振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

春日井市の映画館

名古屋市に隣接している愛知県春日井市は県内第6位の人口30万人を有する自治体。図書館は春日井市図書館の1館だけですが、10の分室があり、ひときわ規模の大きな分室として東部市民センター図書室があります。高蔵寺ニュータウンにあるこの図書室はこの2018年3月19日をもって閉室となり、4月1日には500mほど離れた多世代交流拠点施設「グルッポふじとう」に「図書館」が開室します(名称は「図書館」だが条例上の位置づけは図書室のままと思われる)。

1か月後の閉室を前にして、初めて東部市民センター図書室を訪れました。また、春日井市図書館は何度も訪れたことがあります。図書館/図書室のことを書く前に、まずは春日井市の映画館を取り上げます。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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春日井市の映画館

映画黄金期の春日井市には5館の映画館があったが、成人映画館のユニオン劇場を除けば1970年代までに閉館した。1980年代前半に開館した春日井コロナシネマは初期にできたシネコンのひとつだったが、2017年2月26日をもって閉館した。2008年には直線距離で1kmしか離れていない西春日井郡豊山町にミッドランドシネマ名古屋空港が開館しており、コロナグループはよく10年近くも閉館を遅らせたと感心する。

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映画館の場所を特定する

映画館の情報はウェブに残したい。現役のユニオン劇場と閉館したばかりの春日井コロナシネマを除く4館はいずれも、ウェブ検索だけでは場所すら特定できないので、春日井市図書館にある住宅地図で探した。春日井市図書館が所蔵している春日井市域の住宅地図のうち、もっとも古いのが1965年版、次いで1983年版である。春日井市域であっても愛知県図書館のほうが年代の網羅性が高いと思われる。

 

鳥居松劇場と五月座と2館は1965年の住宅地図で所在地が判明した。

鳥居松東映は鳥居松商店街と愛知県道25号の交差地部に近い場所にあった(消えた映画館の記憶地図での座標)。13階建のマンション「マストスクエア春日井鳥居松」から道路を挟んで南東側、現在は林永興行株式会社(外観は住宅)がある位置にあった。

鳥居松商店街は名古屋城下と中山道を結ぶ下街道(したかいどう)の一部だった。下街道を約7km下ると旧東春日井郡坂下町の坂下市街地がある。坂下市街地中心部にある坂下町2丁目交差点でから北東に折れると、現在は坂下区公会堂の南側にある農地に五月座があった(消えた映画館の記憶地図での座標)。勝川キネマがあった勝川も下街道沿いに発展した町である。

 

春日井市の映画館に関する文献

春日井市にあった映画館のうち、坂下の五月座は『写真集春日井 明治・大正・昭和』(創文出版社・1989年)や『坂下小創立百周年記念誌』(春日井市立坂下小学校・1973年)といった文献に登場する。なお、ユニオン劇場は港町キネマ通りに詳細な記事が掲載されている。

しかし、春日井の二大商業中心地にあったはずの鳥居松劇場と勝川キネマや、繁栄していた頃の高蔵寺商店街にあったはずの高蔵劇場については、各年版の『映画館名簿』にしか登場しない。勝川キネマと高蔵劇場は1965年の住宅地図にも掲載されておらず、場所の特定ができなかった。

春日井市史』などに掲載されていないのは仕方ないとしても、『勝川商店街史』『勝川今昔ものがたり』などの“それらしい”文献にも登場しない。現在の春日井市は愛知県第6位の人口30万人を擁するが、1940年時点では勝川町が人口11,000人、鳥居松“村”が人口6,000人でしかなく、一宮や瀬戸はもちろん小牧よりも小さな町だったらしい。現在の自治体規模を考えると、中心市街地にあった映画館の情報が驚くほど少なく見えるが、これは仕方ないのかもしれない。

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(地図)春日井市にある/あった映画館の地図。上が春日井市役所周辺。下が春日井市全域。この2枚の出典はOpenStreetMap。作者はOpenStreetMap contributor。

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 (写真)春日井市にただひとつ残る映画館「ユニオン劇場」。 

 

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春日井市図書館を訪れる」に続く予定。

知多市立中央図書館を訪れる

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(写真)知多市立中央図書館。

訪問後には「知多市立中央図書館 - Wikipedia」を作成しました。こちらも併せてごらんください。

 

