振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウンinしまだ」に参加する

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(写真)島田市博物館。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。地図の出典はOpenStreetMapであり、その作者はOpenStreetMap contributorです。

 

静岡県島田市を訪れる

 2018年2月10日(土)、静岡県島田市で開催された「ウィキペディアタウンinしまだ」に参加した。このイベントは島田市教育委員会が主催したもので、情報ビジネス科を持つ地元の静岡県島田商業高校の生徒6人に加えて、行政関係者、図書館関係者など、計20人弱が参加している。一般からの参加者募集は行っていない。

 ちょうど1年前の2017年2月4日には掛川市で「オープンデータデイ2017 in 掛川 プレイベント」に参加した。この時にも島田商業高校の生徒が参加しており、また個人的に島田市立島田図書館を見学して館内の写真を撮った。

 8時30分頃にJR島田駅に着き、駅から徒歩5分の場所にある大井神社を散策。県社だけあって広い。今回の編集対象である島田大祭で披露される大奴の銅像があった。

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(写真)大井神社にある「島田大祭 大奴」の銅像

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(写真)講師による説明と成果発表の会場であるしまだ楽習センター。建物4階。(右)編集ワークショップの会場である島田市立島田図書館。建物3階。

 

ウィキペディアタウンinしまだのスケジュール

09:30-10:15 しまだ楽習センターで講師による説明(その後マイクロバスで移動)

10:30-12:15 島田市博物館・川越遺跡で現地調査(その後マイクロバスで移動)

12:15-13:00 悪口稲荷で現地調査(その後徒歩移動)

13:00-13:30 図書館で昼食

13:30-16:10 島田市立島田図書館で編集ワークショップ(その後徒歩移動)

16:20-17:00 しまだ楽習センターで成果発表

 

 今回のスケジュールは上の通り。集合場所は島田駅から徒歩1分のしまだ楽習センター。講師の説明を受けた後、2km離れた島田市博物館までマイクロバスで移動し、博物館と島田宿大井川川越遺跡を見学。再びマイクロバスで悪口稲荷まで移動し、悪口稲荷を見学して徒歩で島田市立島田図書館に移動。編集ワークショップを終えると、徒歩で楽習センターに移動して成果発表を行っている。

 この日の講師は海獺(らっこ)さん。 Wikipediaを“ユーザ自身が情報発信を行うサイト”と位置付けて、Facebooktwitter2chクックパッドなどと同列に置いた。主要な参加者が高校生ということで、強調したポイントは「ネットリテラシー」。ウィキペディアの仕組みを理解して編集に携わることで情報リテラシーが向上するとした。「著作権」を強調することが多いくさかきゅうはちさんやMiya.mさんなどの講師とは一味違った説明だった。

 

 東海道における23番目の宿場である島田宿は現在の中心市街地にあった。中心市街地から東に約2km、大井川の東岸には「島田宿大井川川越遺跡」(かわごしいせき)がある。施設など約20か所と街道そのものが国の史跡として指定されている。島田宿は東海道を往来する旅行者のための宿や茶店が立ち並んでいたエリアであり、「川越遺跡」は旅行者を肩車して大井川を越させる川越人足のための待合所が立ち並んでいるエリア、ということらしい。

 現在の中心市街地に近世の島田宿を想起させるような建物はないが、「川越遺跡」は1966年に国の史跡に指定されているだけあって、川越制度全体の事務所である川会所(かわかいしょ)、10の組に分かれていた川越人足のための番宿(待合所)が当時のまま残されている・・・のかと思ったら、これらの番所は近世の建物ではなく明治以降に復元されたものらしい。なんだそれは。なお、番宿のうち数軒は現在も居住者がいる民家であるが、それ以外は見学可能な施設となっている。観光客でにぎわっているわけでもなく、「ひっそりと静まり返った街道」には奇妙な感覚を覚えた。

 川会所では常設のガイドさんが、川越遺跡では文化財課の方がガイドさんが大正について説明してくれた。何か疑問があったときにすぐ質問できるのはうれしい。なお、街道沿いの建物で使用する電柱はセットバックされており、街道の両脇には勢いよく水が流れる水路がある(写真だとこんな感じ)。趣がある屋敷林を持つ島田市博物館分館の前などはとても絵になるのだが、時代劇のロケ地として売り出したりはしないんだろか。

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(地図)まちあるきコース。島田市博物館から旧東海道に出て、口取宿までの道を往復した。

