振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

Wikipedia Town in 飯田に参加する(1)

「Wikipedia Town in 飯田」開催のお知らせ | 飯田市立図書館

2017年7月8日(土)、長野県飯田市飯田市立中央図書館で開催されたWikipedia Town in 飯田」に参加した。

 

飯田市を訪れる

 愛知県の尾張地方と長野県の伊那地方は中央道で結ばれている。愛知県の東三河地方と伊那地方はJR飯田線で結ばれている。一方で愛知県の西三河地方と伊那地方の間には奥三河高原と呼ばれる未知の土地が広がっており、西三河地方に住む私は伊那谷に対して距離を感じていた。

2016年3月にはWikipedia TOWN × 高遠ぶらりに参加したが、イベント開催日の前後には松本に泊まった。2017年1月にも第10回 Wikipedia Town × 高遠ぶらりに参加する - 振り返ればロバがいるに参加。当日朝に名古屋駅を出る高速バスではイベント開始に間に合わないため、この日が初対面の宮澤優子さんに飯田から高遠まで運んでもらった。やはり高遠は遠いと思ったものの、飯田までの高速バスは毎時1本あり、わずか2時間でたどり着けることがわかった。

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 (写真)飯田駅飯田駅から電車に乗ったことはあるが降りたことはない。

 

飯田市を歩く

名古屋=飯田便の第1便は7時ちょうどに名鉄バスセンターを出て、8時54分にJR飯田駅に着く。終点の飯田商工会館まで乗りとおす中村さんを横目に飯田駅でバスを降り、ぶらぶらと歩いて図書館に向かった。

お目当ては飯田センゲキシネマズ - Wikipedia飯田トキワ劇場 - Wikipedia。いずれも映画黄金期から60年以上営業を続けている映画館だ。センゲキシネマズがある中央通りには商業ビルが隙間なく並んでおり、映画館周辺には飲食店が密集している。街の反対側にあるトキワ劇場の周辺はやや活気がないように感じる。八十二銀行飯田支店や橋南公民館の存在から、銀座や知久町と呼ばれるこの地区がかつて賑わっていたことはわかるのだが。ただし中央通り沿いも、よく晴れた土曜日の午前9時台にしては車も歩行者も少なかった。

飯田といえばりんご並木と人形劇も欠かせない。飯田市川本喜八郎人形美術館周辺は近年に再開発が行われたらしく、小ぎれいな道路、小ぎれいなマンション、小ぎれいな商業施設、小ぎれいな横丁があった。今回のイベントで編集対象となる裏界線(りかいせん)もチェックしておく。飯田市公式サイトに全体のマップと各地の写真が掲載されているこの路地群、観光客向けに小ぎれいに整備されているかと思いきや、観光客などが歩いていると地元の方に怪訝な顔をされそうな生活道路だった。

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(図)イベント前に歩いたコース。地図はOpenStreetMapより。

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 (左)飯田市川本喜八郎人形美術館。(中央・右)りんご並木。

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 (写真)三者三様の裏界線。防火帯や避難路の役割を持つ路地。

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 (左)中央通りと飯田センゲキシネマズ。(右)飯田トキワ劇場。3スクリーンあるとは思えない間口の狭さ。

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 (写真)飯田トキワ劇場近くから川向うの鼎地区を見下ろす。これだけ飯田市中心市街地から近いのに、飯田市と鼎町の合併は1984年まで遅れた。

 

飯田市立中央図書館

今回は図書館内をゆっくり過ごす暇がなく、またコーナーごとに写真を撮る暇もなかった。雰囲気をつかむための写真だけ撮った。西側と東側それぞれから1階部分を見下して写真を取れる場所がある。東側の中2階は伊那谷河岸段丘をイメージしているのだろうか。

郷土資料室は圧巻の蔵書数。空襲を受けていない城下町という点では私が住んでいる某市と飯田市はよく似ているのに、こうもレベル差があるとは。最下段が斜めになっている書架は久々に見た。バリアフリー面でとやかく言われそうなレイアウトではあるけれど、本がぎっしり詰まった迷路のような空間はとても印象に残った。

