振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

知多半島3市町の図書館

2016年11月30日に作成した近江八幡市立図書館 - Wikipedia、12月8日に作成した稲沢市図書館 - Wikipediaを良質な記事に選んでもらった。約2か月ぶりの図書館記事として武豊町立図書館 - Wikipediaおおぶ文化交流の杜図書館 - Wikipediaを作成した。

 

武豊町大府市はどちらも知多半島の東岸にあり、JR武豊線の起点と終点になっている。名古屋市郊外を走りながら武豊線は長らく非電化の単線だったが、2015年に電化された(単線は変わらない)。武豊駅から20kmを経て大府駅に到着した「電車」の一部は、その後東海道線を走って名古屋駅に直通する。

 

武豊町図書

(未訪問)

武豊町は人口4万人強の自治体。武豊町図書館はその外観にインパクトがある。アサリ池という池の上にギリシア建築のような柱を持つ建物が浮かんでいる。

・歴史節にある表は東浦町中央図書館から使いまわした。これではバイト数の水増しと言われても仕方がない。ただ、昭和初期の段階で町立図書館と私立図書館が存在したのは興味深い。海運と陸運の結節点として明治時代から発展していた土地ならではなのかも。

・私立の森田翁頌徳記念図書館は『愛知県下公私立図書館記念写真帖』(1928年刊行)に写真が掲載されている。記事にはまだ反映できていない。この時代の農村部で17,000円の建設費をかけた建物というのが驚き。この私立図書館が後にどうなったのかは定かでない。

・1970年代に建設された中央公民館はため池を埋め立てて建設されたらしい。1980年代に建設された図書館はため池を埋め立てずに建設された。時代の変化。両施設は隣接している。

・利用案内節にある地図は東浦町中央図書館から使いまわした。これではバイト数の水増しと言われても仕方がない。

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撮影者 : Opqr

 

おおぶ文化交流の杜図書

(2016年4月・2016年5月・2017年2月訪問)

・2014年開館。複合文化施設の中にある。

・2014年には大府市に新図書館が開館し、2016年にはみよし市に新図書館が開館した。2017年には安城市に新図書館が開館する。東浦町にも興味深い活動を行っている図書館がある。刈谷市は包囲されている。

・「PFI」「ワンフロア型としては愛知県最大の延床面積」「愛知県で初めて電子図書を導入」「自動閉架書庫や自動返却機を導入」「ICタグを導入」「貸出カードの作成制限を撤廃」と、もっと注目されてもいい図書館。図書館流通センターが指定管理者。

・ただし最寄り駅からの距離は2.5kmで徒歩30分、公共交通機関は不便なコミュニティバスのみ。建物は自転車だとつらい上り坂の上にある。そのため中高生は多くなく、車を持っている子ども連れの母親が多い。

・フロアの広さと比べてしまうせいか、地域資料は多くない印象。特に図書館の事業年報は最新版が2008年度版であり、複合施設開館後にも複合施設の事業年報は作成されていない。公式サイトは見づらい。

・天井が高くて書架は低い。ワンフロア型で通路はゆったり。窓は大きい。開放感があって居心地がいいです。

・12月20日から3月19日まで「戦前の本」に関する特集展示を行っている。特集展示では絵葉書の年代特定の仕方などを紹介していた。

・複合施設の利用者は自然に中央部のロビーに集まる。岡崎市立中央図書館のように各エリアが分断されている感じはしない。

・利用案内節にある地図は東浦町中央図書館や武豊町図書館から使いまわした。これではバイト数の水増しと言われても仕方がない。

 

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東浦町中央図書

2016年10月には東浦町中央図書館 - Wikipediaを作成している。カンタ家の檀那寺は東浦町緒川にある。どうやら16世紀後半に緒川から現住地に移ったらしい。

 

(2016年6月訪問)

知多半島東部には、北から順に大府市東浦町半田市武豊町がある。東浦町知多半島の一部であり、尾張地方の一部でもあるが、三河地方の刈谷市を核とする定住自立圏の中にある。

・ドーム型の外観も特徴的だが、樹木を模した柱や梁がある内部も特徴的。一般書フロアの床には落葉柄のカーペットが敷かれており、児童書フロアの床には木の実柄のカーペットが敷かれているらしい。訪れた時には気が付かなかった。