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 (左)島田市博物館の常設展示室にあるジオラマビジョン。(右)街道沿いにある「川会所」。

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(写真)「川会所」でガイドの説明を聞く参加者。

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(左)川越遺跡を歩く参加者。(右)川越遺跡の写真を撮る参加者。

 

午前中の最後には中心市街地にある悪口稲荷へ。この神社では2004年度から「愛するあなたへの悪口コンテスト」が開催されており、境内には歴代の受賞作品が展示されていた。過去5年分の大賞作は下の通り。大賞よりも入賞にニヤリとする作品が多い。公式サイトの歴代受賞作を見ると第1回と直近の回では入賞作の作風がかなり変化している。

2012年度 「空はこんなに青いのに、妻がいる」(31歳、石川県能美市

2013年度 「人参だけの 金平ごぼう」(16歳、静岡県藤枝市

2014年度 「妻は誰か分かるために化粧をする」(56歳、愛知県名古屋市

2015年度 「味噌汁の 味が音程はずれてる」(42歳、滋賀県高島市

2016年度 「不機嫌な 妻にまな板悲鳴あげ」(66歳、千葉県印西市

 

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(写真)今回の昼食はほぼ全員がサンドイッチ&たい焼き。

 

 編集ワークショップ

 午後は島田市立島田図書館でWikipediaの編集を行った。バックヤード部分にある小部屋3部屋を「島田宿大井川川越遺跡 - Wikipedia」「稲荷神社 (島田市柳町) - Wikipedia」「島田大祭 - Wikipedia」の3つの記事に割り当て、それぞれのグループにWikipediaの編集経験者が1人か2人入った。使用する文献は事前に運営側でリストアップし、あらかじめ取り置いてもらっていた。

 私は島田大祭を新規作成するグループに入った。川越遺跡と稲荷神社(悪口稲荷)は実際に現地を見学した。島田大祭については島田市博物館に展示があったが、祭礼の様子を見学したわけではないので、その特徴をつかみにくかった。さらに遺跡や神社とは異なり、祭礼については概してフワッとした内容の文献が多く、うまくまとめるのは難しかった。

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(写真)イベントのために用意された文献。

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(写真)編集ワークショップ中の参加者。

 

 

高校生とウィキペディアタウン

2016年度後半と2017年度後半には長野県立高遠高校で「ウィキペディアタウンスクール」が開催されている。2016年夏には京都府南陽高校で社会実習として「ウィキペディア・タウン by 京都府立南陽高等学校」が開催された。2017年2月の「オープンデータデイ2017 in 掛川 プレイベント」には島田商業高校の生徒が参加。2017年12月の「ブラアツミ」では地元の愛知県立福江高校の生徒が何人か参加していた。

 高校生が主体のウィキペディアタウンでは「地域情報の発信」をテーマとすることが多いが、大学生が主体にするときは「情報リテラシー」もテーマになりうる。今回(島田商業高校)の場合は情報ビジネス科があること、引率者の教員が2017年1月のウィキペディアタウンを経験しているということで、明確な意図を持って「情報リテラシー」をテーマにしたのだろう。一般を、特に図書館司書や教員や研究者が参加者の主体になるときは別のテーマを設定することもできる。

  講師による説明、まちあるき、編集ワークショップ、成果発表という順番は他地域のウィキペディアタウンと同じだったが、この日は編集ワークショップ後にも時間を設けてリテラシーについての説明を行った。Wikipediaに触る前と触った後では説明の受け取り方がかなり違ったはず。今回は図書館や図書館員が運営に深くかかわったイベントではなかったが、高校生に対しての、「編集ワークショップで使用した文献を用意してくれたのは誰なのか」、「調べものをしたいときに手助けしてくれるのは誰なのか」という問いかけは印象的だった。

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(写真)講師の説明を熱心に聞く高校生。

 

www.at-s.com

www.city.shimada.shizuoka.jp

 

「井手町ウィキペディア・タウン」に参加する

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(写真)井手町図書館が入っている井手町立山吹ふれあいセンター。塔屋は天文台

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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wikipediatownide01.peatix.com

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井手町を訪れる

 2018年2月4日(日)、京都府綴喜郡(つづきぐん)井手町(いでちょう)で開催された「井手町ウィキペディア・タウン」に参加した。

 井手町京都市奈良市を結ぶJR奈良線の沿線にある自治体。京都市よりもやや奈良市に近い。木津川の対岸には京田辺市がある。JR奈良線に“井手駅”はなく、今回の編集対象にもなった玉川に因む玉水駅で降りる。