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 Wikipedia Town in 飯田

今回のイベントのスケジュールは以下の通り。

10:00-10:15 館長挨拶・講師紹介・参加者全員自己紹介

10:15-11:00 ウィキペディアタウンの説明

11:00-12:30 「飯田おさんぽ」

12:30-13:15 昼食

13:15-13:40 図書館サイト説明・編集の注意事項説明

13:40-15:25 編集作業

15:25-16:00 成果発表・まとめ

17:00-19:00 懇親会

 

Wikipedia TOWN × 高遠ぶらり風に参加者全員が自己紹介。まちあるきで他の参加者に話しかけやすくなるかも。まちあるき時間は標準的なウィキペディアタウンの90分。この日は特に暑く、これ以上長いとつらかった。昼食は弁当を注文した方が多数。図書館の近くには昼食を取れる店があまりなく、主催者はできる限り弁当に誘導していたみたい。午後のはじまりは図書館の公式サイトの説明。図書館のPRを入れるのは今後につながってよいと思った。編集時間自体は105分。ウィキペディアタウンの平均よりやや短めかも。他のウィキペディアタウンよりやや早く、16時に終了した。1時間後の17時からは焼肉店「徳山」で懇親会。

 

飯田おさんぽ

参加者名簿によると今回の参加者数は24人で、これに講師などが加わった約30人が橋北コースと橋南コースに分かれる。ガイド役は飯田市歴史研究所や飯田市美術博物館の方が務めてくださった。

今回は飯田城城下町の痕跡をたどるまちあるき。1/2500都市計画基本図をベースに、かつて存在した堀・出丸・門の位置が書かれた地図が配布される。これによると図書館は本丸と堀の中間地点にある。裏界線を通って堀跡をめざし、Uターンして反対側の本丸跡まで歩いてから図書館に戻った。

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(図)橋南コースはだいたいこんなルート。図はOpenStreetMapより。

 

 

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(写真)図書館の脇にある飯田城桜丸御門。

 

桜丸御門(赤門)から西側に伸びている裏界線は、今回のルート上でもっとも華やかな裏界線だった。脇にはアジサイが咲き、鉢植えが置かれていた。驚いたのは駐車場の中に「歩行者通路」として裏界線が残されていた場所。裏界線とは市道扱いなのか私道扱いなのかということは聞き忘れた。

飯田城の外堀は全国的にみて早く埋められたという。遺構など残っていないと思いきや、銀座4丁目の柴田薬品横の地下駐車場は南堀の形をそのまま残しているらしい。追手町小学校の南西にも欅堀の形を残す坂と橋があった。飯田城におけるそのポイントの役割を想像し、裏界線や堀などの地形をたどるまちあるきは、寺社などのポイント数か所を訪れるまちあるきよりもずっと楽しい(※個人差があります)。図中に歩くルートも書き込まれているとよいのではないかと思った。

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(写真)裏界線を歩く。

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ブラタモリっぽい要素3連発。(左)歩行者用通路として残る裏界線。(中)外堀の形を伝える地下駐車場。(右)欅堀の形が残る坂。

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 (写真)現役で使用中の飯田市立追手町小学校 - Wikipedia。校舎と講堂は登録有形文化財。校舎は昭和初期(1929年)竣工のRC造で黒田好造設計。

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(左)飯田大火の痕跡を示すなまこ壁を撮影中の参加者。(右)柳田國男館の内部を撮影中の参加者。

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(写真)長姫神社。

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 (写真)長姫のエドヒガン。飯田市でもっとも大きな桜。

 

 

(2)につづきます。

ayc.hatenablog.com

「高梁市立図書館」の記事を書く

ayc.hatenablog.com

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 高梁市の図書館について調べる

岡山県瀬戸内市瀬戸内市立図書館 - Wikipedia(もみわ広場)を訪れる前日、2017年2月24日に高梁市の図書館を訪れた。高梁市図書館が開館したのは2月4日。4館目のTSUTAYA図書館であり、その動向を伝える記事は全国紙にも掲載されている。