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知多市立中央図書館を訪れる

名古屋市中心部から南に20km、愛知県知多市にある知多市立中央図書館は1980年竣工。愛知県に約90館ある図書館の中では、建築年が古いほうから1/4に入る。

図書館公式サイトのアクセスマップには「名鉄常滑線古見駅または長浦駅下車徒歩約20分」とあったため、最寄駅と思われる長浦駅から歩いたが、曲がりくねる道と激しい高低差のおかげで時間以上の距離を感じた。Google Mapで経路案内を行ってみると、長浦駅からは「1.9km・24分」、古見駅からは「2.0km・26分」と表示された。高低差のせいでGoogle Mapの表示以上の時間がかかるはず。公式サイトの表示はいいかげんだ。

 

Google Mapを航空写真にしてみると、図書館を中心として北東から南西方向に緑色の帯が見える。図書館があるのは知多丘陵の西端、標高30-40mの尾根の中。裏手には里山が広がっている。駅から住宅街の中を歩いていたはずなのに、図書館に着く前の数百メートルは昭和の多摩丘陵を歩いているみたいだった。(※昭和の多摩丘陵など歩いたことないです。)

知多市立中央図書館は昭和50年代の公共施設らしさにあふれている。入口前には階段があり、国旗と自治体旗を掲揚するポールがあり、建物はレンガ調で茶色く、角ばった曲線のない箱型。この外観を見ると昔ながらの図書館に来たという気持ちになる。建物は傾斜地にあるため、南側は3階建、北側は2階建となっている。

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 (左)3階建となっている南側。(右)図書館裏手の里山。この辺りは知多市新知虎馬という地名らしいです。とらうま?

 

館内を見学する

図書館に入ると目立つのが、自動貸出機前のデジタルサイネージ。最近は設置している図書館が多くなった。入口で立ち止まらせるための小道具としては効果的な気がするものの、使いこなせているといえる図書館は少ないのでは。

この日の知多市立中央図書館では上階で教養講座「知多半島の命の水『愛知用水』」を開催していたが、この図書館では各種講座やセミナーが頻繁に開催されているうえに、文学講演会が年1回の恒例行事になっているらしい。2007年には前年の芥川賞作家・中村文則(隣接する東海市出身)の、2008年にも前年の芥川賞作家・諏訪哲史名古屋市出身)の講演会を行っているが、文学講演会を恒例行事としたのは2009年の指定管理者制度導入後だろう。

指定管理者は図書館流通センター。2010年には絵本作家のあきやまただしが、2011年にはエッセイストの内藤洋子と歴史小説家の桐野作人が、2012年には童話作家角野栄子が、2013年には教育者の宮本延春が、2014年には歴史小説家の井沢元彦推理小説家の有栖川有栖が、2015年には小説家の瀬尾まいこが、2016年には絵本作家の宮西達也が、2017年には小説家の谷村志穂知多市立中央図書館を訪れている。2018年2月17日には児童文学作家の富安陽子が講演を行う

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(左)入口のデジタルサイネージではイベントの紹介。(右)タブレット型の自動貸出機。珍しい。「自動貸出機」の文字のインパクトが強い。

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(左)閉架書庫にある図書の紹介を行う「蔵出し文庫」。(右)「スタッフおすすめ本」。全スタッフが自身の趣味に関する本を選んでいるみたい。

 

なお、訪問日の約1か月後の2017年12月2日には「公共施設再配置ワークショップ」なるものが開催されるというチラシが貼ってあった。知多市は2016年に名鉄常滑線朝倉駅(市の中心駅)周辺の整備のあり方を考える有識者会議を設置。この有識者会議は知多市に対して、図書館などが入る複合商業施設の建設を2017年に提案したらしい。知多市は2017年度内の基本構想策定・2020年度以降の事業着手を目指しているそうで、約5年後には今の図書館の役割が大きく変わるのかもしれない。

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(左)一般書の書架。236は開架に28冊も。(写真)一般書とティーンズを分ける中央通路。

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 (写真)郷土・参考資料室の竹内理三コーナー。竹内に授与された文化勲章の現物が、かつてここに展示されてたとか。自治体規模の割に、郷土・参考資料室には県外の自治体史が多いし、行政資料やパンフレットなどの薄い資料も多い。