 玉水駅の標高は27mであるが、井手町図書館の標高は90mであり、徒歩15分の間に63mもの高低差を上る。航空写真を見ると市街地は玉水駅周辺と上井手地区の2段からなっているのがよくわかる。玉水市街地から自転車や徒歩で図書館訪れるのは難しく、中高生の利用者は少ないかもしれない。2010年代だったらこんな場所に図書館を作らない。1994年らしい立地だと思う。

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(写真)井手町立山吹ふれあいセンターの入口。上の写真の裏側。

 

 

まちあるきする

09:30-12:30 趣旨説明、まちあるき
12:30-13:30 昼食
13:30-14:00 Wikipediaの概要説明
14:00-16:00 Wikipediaの編集
16:00-16:30 成果発表
16:30-16:45 閉会挨拶、写真撮影

 

 今回のイベントのスケジュールは上の通り。井手町立図書館の開館は10時であるため、9時30分の集合場所は図書館前の屋外。寒かったので晴れてよかった。なお、今回の参加者に隣接する城陽市在住者はいたものの井手町在住者はいなかった。

 まちあるきには3時間というゆったりした時間が取られている。地図上で計測した歩行距離はちょうど3kmだった。ただし、井手町図書館(標高90m)から、玉津岡神社(131m)、井手町町づくりセンター椿坂(67m)、玉川の桜並木(47m)、井堤寺の柱跡(66m)、井手町図書館(90m)というコースにはちょっとした高低差がある。特に図書館から玉津岡神社までの区間は急な坂もあるため、その旨をあらかじめ告知しておいたほうがよいと思った。

 OpenStreetMapにおいて井手町は、まだ道路すらも完全に書かれていない。あとからルートを確認するために、初めてイベントでOSM Trackerを使った。玉津岡神社に向かう際にはGoogle Mapにも書かれていない道を通ったため、OSM Trackerを起動させておいてよかった。

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(写真)Google Mapにも掲載されていない「山背古道」を歩く参加者。

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(左)玉津岡神社。(右)地蔵禅院のシダレザクラと眼下の市街地。

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(左)小町塚。(右)井手町まちづくりセンター椿坂。

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(写真)開花時期には桜並木がもっともきれいに見えるという橋の上。

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(地図)今回のまちあるきコース。

 

 橘諸兄によって橘一族の氏神として創建された玉津岡神社 - Wikipedia(郷社)は、井手町の玉水地区全体を見下ろしている。すぐ下には地蔵院 (京都府井手町) - Wikipediaがあり、参道の入口には小野小町塚 - Wikipediaがある。現在は玉水駅周辺が井手町の中心地であるものの、かつて(中世?)は玉津岡神社に近い「上井手」が中心地だったという。

 木津川支流には天井川が多い。「京都山背の天井川形成史と環境評価」によると、山城地域の木津川支流のうち、長谷川・青谷川・南谷川・玉川・渋川・天神川(ここまで右岸)・天津神川・防賀川・馬坂川・手原川(ここまで左岸)の10河川が天井川であり、その中でもっとも流域面積の大きな河川が玉川 (井手町) - Wikipediaだという。関西地方ではそれほど珍しくないイメージがある天井川だが、これだけ集まっている地域は珍しい。地形図ではこのように示される

 玉川がある木津川右岸は平地に出てから木津川に合流するまでの距離が短い。そのうえ天井川とあれば、頻繁に洪水が起こったことだろう。その極めつけが1953年の南山城水害 - Wikipediaだそうで、井手町だけで109人の死者が出たという。強固な堤防を作れない時代に「上井手」が中心地だったというのもうなづける。なお、南山城水害という記事は京都府南陽高校の授業外学習で作成された記事であり、今回も加筆された。

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(図)この地域の天井川の模式図。才田川以外はJR奈良線がトンネルで河川をくぐっている。

 

玉川 (井手町)を作成する

 今回のイベントはそれほど参加者が多くなかったため、午後の編集ワークショップではひとりまたはふたりでひとつの記事を新規作成し、主催者であるCode for 山城の青木さん、オープンデータ京都実践会のMiya.mさんとMiyaさんの3人が編集初心者のサポートにまわった。主催者が用意した編集対象には玉津岡神社、小町塚、地蔵院などがあったが、私は井手町の歴史に深くかかわる地理記事「玉川」をひとりで新規作成することにした。まちあるきの時間が長かったので、編集ワークショップ(2時間)の時間はそれほど長くない。