高梁市街地は中山間地域吉備高原にある盆地に広がっている。人口は約3万人であり、ピーク時と比べると半分以下となっている。駅前のアーケード商店街には人の気配がなく、昼ごはんを食べる店は見つからず、駅に直結した高梁市図書館だけが賑わっている印象だった。CCCがなぜこの町に目を付けたのか気になった。
新館が開館する前の高梁市の図書館は1人当たり貸出冊数で岡山県最下位を争っていた。高梁市の近くには大都市がなく、市街地は人家が密集する盆地にあり、市内には大学がある。潜在力は低くないように思える。さらに言えば備中松山城の城下町であり、山田方谷の出身地である。歴史と文化がある町には古くから図書館もあったのではないかと思った。
一般論として、図書館の新館開館後にウェブ検索して旧館の情報を得るのは難しい。高梁市の図書館の場合も同様であり、ウェブ検索ではほとんど何も得ることはできない。高梁市の場合はTSUTAYA図書館のインパクトの大きさも理由ではあるが、旧館が情報発信を怠っていたことも理由ではないかと思った。


2月24日に高梁市図書館を訪れた際には15の文献を閲覧してコピーを取った。これらの文献をまとめた上で岡山県立図書館にメールレファレンスを行い、その結果から成羽図書館の記述などを補完した。6月上旬にウィキペディアに作成したのが「高梁市立図書館」である。

やはりこの町には古くから優れた図書館があった。高梁中学校有終図書館は「岡山県下で2番目に設置された図書館」だという。「岡山県内の市立図書館としては岡山市立図書館に次いで蔵書数が多かった」時期もあり、1959年には「図書館の敷地と施設が岡山の女子教育発祥の地として岡山県の史跡に指定され」ている。


Wikipediaの記事の名前は「高梁市図書館」ではなく「
高梁市立図書館 - Wikipedia」だ。中身の約2/3は「歴史」についての記述であり、新館の記述はわずか1/6程度。かなり下までスクロールしないと新館の情報は出てこない。TSUTAYA図書館をキーワードにこの記事にたどり着く人にとっては期待した情報が得られない記事かもしれないが、歴史という視点で図書館を見てみるのは意外と面白い。

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 (写真)高梁市図書館が入っている建物。JR備中高梁駅直結。1階はバスセンター。

 

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 (写真)建物2階のスターバックスと観光案内所。奥は蔦屋書店と図書館部分だが境目は曖昧。

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 (写真)図書館部分で唯一撮影が許される4階の屋外展望テラス。児童書フロアが見えている。

 

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(写真)親切にも中身が取り出しやすいブックポスト。

 

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 (写真)高梁市郷土資料館と2016年閉館の高梁市立高梁中央図書館。明治時代の建築で文化財指定されている郷土資料館が隣にあることを図書館サービスに活かしていただろうか。

 

 

豊田市中央図書館と交流館図書室を訪れる

・某所の文章に小加筆してブログ記事にする実験。

2017年7月1日から7月4日まで3日間、Wikipediaのメインページに「豊田市中央図書館 - Wikipedia」が掲載された。この5月と6月に豊田市中央図書館と5つの交流館図書室を訪れてから書いた記事です。

 

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(上)豊田市中央図書館が入っている参合館。名鉄豊田市駅ペデストリアンデッキで直結。 (下左)図書館入口。(下右)イタリアの彫刻家チェッコ・ボナノッテの作品『文化の種 ミューズ達』。かなりの金額で購入したらしい。

 

1998年から「豊田市中央図書館」が入る参合館の3階から7階に図書館がある。8・9階が能楽堂。10階から13階がコンサートホール。現在は参合館がある駅前通りの再開発が進行中で、11月には豊田市中心市街地初のシネコンが開館する。

豊田市の「図書館」は1館だが、その他に31館のネットワーク館(コミュニティセンター図書室/交流館図書室)、1館の分室(こども図書室)がある。豊田市中央図書館の蔵書115万冊に目を奪われるけど、31館あるネットワーク館で計60万冊を所蔵している。貸出数に至っては中央館160万冊、ネットワーク館計180万冊と逆転する。

激動の2016年を経て、2017年4月から中央館に指定管理者制度が導入された。開館時間は1時間延びた。職員数は100人から80人に減ったが、司書数は2人から44人に増えた。2016年度までの司書は奥にこもりきりだったが、今年度は司書のほうからトランシーバ片手に声をかけてくる。