 

知多市立中央図書館での写真撮影

メインカウンターで写真撮影の可否をたずねると“サブチーフ”の方が対応してくださり、「人が写らなければいいですよ」と即答された。建築年の古い図書館としては珍しく、写真撮影に対する対応のガイドラインがあるのだろうか。それならば好感が持てる・・・と思って一般書の書架を撮影していたら、別の“スタッフ”が足早に近づいてきて、「写真撮影はおやめください」と厳しくたしなめられてしまった。「シャッター音やフラッシュが他の利用者の迷惑になります。図書館は『そういうところ』です」。

メインカウンターに助けを求めようと思ったけれど、先ほど対応してくださった方は席を外していた。「『そういうところ』とはどういう意味か」質問してみたい気もしたが、目をつけられたまま館内にいるのは嫌なので、そのまま外に出た。このためこの日は児童書の書架などは見ておらず、また文献のコピーも行っていない。

「図書館を出るまで気を抜かない」「さっと撮ってさっと出る」ことを改めて意識した。このスタッフの方の対応が間違っているとは思わない。カメラを持ってうろついている人間がいた場合、本の中身や人物を盗撮しているのでないと見極めるのは難しいし、年に数回あるかどうかの対応について全スタッフに周知しておくのも難しい。なお、私は写真撮影者であることを職員や他の利用者にはっきり示すために、“カメラであることが明確”かつ“シャッター音の出る”デジタル一眼レフで撮っている。

 

 

岡田地区の劇場「喜楽座」

さて、この日は愛知県庁が実施する国登録有形文化財の特別公開の日だった。知多市では岡田地区にある「手織りの里 木綿蔵ちた」「知多岡田簡易郵便局」「旧岡田医院」「旧中七木綿本店」の4棟が公開された。知多市立中央図書館の住所も知多市岡田であり、図書館から岡田地区までは徒歩10分ほどと近い。この日に知多市立中央図書館を訪れたのはこのためだった。

岡田地区については岡田街並保存会のウェブサイトが詳しい。岡田地区は近世から近代に知多木綿の生産地として繁栄したが、需要の変化、他地域の産地に押されたこと、鉄道や主要道の経路から外されたことで衰退した。その代わりに江戸・明治・大正・昭和戦前の建物が数えきれないほど残っているし、迷路のような狭い路地の端には祠が建っている。地区内にある建物を建築年代ごとに色分けした地図などもあり、建物や地区の歴史を後世に伝えようという意思が見える。

 

『全国映画館録 1960』には知多郡岡田町に喜楽座という映画館があったことが記されており、岡田街並保存会のウェブサイトには往時の喜楽座の写真が掲載されている。映画館好きとしては喜楽座の場所を突き止めたい。ウェブ検索だけでも場所が特定できそうではあったが、せっかくなので岡田街並保存会にメールしたところ、現地に看板があることを教えてくれた。

現地を訪れると喜楽座の跡地はすぐにわかった。地区の入口といえる愛知県道252号大府常滑線の「海渡」交差点から南に100m、県道に並行する旧道がクランク状になっている地点に、しゃれた外観のアパート「ローズパーク」がある。敷地の前には「芝居小屋 喜楽座跡」という説明看板が立っていた。Google Mapでの座標

 

1925年に株式会社として設立された劇場「喜楽座」の建物は、当地の棟梁である竹内角三によって建てられた。桝席の両側に花道があり、さらには回り舞台も備えた本格的な芝居小屋だった。当時の岡田は木綿工場の従業員だけで約3000人を数え、岡田だけでなく近隣集落からも客が集まった。昭和20年代からは映画を上映するようになり、大江美智子舟木一夫を招いたこともあった。建物は1995年に解体された。

看板「芝居小屋 喜楽座跡」の内容を要約

 

1960年の愛知県に存在した321館の映画館のうち、2018年までに317館が姿を消した。なくなってしまった映画館のうち、図書館でさっと調べて場所が特定できる映画館はそれほど多くないし、 ウェブ検索して場所が特定できる映画館は一握りなのに、喜楽座の場合は現地に説明看板が立っている。こんな映画館がいくつあるだろう。図書館の再訪も兼ねて、気候のよい時期にまた訪れたい。