・2014年-2015年頃には図書館愛好者の団体「よむらびサポーターズ」が発足。図書館と共同でイベントを企画している。2016年にはまちライブラリー「ぐるぐる図書館」を開始。12月にぎふメディアコスモスで開催された講演会「次世代型図書館 岐阜市図書館の目指すカタチ」では、東浦町中央図書館の方とよむらびサポーターズの方にお会いした。

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Asturio Cantabrioの活動を振り返る

2014年

ウィキペディアの「Asturio Cantabrio」というアカウントは2014年4月に活動を開始しています。2014年は主にバスク地方に関する記事を作成し、2014年12月には「バスク地方 - Wikipedia」が、2015年1月には「バスク州 - Wikipedia」をWikipedia:良質な記事 - Wikipediaに選んでもらいました。「ゲルニカ爆撃 - Wikipedia」「ゲルニカ (絵画) - Wikipedia」「バスク・ナショナリズム - Wikipedia」も良質な記事に選んでもらっています。バスク地方の認知度向上、特に「バスク地方」と「バスク州」の2記事の良質な記事化を目的として活動を開始したアカウントであるため、最初の1年でひとまず目的を達成したことになります。2014年にメインページに掲載された回数は新着記事と強化記事を合わせて26回(2週間に1記事)。

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私の名刺に入っているこの地図は「バスク地方」です。

 

2015年

2015年には「カタルーニャ地方」(とスペイン全土)に手を広げました。日本語版スペイン分野の賑わいを演出するために、この年はメインページの掲載回数を増やすことと試みました。2015年にメインページに掲載された回数は新着記事と強化記事を合わせて100回、1週間に2記事のペースでメインページに掲載されました。特にスペインの自治体記事を重視し、サイドプロジェクトとしてワインの記事を強化。「スペインワイン - Wikipedia」を手始めとして、「カリフォルニアワイン - Wikipedia」や「オーストラリアワイン - Wikipedia」など各地域のワイン記事を作成しています。

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ロバはカタルーニャ地方の象徴的存在の動物。

 

2016年

さてこの間、2014年末からはオープンデータ京都実践会のイベントに何度か参加しています。ウィキペディアタウンは図書館の方の協力が不可欠なイベントだと考えています。今でこそ図書館の方が興味を持ってくれているとはいえ、単なるブームで終わってしまうことを危惧していました。

私は人前でしゃべったりファシリテートするのが得意な性格ではありませんが、ウィキペディアンとして何ができるだろうと考えた結果、図書館そのものの記事を書くことがイベントの援護射撃になるのではないかと考えました。そこで2016年は「スペイン」関連の記事の底上げを図りながらも、「図書館」という分野を開拓。「伊那市立図書館 - Wikipedia」や「田原市図書館 - Wikipedia」など、11記事を良質な記事に送り込みました。

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図書館記事を書く狙い

地方病 (日本住血吸虫症) - Wikipedia」や「日立鉱山 - Wikipedia」と比べると明確ですが、私が書く図書館記事の内容はひどくつまらないです。過去形を連発させる歴史部分は読むに堪えないかもしれません。それでも「伊那市図書館」が良質な記事に選ばれているのは、伊那市図書館の歴史や活動の興味深さに加えて、出典の明記など形式的な部分には手を抜いていないからだと思っています。

図書館員であれば「伊那市図書館」に書かれている内容を隅から隅まで理解できるはずです。ざっと読んだだけで文章のアラが見えてくるかもしれません。図書館の方がそこまで読んでくれたらこちらの思い通りです。節構成、画像や図表の使い方、出典の書き方など、この記事にはちょっとだけ出来の良いウィキペディアの記事を書くのに必要な要素を詰め込んであります。

 

2016年春から夏にかけては自分が参加したウィキペディアタウンの開催地の図書館を書きました。「伊那市図書館」に加えて、「瀬戸内市立図書館 - Wikipedia」や「田原市図書館」などです。夏から秋にかけては中部地方の各県に見本となりうる記事をばらまきました。「みんなの森 ぎふメディアコスモス - Wikipedia」「静岡市立御幸町図書館 - Wikipedia」「越前市立図書館 - Wikipedia」「金沢海みらい図書館 - Wikipedia」、「TOYAMAキラリ - Wikipedia」などです。