2016年から2017年に何度か中央館を訪れているが、新聞データベースは「予算不足で契約を取りやめ」、目玉のひとつである2,000自治体分の自治体史は書庫にしまい込み、館内の写真は職員同伴で許可されるもののSNSへのアップロード不可。今や図書購入費は一宮市より少ない。いろいろ悩ましい点はあるものの、愛知県図書館にない本があったりする圧倒的な蔵書の多さは(ごく稀に)頼りになる。

豊田市こども図書室」と「豊田加茂広域市町村圏移動図書館」の存在はユニーク。31室のネットワーク館とは別にこども図書室が1館だけ分館扱いされている不自然さの理由は、新聞記事を読んで納得した。

 

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豊田市中央図書館と、豊田市の交流館図書室の写真を掲載した。上から順に若林交流館、崇化館交流館、梅坪台交流館、保見交流館、上郷交流館の5図書室。いずれもAsturio Cantabrioが撮影。この5館のほかには妹島和世建築設計事務所が設計を手掛けた逢妻交流館|豊田市生涯学習センター交流館のように建築面で評価の高い交流館もある。

 

若林交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市若林東町沖田124

アクセス : 名鉄三河線若林駅から徒歩2分

若林交流館は1999年開館で、建築年も床面積も蔵書数も交流館の中では平均的といえる。麦畑が広がるのどかな地域にある。キッズスペース、児童書の書架、一般書の書架が段々になっている。入口から入って正面にあり、受付にも近い。図書室と他の部分を遮る扉などはなく開放感がある。図書室部分の上部は吹き抜けとなっている。南西側に大きな窓があって明るい。2万冊弱の蔵書数なのに地域資料も充実している。『豊田市史』はすべての交流館図書室に置いてあるのかもしれない。

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崇化館交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市昭和町2-46

アクセス : 名鉄豊田市駅から徒歩8分

最寄駅が豊田市中央図書館と同じ豊田市駅となる、もっとも豊田市の中心市街地に近い交流館。マンションに見える裏側と、なんとも言えないデザインの表側の壁面のインパクトが強い。31館中3番目に古い1985年竣工だが古さは感じない。入口を入ってすぐ、1階の中央部が図書室になっている。

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梅坪台交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市梅坪町1-15

アクセス : 愛知環状鉄道梅坪駅から徒歩2分

1983年開館。31館ある交流館の中では若園交流館に次いで2番目に古い。豊田市の交流館は毎年のようにどこかの館が更新されており、31館中14館は移転新築を経ている。1980年代の建物をそのまま使用している館は梅坪台交流館を含めてわずかしかない。梅坪台を含めて、どの交流館でも勉強する中高生がいた。図書室と他の部分を区切る扉などはなく、開放感がある。オレンジ色で区切られた下段は児童書、水色で区切られた上段は一般書。児童書・一般書が同じ書架にある珍しい配架方法。

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保見交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市保見町四反田121-1

アクセス : 愛知環状鉄道保見駅から徒歩3分

1982年に開館、1984年に移転、2007年に現行館に移転した保見交流館。一見するとかなり大きな施設に見えるが、中庭や吹き抜けなどの部分が多いので床面積は2,000m2に満たない。図書室部分はわずか92m2であり、狭さを感じるどんづまりの空間。ポルトガル語中心の外国語書籍コーナーがある。保見地区は南米出身者が多い保見団地を抱えている。

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上郷交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市上郷町5-1-1

アクセス : 愛知環状鉄道三河上郷駅から徒歩10分

1975年に開館し、1988年に現行館が竣工した上郷交流館。旧上郷町のメインの交流館であり、45,000冊という蔵書数、256m2という床面積は31館あるネットワーク館の中でも有数の規模。閉館日に訪れたら図書館入口にシャッターがしてあった。建物の他の部分と図書室を隔てるものがあるという点で、5館の中で唯一「(旧来のイメージの)図書室」らしさを感じた。

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オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1に参加する

opendatakyoto.connpass.com

2017年6月18日(日)、京都府宇治市で開催された「オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1」に参加しました。