 

 まず『角川日本地名大辞典』『日本歴史地名大系』『京都大事典』という3つの事典を使い、水源や延長距離や流域面積などの基本的な情報を洗い出していく。できるだけ頭を使わないように淡々と作業し、この題材にとって重要な部分を漏らさないように骨格を作る。名称や灌漑用水の歴史なども事典から得られた。歴史的に重要な河川であることを示すために、この地で詠まれた歌を4首掲載した。

 次にまちあるき時にガイドから聞いた情報を思い出し、『井手町の自然と遺跡』『平成の名水百選』などで肉付けしていく。「桜祭りの期間中には約5万人の花見客が訪れる」こと、「日本でも代表的な天井川地帯」であることなどを追加した。そして新聞記事から“おもしろみ”のある記述を追加する。今回の場合は「馬の絵が彫られた重さ数百トンの駒岩」があり「南山城水害では駒岩でさえも流された」ことを書き加えた。

 最後にこまごまとした作業を行った。自身が撮った桜並木の写真を加え、すでにWikimedia Commonsに上げられていた大正池の写真を加えた。葛飾北斎の掛軸、歌川広重の浮世絵、『拾遺都名所図会』の絵図をウェブから探してきて掲載し、歴史的な重要性を視覚的に説明している。イベント終了時には約10,000バイトになった。

 

 参加者が協力してひとつの記事を作り上げることが魅力のイベントなのに、今回はひとりで作業した。そこで成果発表時には、この記事の課題として「桜が満開の時の写真が欲しい」「駒岩の写真も欲しい」という2点を挙げた。特に桜並木の写真については井手町在住者でないとなかなか撮影できないので、地元の方が写真を掲載してくれると嬉しい。

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(左)今回準備された文献。(右)成果発表。

「京女まち歩きオープンデータソンvol.2」に参加する

connpass.com

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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 2018年2月3日(土)、「京女まち歩きオープンデータソンvol.2」に参加しました。京都女子大学の「学まち推進型連携活動補助事業」だそうで、桂まに子先生の主催、オープンデータ京都実践会の協力です。なお2017年8月6日(日)には「京女まち歩きオープンデータソンvol.1」が開催されており、当初は参加する予定でしたが参加しませんでした。桂まに子先生とは2017年11月の図書館総合展における大懇親会で初めてお会いしています。

 

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(写真)今回の会場となった金剛寺

 

10:00-11:00 オープンデータ・WikipediaOpenStreetMapの説明(1時間)

11:00-11:30 昼食(30分)

11:30-12:00 金剛寺の見学(30分)

12:00-14:00 東山三条のまちあるき(2時間)

14:00-16:00 Wikipedia & OpenStreetMapの編集作業(2時間)

16:00-16:30 成果発表(30分)

16:30-17:00 写真撮影、お勤め(30分)

 

金剛寺を訪れる

 前回は京都女子大学の教室で開催したようですが、今回は地下鉄東山駅に近い金剛寺が会場です。今回のスケジュールは上のような感じ。名古屋でのウィキペディアタウンでは説明もそこそこにまちあるきに出かけますが、オープンデータ京都実践会では講師3人で1時間というのが標準。その代わり昼食の時間が短いですね。近くに数軒あるコンビニで済ませた方が多かったようです。「お勤め」がスケジュールに組み込まれているのも今回の特徴。

 

 さて、私は今回OpenStreetMapのグループに入りました。オープンデータ京都実践会のイベントには10回以上参加していますが、OSMのグループに入ったのは2回目です。11時30分からは会場である金剛寺の建物内を回って編集用のメモを取った後、約2時間のまちあるきを行いました。Google Mapで計測してみると歩いた距離は約2km。2時間で2kmというのはゆったりしたスケジュールであり、古川町商店街の店舗を1軒ずつ記録する時間が取れました。

 今回のまちあるき範囲は2016年7月に行った京都オープンデータソン2016 vol.1(青蓮院、円山公園粟田神社)と少し被っています。この時は暑い時期だったこともあってまちあるきがスケジュール通りに進まず、是住さんがイライラしていたのを覚えています。なお、旅行中ということで今回のイベントには不参加でしたが、金剛寺に持ち込まれた文献は是住さんによるものです。