また同時に、愛知県内にウィキペディアタウンが広まってほしいという期待も込めて、大規模館の内容を充実させました。「一宮市立図書館 - Wikipedia」「岡崎市立中央図書館 - Wikipedia」「安城市図書館 - Wikipedia」など。2016年度を通じて図書館記事はウィキペディア日本語版内でちょっとしたブームとなり、月間記事賞や良質な記事選考に頻繁に登場するために疎ましく思う方もいるくらいです。

 

2016年の春ごろには、瀬戸内市伊那市でのイベント時に図書館記事を作成すると宣言してから書きました。夏から秋に安城市岐阜市図書館記事を作成すると、こちらから言わずとも記事を作成したことに気付いてくれる方が現れるようになりました。大きな変化です。

2016年夏には図書館の方で既存の図書館記事を充実させる方が現れました。秋には図書館の方で月間新記事賞/良質な記事レベルの記事を書く方が現れました。冬には図書館記事をテーマとするイベントを計画する方まで現れました。これらの方に「伊那市図書館」ほかの図書館記事の存在がちょっとでも影響していたらうれしい。

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安城市中央図書館。今年9月には新館で図書館総合展フォーラムを開催。

 

ウィキペディアタウンサミット 2017 京都

この3月5日には「ウィキペディアタウンサミット 2017 京都」が開催されますが、ちょっとした用事が入ってしまったため参加できません。私が参加したことのあるウィキペディアタウン系イベントは京都×3、Wikipedia ARTS×4、精華町、高遠×2、瀬戸内、博物館をひらく、ウィキペディア街道、豊橋/田原×3、東久留米、富山、掛川だけであり、これ以外の地域、特に大学の授業とウィキペディアを絡めた地域の発表を聞いてみたかったです。

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京都府図書館がいちばんきれいに見える季節は秋。

「オープンデータデイ2017in掛川」プレイベントに参加する

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2月4日(土)、掛川市が主催する「オープンデータデイ2017in掛川」(本番は3月5日)のプレイベントに参加しました。

 

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2月3日(金)には事前調査に参加させてもらいました。最初の7枚は事前調査の際に撮影し、あらかじめWikimedia Commonsにアップロードしておいたものです。1枚目は執筆会場の大日本報徳社大講堂。重要文化財

 

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左 : 正門。左の経済門と右の道徳門は同じ高さです。

中 : 大講堂大広間。執筆会場。桟敷がある。

右 : 大講堂大広間。正面には二宮金次郎像と二宮尊徳像(回村像)が置かれています。

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左 : 敷地内にある仰徳記念館。大講堂とは性格の違うイベントホール的な建物。東京から移築。

中 : 仰徳学寮。現在は大日本報徳社の事務室。冬や夏は大変そう。

右 : 淡山翁記念報徳図書館。私立(1927-1952)と掛川町立/市立(1952-1969)の図書館。

 

 

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イベント当日の2月4日も前日と同じように青空で風もありませんでした。8時に大日本報徳社大講堂に着くと、すでに掛川市の方々が設営を進めていました。これまでに参加したウィキペディアタウンと比べても準備は大掛かりです。今回は参加者にPCの持参を呼びかけておらず、掛川市がノートPCを準備しています。

 

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9時を過ぎると参加者が続々と集まってきました。島田商業高校の生徒11人も含めて参加者は50人を超えています。イベント開始は9時30分。国際大学グローバル・コミュニケーションセンターの庄司昌彦先生からオープンデータについての説明を受け、続いて掛川市役所の戸塚さん、オープン川崎の小俣さんから今回のイベントの内容を聞きます。戸塚さんのようにくだけた司会をしてくれると参加者は気が楽になる。

 

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午前中は施設見学。大日本報徳社の敷地内にある「淡山翁記念報徳図書館」や「仰徳記念館」を見学し、大日本報徳社から目と鼻の先にある掛川城を回ります。施設ごとに説明を聞くことはなく、また掛川城天守には上らなかったため、まちあるき要素は少なめでした。大講堂では大日本報徳社の社員の方から、掛川城では掛川市役所の方から解説を聞いています。

 