 

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(写真)イベント会場の宇治市川東集会所。

 

 この日のスケジュール

10:00-10:30 イベント開始・主催者挨拶

10:30-11:00 WikipediaOpenStreetMap、Strolyの説明

11:00-12:00 お昼ご飯

12:00-14:00 まち歩き

14:00-16:00 Wikipedia & OpenStreetMapの編集作業

16:00-16:30 成果発表

16:30-17:00 閉会挨拶・記念撮影・アンケート記入

17:00 撤収完了(懇親会)

 

宇治市中央図書館を訪れる

9時開館の宇治市中央図書館に寄ってからイベント会場の川東集会所をめざした。図書館は宇治市文化センターと呼ばれる文化ゾーンにある。京阪宇治駅から徒歩25分-30分、くわえて丘の上にあるため自動車以外では行きづらい。約70mの高低差と最大18度の坂に驚きながら図書館にたどり着いた。

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 (図)黒線は図書館までの往復コース。赤線と青線はイベントでの街歩きコース。OpenStreetMapを元に作成。

 

宇治市中央図書館は1984年開館。1992年には東宇治図書館が、1997年には西宇治図書館が開館し、現在は3館体制となっている。開館当時から宇治市「中央」図書館だったということは、 東宇治図書館と西宇治図書館の設置も計画済だったんだろう。ただ人口19万人の都市としては、また広大な文化ゾーンにある施設にしては狭さを感じる。中央図書館の延床面積は1,786m2。西宇治図書館は596m2、東宇治図書館にいたっては325mしかない。1980年代の図書館計画ではこの狭さも仕方ない。

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この図書館の見どころは書籍の横積み。書架には書籍が隙間なく並べられている上に、一般書はもちろん、郷土資料だって、参考図書だって、宇治市史だって横に積まれている。特に一般開架室にあった宇治市史の平積みは斬新で、思わず手に取ってしまった。天井は高く、通路はゆったりしているし、中央部に低い書架が集められているので、書架の写真ほどの圧迫感はない。9時30分近くになって図書館を出て、10時のイベント開始には何とか間に合った。

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 (左)一般書。(中)郷土資料。お茶に関する資料。(右)宇治市史の平積み。

 

オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1

今回のイベントの会場は宇治市川東集会所。宇治市に約130か所ある「集会所」のひとつらしく、宇治市の観光スポットの起点となる京阪宇治駅から徒歩2分という好立地にある。ウィキペディアタウンは図書館でやるのが理想だとは思うけれど、ウィキペディアタウン丸亀城下町と今回とで公民館のありがたさを感じた。『宇治市史』のような厚い本から、『やさしい宇治の歴史』(役に立った)のような軽い本、パンフレットなどの薄い本まで、並べられていた文献は相変わらずバランスがよかった。

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 (写真)イベントのために是住さんが集めた文献。

 

今回のイベントは「ちはやぶる宇治の未来をつくる会」の森田さんと京都府立図書館の是住さんが大学院で行っている研究も兼ねている。「-未来をつくる会」は、「源氏物語」「平等院」「宇治茶」という3大コンテンツを基盤におきながらも、これら以外の「ちはやぶる価値」(地理的背景や歴史的背景)でまちづくりをしようという団体。ふたりの挨拶のあと、Miya.mさんによるWikipediaの説明、坂ノ下さんによるOpenStreetMapの説明、高橋徹さんによるStrolyの説明と続いた。

Miya.mさんのスライドは毎回少しずつ変化している。今回であれば「博多祇園山笠の写真は曳き手の肖像権と山笠の著作権の関係でWikimedia Commonsにはアップロードできない」という話があった。「アメリカ合衆国著作権法が絡んでくるCommonsにはアップロードできないがウィキペディア日本語版にはアップロードできる写真がある」という理屈は、いつまで経っても理解できない。

坂ノ下さんは「なぜ私たちが地図を作る必要があるのか」という説明を強調する。「様々な主体が地図を提供すること」の重要性。「街のささやかな変化を記録して将来の投資にする」。OpenStreetMapの説明を聞くことでWikipediaの立ち位置を再認識させられる。最後は丸亀でも聞いた高橋徹さんの説明。丸亀でStrolyの説明を聞いてから、「場所の記憶を地図に表す」自由研究を進めている。この話は後日。