 

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(左)畳の上に机を並べた会場。(右)坂ノ下さんによるOSMの説明。

 

東山三条をまちあるきする

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(地図)今回のまちあるきコース。

 

 まちあるきの主な目的地は合槌稲荷神社と古川町商店街。三条神宮道交差点から200mほど東にある合槌稲荷神社は、大通りから路地を入った先にある社。2017年11月の「ウィキペディアタウンin岐阜」で新規作成した弥八地蔵 - Wikipediaを思い起こさせます。最近では刀剣乱舞の聖地となっているようで、我々が路地を出てくるときにも何人かの女性が鳥居の写真を撮っていました。この地に祀られた経緯や、現代の聖地化についてはまだ書き加えられていないようです。

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(右)合槌稲荷神社で説明する桂まに子先生。

 

 京都市街地の中でも東山には寺社仏閣などの観光地が多く、道路や建物についてはOSMに書き加えられることが少ないです。樹木や小規模な林についてもすでに書き込まれているものが多いのですが、旧・京都市立白川小学校の南側歩道上にある木を書き加えました。また、白川小学校についてはOSMWikipediaに相互リンクを張りました。白川小学校の跡地には、民間事業者によってホテルを中心とする文化複合施設とやらが建つようです。どの記事を見ても何年頃に完成するのかがわからないのですが、この地域の景色が一変するくらい大きな敷地です。

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(右)まちあるきの様子。

 

古川町商店街サーベイする

www.furukawacho.com

 神宮道の東側には観光客の多い青蓮院や知恩院がありますが、西側はこじんまりとした民家がひしめき合う京都らしい路地の町です。白川を超えると200mのアーケードがある古川町商店街がありました。この商店街は若狭街道の終着点であり、かつては「東の錦」(中京区の錦市場)と呼ばれるほど繁栄していたそうです。

 たかだか200mほどの商店街であり、公式サイトの店舗紹介を見ると28店舗しかないのに、コンテンツが充実した公式サイトを持っています。クリスマス祭りや春祭りのイベントチラシを見ると、主催/後援/協力には京都府/京都市/京都商工会議所/京都華頂大学などが名を連ねています。2017年には白川まちづくり会社という組織が設立され、企業支援、店舗誘致、イベント開催などを行っているようです。古川町商店街や白川まちづくり会社の中心にはいったいどんな方がいるのか気になります。

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(写真)古川町商店街のアーケード南端。

 

 OSMグループはすでにマッピングされていた商店街の建物に対して、一軒一軒店名を与えていきました。古川町商店街の公式サイトにはこのような店舗マップがありますが、一棟に一軒とは限らない商店街のこと、建物との関係性を考えてマッピングするのは難しいものでした。

 WikipediaグループはWikipedia記事を作成してくれましたが、まだまだ加筆の余地があります。近世に栄華を極め、いちどは衰退したものの、近年になって再び盛り返している、という歴史がわかるとよいです。近世の文献には絵図などが掲載されていないでしょうか。現在は紙媒体の文献しか使用していないようですが、ウェブ検索するとこの商店街について書いた記事がいくつも見つかるので、うまく組み込みたいところです。まちあるき対象としてもWikipedia/OSMの編集対象としても魅力的な商店街でした。

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 さて、今回のイベントは京都女子大学の桂まに子先生が主催したものです。京女の学生さんがOSMグループとWikipediaグループに2人ずつ参加しており、うち3人は懇親会にも来てくださいました。少人数のゼミではなく大人数の授業でイベントについて告知されたとのこと。知らない大人しかいない授業外のイベントに自主的に参加できるのはすごい(私には無理)。

 2017年3月に大垣市大垣祭りをデータで残そう feat International Opendata Day)、6月に宇治市オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1)、9月に静岡市静岡!街歩かない!マッピングパーティ1)、この2018年2月に今回のイベントと、OpenStreetMap関連ではこの1年間で4回のイベントに参加しました。イベント外では個人的に人口8万人分くらいの建物の輪郭を書いてきましたが、がっつりと書き始めたのは大垣市でのCode for GIFUのイベントがきっかけです。WikipediaでもOSMでも、イベントは積極的な編集活動のきっかけになります。

 

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(写真)OSMグループとWikipediaグループに分かれて編集中の会場。

