道を往来する旅行者のための宿や茶店が立ち並んでいたエリアであり、「川越遺跡」は旅行者を肩車して大井川を越させる川越人足のための待合所が立ち並んでいるエリア、ということらしい。

 現在の中心市街地に近世の島田宿を想起させるような建物はないが、「川越遺跡」は1966年に国の史跡に指定されているだけあって、川越制度全体の事務所である川会所(かわかいしょ)、10の組に分かれていた川越人足のための番宿(待合所)が当時のまま残されている・・・のかと思ったら、これらの番所は近世の建物ではなく明治以降に復元されたものらしい。なんだそれは。なお、番宿のうち数軒は現在も居住者がいる民家であるが、それ以外は見学可能な施設となっている。観光客でにぎわっているわけでもなく、「ひっそりと静まり返った街道」には奇妙な感覚を覚えた。

 川会所では常設のガイドさんが、川越遺跡では文化財課の方がガイドさんが大正について説明してくれた。何か疑問があったときにすぐ質問できるのはうれしい。なお、街道沿いの建物で使用する電柱はセットバックされており、街道の両脇には勢いよく水が流れる水路がある(写真だとこんな感じ)。趣がある屋敷林を持つ島田市博物館分館の前などはとても絵になるのだが、時代劇のロケ地として売り出したりはしないんだろか。

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(地図)まちあるきコース。島田市博物館から旧東海道に出て、口取宿までの道を往復した。

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 (左)島田市博物館の常設展示室にあるジオラマビジョン。(右)街道沿いにある「川会所」。

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(写真)「川会所」でガイドの説明を聞く参加者。

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(左)川越遺跡を歩く参加者。(右)川越遺跡の写真を撮る参加者。

 

午前中の最後には中心市街地にある悪口稲荷へ。この神社では2004年度から「愛するあなたへの悪口コンテスト」が開催されており、境内には歴代の受賞作品が展示されていた。過去5年分の大賞作は下の通り。大賞よりも入賞にニヤリとする作品が多い。公式サイトの歴代受賞作を見ると第1回と直近の回では入賞作の作風がかなり変化している。

2012年度 「空はこんなに青いのに、妻がいる」(31歳、石川県能美市

2013年度 「人参だけの 金平ごぼう」(16歳、静岡県藤枝市

2014年度 「妻は誰か分かるために化粧をする」(56歳、愛知県名古屋市

2015年度 「味噌汁の 味が音程はずれてる」(42歳、滋賀県高島市

2016年度 「不機嫌な 妻にまな板悲鳴あげ」(66歳、千葉県印西市

 

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(写真)今回の昼食はほぼ全員がサンドイッチ&たい焼き。

 

 編集ワークショップ

 午後は島田市立島田図書館でWikipediaの編集を行った。バックヤード部分にある小部屋3部屋を「島田宿大井川川越遺跡 - Wikipedia」「稲荷神社 (島田市柳町) - Wikipedia」「島田大祭 - Wikipedia」の3つの記事に割り当て、それぞれのグループにWikipediaの編集経験者が1人か2人入った。使用する文献は事前に運営側でリストアップし、あらかじめ取り置いてもらっていた。

 私は島田大祭を新規作成するグループに入った。川越遺跡と稲荷神社(悪口稲荷)は実際に現地を見学した。島田大祭については島田市博物館に展示があったが、祭礼の様子を見学したわけではないので、その特徴をつかみにくかった。さらに遺跡や神社とは異なり、祭礼については概してフワッとした内容の文献が多く、うまくまとめるのは難しかった。

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(写真)イベントのために用意された文献。

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(写真)編集ワークショップ中の参加者。

 

 

高校生とウィキペディアタウン

2016年度後半と2017年度後半には長野県立高遠高校で「ウィキペディアタウンスクール」が開催されている。2016年夏には京都府南陽高校で社会実習として「ウィキペディア・タウン by 京都府立南陽高等学校」が開催された。2017年2月の「オープンデータデイ2017 in 掛川 プレイベント」には島田商業高校の生徒が参加。2017年12月の「ブラアツミ」では地元の愛知県立福江高校の生徒が何人か参加していた。

 高校生が主体のウィキペディアタウンでは「地域情報の発信」をテーマとすることが多いが、大学生が主体にするときは「情報リテラシー」もテーマになりうる。今回(島田商業高校)の場合は情報ビジネス科があること、引率者の教員が2017年1月のウィキペディアタウンを経験しているということで、明確な意図を持って「情報リテラシー」をテーマにしたのだろう。一般を、特に図書館司書や教員や研究者が参加者の主体になるときは別のテーマを設定することもできる。

  講師による説明、まちあるき、編集ワークショップ、成果発表という順番は他地域のウィキペディアタウンと同じだったが、この日は編集ワークショップ後にも時間を設けてリテラシーについての説明を行った。Wikipediaに触る前と触った後では説明の受け取り方がかなり違ったはず。今回は図書館や図書館員が運営に深くかかわったイベントではなかったが、高校生に対しての、「編集ワークショップで使用した文献を用意してくれたのは誰なのか」、「調べものをしたいときに手助けしてくれるのは誰なのか」という問いかけは印象的だった。

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(写真)講師の説明を熱心に聞く高校生。

 

www.at-s.com

www.city.shimada.shizuoka.jp