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(写真)是住さんと森田さん。30人以上入って熱気がある部屋。

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(写真)Miya.mさんによるWikipediaの説明のスライド。

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 (写真)坂ノ下さんの熱い説明。

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 (写真)高橋徹さんによるStrolyの説明。

 

宇治のまちあるき

3人の説明のあとはお昼ごはん。おにぎりなどで済ませた参加者が多かった。12時からは約2時間のまちあるき。川東集会所を起点として、宇治橋のたもとにある通圓、橋寺放生院、宇治神社宇治上神社、大吉山、朝日山、興聖寺、恵心院と歩いて川東集会所に戻る。

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(図)今回のまちあるきコース。OpenStreetMapを元に作成。

 

まずは宇治橋の目前にある茶屋・通圓で、第24代当主通圓祐介さんに解説を聞く。通圓の創業は1160年。歴代当主はこの地で橋守として旅人に茶を提供してきたらしく、その時々の権力者からもひいきにされていたらしい。現在の建物は1672年に完成。今回作成したWikipedia記事「通圓」には昭和初期の写真を掲載したが、もちろんこの時から建物は変わっていない。

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 (左)昭和初期の通圓。(右)通圓の建物前で解説を聞く参加者。

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 (左)通圓前から見た宇治川。1996年以前は写真左側から奥に向かって架かっていた。(右)OpenStreetMapを元に作成。

 

通圓を後にして宇治神社方面に向かう。初夏の休日ということで観光客は多かったが、 「ちはやぶる宇治の未来をつくる会」ののぼりのおかげで誰もはぐれずに済んだ。このあたりでもっとも知名度のあるスポットは宇治神社宇治上神社であり、それぞれの境内を通ったものの、両社は今回のイベントの執筆対象ではない。イベント前にはすでにWikipedia記事がある程度充実していたので執筆候補から外したらしい。宇治神社の氏子は旧宇治地域、宇治上神社の氏子は槇島地域の住民だと聞いたが、宇治市の旧市街地にある縣神社と宇治神社/宇治上神社の関係はどうなっているんだろう。

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(左)こんな道でも車の往来は多くて興ざめ。(左)宇治川の川辺。

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 (左)川に近いほうは宇治神社。(右)山側にあるのは宇治上神社

 

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(写真)宇治神社拝殿。ウィキペディアタウンに参加するとイベント風景を撮ることに意識が働くので、Wikipediaに掲載するための写真を撮り忘れる。右のように人が入らないタイミングで撮るのは難しいし、きれいな写真を撮ることに集中するとガイドの解説を聞き漏らしたりする。

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 (写真)世界遺産古都京都の文化財」の構成遺産である宇治上神社平安時代後期の本殿は国宝。Wikipedia的には人が入らないように撮れ、という説明写真2枚。

 

標高20mほどの宇治市街地から、標高130mほどの大吉山と朝日山に登る。大吉山展望台からは、平等院のある宇治市街地、巨椋池干拓地、男山方面が見えた。宇治川巨椋池と宇治の町の関係を説明するのにこの展望台は都合のいい位置にある。琵琶湖南端部の瀬田から山間部を流れてきた宇治川は、宇治の街で平地に出る。宇治より下流には広大な巨椋池が広がっていた。宇治川を下ってきた木材が巨椋池を経由して、木津川を上って奈良まで運ばれていた時期もあったらしい。

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(写真)大吉山展望台。川向こうに平等院宇治市の旧市街地が見えた。

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(写真)大吉山と朝日山の中間にある四差路。奥が朝日山。

 

朝日山を下ると曹洞宗興聖寺。大吉山や朝日山から先のまちあるきはさすがにダレた。特に今回のまちあるきには寺社が5つも含まれていた。宇治神社宇治上神社の関連はともかく、橋寺放生院・興聖寺・恵心院の3寺も何かしらの関連があるのだろうけど、よくわからなかった。中近世の歴史は人物名など固有名詞の予備知識がないと解説が頭に入ってこない。もともとまちあるきは2時間の予定だったが、結果的には2時間45分かかった。