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(写真)喜楽座跡。説明看板には喜楽座の写真も掲示。

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(左)展示・体験施設「木綿蔵・ちた」。国の登録有形文化財。(右)知多岡田簡易郵便局。国の登録有形文化財。「現役の郵便局としては日本でもっとも古い登録有形文化財」だそう。

 

 

その年のスペインを代表する映画作品

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 過去10年分の、その年のスペインを代表する映画作品です。左側はゴヤ賞作品賞受賞作。右側はアカデミー外国語映画賞スペイン代表作品。「心温まるヒューマンドラマ」か「ドロドロしたスリラー」しかない印象ですが、それはさておき。これら17作品が愛知県で公開されたかどうかざっくり調べてみたところ、どうやら『ブランカニエベス』と『しあわせな人生の選択』と『ジュリエッタ』の3作品しか公開されていません。

 

2015年には『マーシュランド』を観にわざわざCinema KOBEまで行ったことを思い出します。1週間限りの上映かつすべてレイトショーというだったので、エンドロールもそこそこに映画館を飛び出して新開地駅まで走り、阪急河原町駅に向かう最終列車になんとか間に合った、という記憶があります。新開地駅の反対側には風俗店街があり、そこには成人映画館の福原国際東映が健在のようです。Cinema KOBEはよそで見逃した佳作・良作を数か月遅れで上映してくれる素晴らしい映画館ですが、2スクリーン中1スクリーンは成人映画を上映しているので、女性が入りやすい映画館ではありません。

 

ラテンビート映画祭で公開された作品については基本的にDVDを製作してくれるので、私が映画館またはDVDで観たことのある作品は17作品中9作品となりますが、バスク語作品である『フラワーズ』は結局DVD化されていません。新宿バルト9まで行く予定だったはずが、予定が変わって行けなかったことを思い出します。

 

2018年2月3日には今年度のゴヤ賞受賞式が行われます。今年の受賞作は公開してくれるかな。ゴヤ賞授賞式を主宰しているのはスペイン映画芸術科学アカデミー(AACCE)ですが、授賞式を1か月後に控えた1月3日には会長のイボンヌ・ブレイクが脳卒中で緊急入院し、1月10日には集中治療室を出たというものの、会長辞任が発表されたようです。

イボンヌ・ブレイクはイギリス・マンチェスター出身の衣裳デザイナー。これを機にWikipediaに記事を作成しました。

イボンヌ・ブレイク - Wikipedia

 

南知多町民会館図書室を訪れる

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(写真)名鉄内海駅の改札前にある喫茶店

 

愛知県で図書館未設置の自治体は6。尾張地方の大治町豊山町、知多の南知多町、奥三河設楽町東栄町豊根村。2017年晩秋に南知多町の内海地区にある南知多町民会館図書室を訪れた。

 

知多半島名古屋市に近く、名鉄によって観光地開発が行われている。三河湾日間賀島篠島には河和港や師崎港から高速船が出ているし、伊勢湾側には水族館の南知多ビーチランドやいくつかの海水浴場がある。知多半島の先端にある南知多町美浜町は性格がよく似ており、平成の大合併時には合併協議会が設置されたが、「南セントレア市」という新市名への反発感情から合併そのものが流れた残念な経緯がある。

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(地図)南知多町の位置。OpenStreetMapに加筆。作者 : OpenStreetMap contributor。

 

名鉄内海駅のねこたち

冬場にはフグ(夏場はタコ)で名古屋からの観光客を釣っているとはいえ、寒い時期の名鉄河和線の乗客は少ない。日本福祉大学がある知多奥田駅で若者がどっと降り、終点の内海駅までの数区間は空気を運ぶ。内海市街地からやや距離がある内海駅には冷たい風が吹きつけてくるが、異様に多いねこの存在で空気が和らいでいた。

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(写真)店番するねこ

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 (写真)店番するねこ

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(写真)おしりを隠しきれてないねこ

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(写真)散歩するねこ

 

内海駅から東にすぐの場所には哲学者の梅原猛が幼少期に暮らした「梅原邸」があった。梅原は仙台市に生まれ、伯父の梅原家に養子に入ったらしい。内海駅から南に1kmほど歩くと伊勢湾に面した千鳥ヶ浜海水浴場に出る。白い砂浜に青い空、ただし12月なので誰も歩いていない。