 

Wikipediaグループの成果物(私はノータッチ)

金剛寺 (京都市東山区五軒町) - Wikipedia - 新規作成

合槌稲荷神社 - Wikipedia - 新規作成

古川町商店街 - Wikipedia - 新規作成

 

春日井市の映画館

名古屋市に隣接している愛知県春日井市は県内第6位の人口30万人を有する自治体。図書館は春日井市図書館の1館だけですが、10の分室があり、ひときわ規模の大きな分室として東部市民センター図書室があります。高蔵寺ニュータウンにあるこの図書室はこの2018年3月19日をもって閉室となり、4月1日には500mほど離れた多世代交流拠点施設「グルッポふじとう」に「図書館」が開室します(名称は「図書館」だが条例上の位置づけは図書室のままと思われる)。

1か月後の閉室を前にして、初めて東部市民センター図書室を訪れました。また、春日井市図書館は何度も訪れたことがあります。図書館/図書室のことを書く前に、まずは春日井市の映画館を取り上げます。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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春日井市の映画館

映画黄金期の春日井市には5館の映画館があったが、成人映画館のユニオン劇場を除けば1970年代までに閉館した。1980年代前半に開館した春日井コロナシネマは初期にできたシネコンのひとつだったが、2017年2月26日をもって閉館した。2008年には直線距離で1kmしか離れていない西春日井郡豊山町にミッドランドシネマ名古屋空港が開館しており、コロナグループはよく10年近くも閉館を遅らせたと感心する。

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映画館の場所を特定する

映画館の情報はウェブに残したい。現役のユニオン劇場と閉館したばかりの春日井コロナシネマを除く4館はいずれも、ウェブ検索だけでは場所すら特定できないので、春日井市図書館にある住宅地図で探した。春日井市図書館が所蔵している春日井市域の住宅地図のうち、もっとも古いのが1965年版、次いで1983年版である。春日井市域であっても愛知県図書館のほうが年代の網羅性が高いと思われる。

 

鳥居松劇場と五月座と2館は1965年の住宅地図で所在地が判明した。

鳥居松東映は鳥居松商店街と愛知県道25号の交差地部に近い場所にあった(消えた映画館の記憶地図での座標)。13階建のマンション「マストスクエア春日井鳥居松」から道路を挟んで南東側、現在は林永興行株式会社(外観は住宅)がある位置にあった。

鳥居松商店街は名古屋城下と中山道を結ぶ下街道(したかいどう)の一部だった。下街道を約7km下ると旧東春日井郡坂下町の坂下市街地がある。坂下市街地中心部にある坂下町2丁目交差点でから北東に折れると、現在は坂下区公会堂の南側にある農地に五月座があった(消えた映画館の記憶地図での座標)。勝川キネマがあった勝川も下街道沿いに発展した町である。

 

春日井市の映画館に関する文献

春日井市にあった映画館のうち、坂下の五月座は『写真集春日井 明治・大正・昭和』(創文出版社・1989年)や『坂下小創立百周年記念誌』(春日井市立坂下小学校・1973年)といった文献に登場する。なお、ユニオン劇場は港町キネマ通りに詳細な記事が掲載されている。

しかし、春日井の二大商業中心地にあったはずの鳥居松劇場と勝川キネマや、繁栄していた頃の高蔵寺商店街にあったはずの高蔵劇場については、各年版の『映画館名簿』にしか登場しない。勝川キネマと高蔵劇場は1965年の住宅地図にも掲載されておらず、場所の特定ができなかった。

春日井市史』などに掲載されていないのは仕方ないとしても、『勝川商店街史』『勝川今昔ものがたり』などの“それらしい”文献にも登場しない。現在の春日井市は愛知県第6位の人口30万人を擁するが、1940年時点では勝川町が人口11,000人、鳥居松“村”が人口6,000人でしかなく、一宮や瀬戸はもちろん小牧よりも小さな町だったらしい。現在の自治体規模を考えると、中心市街地にあった映画館の情報が驚くほど少なく見えるが、これは仕方ないのかもしれない。

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(地図)春日井市にある/あった映画館の地図。上が春日井市役所周辺。下が春日井市全域。この2枚の出典はOpenStreetMap。作者はOpenStreetMap contributor。

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 (写真)春日井市にただひとつ残る映画館「ユニオン劇場」。 

 

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春日井市図書館を訪れる」に続く予定。