今回は宇治市周辺からの参加者が一定数いたし、歴史や寺社に造詣の深い参加者も多かったのだと思うが、ちょっと詰め込みすぎたのではないのかとも思った。

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 (写真)曹洞宗興聖寺。異国風? 黄檗宗風?の山門。

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(左)宇治十二景のひとつである琴坂。紅葉の名所。(右)宇治発電所から流れてくるたっぷりとした水量の水路。

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 (写真)あじさいの名所・恵心院。

 

ウィキペディアを編集する

当初の予定ではまちあるき2時間、編集作業2時間だったが、結果的にまちあるきが2時間45分程度かかったので、川東集会所での編集作業は1時間強に減った。ウィキペディアチームの4グループはそれぞれ「通圓」(新規作成)、「朝日山」(新規作成)、「興聖寺」(加筆)、「恵心院」(加筆)を担当し、事前に準備された文献で作業に取り掛かった。

私は4人で「通圓」を担当するグループに入った。今回の4記事の中ではいちばん「歴史」要素が薄い。まずは全員で15分程度文献を読み、Wikipediaに書けそうな部分を探して付箋に書き込む。付箋の内容を全員で共有して節構成などを決めた後、まずウィキペディア編集経験者の榎さんが記事の外枠を作る(通圓の初版)。その後、私は「歴代当主」の表を作成し、通圓公式サイトから昭和初期の建物の画像を探してきて追加(差分)。ウィキペディア初編集のMさんは通圓の「特色」と「沿革」を(差分)、同じくウィキペディア初編集のKさんは「登場する文芸作品」を加筆する(差分)役割分担を行った。編集時間は短かったが形にはなった。

通圓を説明する上でいちばんの特徴は、平安後期の1160年に創業している超長寿企業であるということ。 『雍州府志』(1686年)や『都名所図会』(1780年)にはもちろん掲載されており、これらは国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる(はず)。江戸時代より前の地誌や名所図会にも掲載されているはずで、その画像1枚だけで何行の文章よりも説得力のある記事になる。なお、現時点のWikipedia記事「通圓」にでは 『雍州府志』の画像も『都名所図会』の画像も掲載されていないので、どなたか通圓に興味のある方はデジタルコレクションを閲覧するなどして掲載してください。

 

ところで、宇治は「川霧が立ち冷涼で霜の少ない」ため茶の栽培に適しているらしい。今日の宇治茶の主産地は宇治市ではなく和束町南山城村・宇治田原町木津川市であるけれど、これらの自治体も中近世の宇治と同じ条件を備えているのだろうか。宇治川流域(宇治市・宇治田原町)と木津川流域(和束町笠置町)は30km近く離れているので気候などは大きく違いそうなものだけれど。

また、茶業統計を見ると玉露の多い宇治田原町碾茶の多い和束町、煎茶の多い南山城村かぶせ茶の多い木津川市と特徴が異なっているけれど、これは何を意味しているのだろう。そもそも玉露碾茶かぶせ茶の違いがよくわからない。通圓での祐介さんの説明はぼんやり聞いていたけれど、Wikipediaに書くために文献を調べるといろいろ疑問が出てくる。

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(写真)1863年刊行『宇治川両岸一覧』。このように通圓を主題として書かれた絵図が何枚もある。

 

 

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(上)机を4-5人で取り囲むウィキペディアチーム。(下)横一列に並ぶOSMチーム。

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 (写真)成果発表。

 

 さて、「オープンデータソン2017 in 宇治」は4回連続シリーズの第1回。1か月に1回のペースで9月まで行う。ぴちぴちの院生2人による大学院の研究の一環ということで、オープンデータ京都実践会のこれまでのイベントより計画と評価と改善に重みを置いているのだろう。4回目が終了してどんな研究結果が出るのか楽しみ。

 

7月08日(土) ウィキペディアタウンin豊中 とよ散歩

7月23日(日) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2

7月29日(土) 伊丹市(募集開始前)

8月26日(土) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2

9月30日(土) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2