内海市街地の東側には内海川が流れている。江戸時代後期の内海地区は内海船による廻船業で繁栄し、内海川の周辺には廻船主や水主や船大工が多数住んでいたらしい。明治初期の邸宅が残る「尾州廻船内海船船主 内田家 - Wikipedia」は2017年7月に国の重要文化財に指定された。

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(写真)内海地区の千鳥ヶ浜海水浴場。

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(左)梅原邸。(右)「尾張廻船内海船船主 内田家」。

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(写真)かつて廻船業で栄えた内海川周辺。

 

南知多町民会館図書室

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(左)廃墟のような南知多町郷土資料館。(右)南知多町民会館図書室。

 

内海市街地の西端にある南知多町民会館(組織/敷地の名称であって建物の名称ではない)には、南知多町郷土資料館、南知多町民会館図書室、南知多町防災センター、グラウンドの4施設がある。1974年に内陸部に移転するまではこの場所に愛知県立内海高校があったらしく、南知多町郷土資料館は内海高校の校舎を転用している。とても開館しているようには見えなかったけれど、申し出れば建物の鍵を開けてくれるらしい。本当かな。この建物は晴れていても怪しい雰囲気を漂わせている。

図書室についてウェブ検索して得られる情報は少ない。訪れるまでは南知多町民会館という複合施設に図書室が設置されているのかと思っていたが、実際は平屋建ての単独施設だった。南知多町でISILコードが与えられている施設はここのみ。各地区の公共施設に図書コーナーが設置されているということだったが、南知多町公式サイトを閲覧しても、その存在はわからない。

 

この図書室にいた2時間ほどの間に他の利用者は来なかった。南知多町の地図を見るとわかるように、内海地区は南知多町にあるひとつの地区に過ぎない。旧内海町、旧豊浜町、旧師崎町、旧篠島村、旧日間賀島村の生活圏は分かれていると思われ、町域の西端に位置する内海地区まで図書室を利用しに来る住民はほとんどいないのではないかと思った。職員に聞いてみたところ、隣接する美浜町美浜町図書館 - Wikipediaには南知多町からかなりの住民が流れているらしく、さらに北側の武豊町にある武豊町立図書館 - Wikipediaまで足を運ぶ住民もいるらしい。

名古屋市に近い知多半島には人口が現在も増え続けている自治体が多い。ただし、隣接する美浜町は2000年代になって人口が減り始めた。名古屋市からもっとも離れた南知多町は1970年から一貫して減少している。美浜町のように図書館を建設する計画もなければ、新たな公共施設を建設することすら難しいということで、「図書館未設置」の状態は今後も続くのだろう。

 

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(写真)閲覧席と書架の様子。

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(写真)紙芝居・絵本・児童書。

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(左)新着図書。(右)愛知県図書館貸出文庫。

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(左)地域資料。 (右)林文庫。町民の林さんによる寄贈本。寄贈は現在進行形。

 

 

梅原文庫

この図書室の目玉はなんといっても「梅原文庫」。哲学者の梅原猛から寄贈された図書がまとめられている。梅原は仙台市に生まれ、南知多町の伯父の家に養子に入った。京都市に住む梅原のもとには、全国の著作家からその作家の著書が送られてくるらしく、すぐに何百冊とたまってしまう。そこで梅原は、1989年(平成元年)から年に1回ずつ、それらの本を南知多町に寄贈している。南知多町はそれらの本を「梅原文庫」として別置している。

南知多町が購入した新着図書」の裏側の書架が「梅原文庫の新着図書」。聞いた限りではどちらも1年分を新着図書の書架に置いているそうで、明らかに後者のほうが量が多い。梅原は哲学者・思想家であるだけに、9類の、特に随筆や詩集が多い印象。

梅原の著書をまとめた書架もあり、0類から9類まで分けて置かれている。ないのは5類(技術)と8類(言語)のみ。1類(哲学)と9類(文学)が多いのはいうまでもないが、0類(総記)が19冊、2類(歴史)が32冊、3類(社会科学)が15冊、4類(自然科学)が1冊、6類(産業)が3冊、7類(芸術)が14冊と、どの分野にも著書があるのには驚く。

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 (写真)梅原文庫。

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(写真)梅原文庫の新着図書。

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(写真)梅原猛の著書。