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 掛川城から大日本報徳社に戻ると、掛川市内でドローンスクールを運営されている長尾機設の方によるドローンの実演がありました。ほぼ真下にいる参加者を空撮したり、隣の掛川城を空撮したり。その後大講堂に戻ってお昼ごはんを食べました。希望者は天丼などの出前を取っています。

午後からはウィキペディアの執筆作業。約30人を5グループに分け、3グループは大日本報徳社に関する執筆を、2グループは掛川城に関する執筆を行います。

 

竹の丸を見学する

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私たちの班は掛川城の「竹の丸」を作成することになりました。午前中の施設見学時には訪れていないため、まずは竹の丸まで足を運んでみました。上が「竹の丸」の離れ。1階の左側と2階部分を増築していることがよくわかります。

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左 : 離れの1階。女中部屋の姿見(鏡)に障子が映っています。

中 : 離れの2階。バルコニーや(初期の)ステンドグラスがあります。

右 : 離れの1階。不思議な動きをする雨戸。

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左 : 離れの2階。一枚板ですが軽快に動く戸。

中 : 離れの2階。斜めに動く戸。

右 : ガイドさんから話を聞く高校生たち。

 

「竹の丸」は天正年間に造成された郭の名前であり、この場所には家老屋敷があったとされています。明治時代には商人の松本家がこの場所に屋敷を建て、この松本家の本宅も「竹の丸」と呼ばれました。昭和になって屋敷は掛川市に寄贈され、貸しスペースなどに使用されていたようですが、10年ほど前からは一般公開されています。

このように「竹の丸」という言葉には、掛川城の郭としての「竹の丸」、松本家の本宅としての「竹の丸」という2つの意味があるようですが、掛川市のウェブサイトはわかりやすいとはいえません。

大正末期に増築された離れに見どころが多く、ガイドさんにはこの屋敷のすごい部分をいくつも教えてもらいました。ひとりで見て回っただけでは見逃してしまう部分ばかり。情報を発信するために現物を見て説明を聞くのは重要です。

www.city.kakegawa.shizuoka.jp

 

 執筆作業・成果発表

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「竹の丸」から戻ってきたら14時30分でした。執筆作業終了は16時。急いで文献を探したのですが、事前に用意してくださった文献の中に「竹の丸」に関する言及は一切ありませんでした。これは苦しい。徒歩1分の掛川市図書館まで行き、レファレンスを行っていくつかの文献を紹介してもらいました。この数冊の文献と掛川市ウェブサイトなどを出典として新規作成します。

「竹の丸」はその定義自体が難しいのですが、建築物(近代和風建築)であると考えて無鄰菴 - Wikipediaの内容を参考にしました。自分の頭で考えないことには前に進まないイベント。編集に慣れているウィキペディアンでもやや難しい題材だったのに加えて、1時間半で文献探しと文章作成を行うのは厳しかったのですが、無事に「竹の丸」というページができあがりました。

ウィキペディアタウンの執筆作業は大講堂の大広間に机といすを設置して行います。小部屋では同時にアイデアソンやハッカソンを行いました。ウィキペディアタウン×アイデアソン×ハッカソンで約70人が同じ施設内でPCの作業をしてたことで、別の班では執筆中のデータが飛ぶという悲劇もあったようです。(その辺詳しい方は原因とか対策とかを共有してほしいです)

 

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16時には仰徳記念館に移動して成果発表。ウィキペディアタウンに参加した約30人は、高校生も含めて全員が前に出て何らかの発表を行いました。島田商業の高校生にとって今回のイベントは、授業の一部ではなく自由参加。これからもオープンデータの取組みや地域文化の発信に関わってくれる子がいればうれしいですね。こんご島田市ウィキペディアタウンを開催するのであれば、高校生も他の参加者に自分の知識を提供する側になることが期待されます。

 

成果物

掛川城 - Wikipedia(加筆)

大日本報徳社 - Wikipedia(加筆)

掛川市立図書館 - Wikipedia(加筆)

竹の丸 - Wikipedia(新規作成)

第10回 Wikipedia Town × 高遠ぶらりに参加する

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この1月28日、約11か月ぶりにWikipedia Town INA Vallery × 高遠ぶらりに参加しました。2016年3月5日にも参加しています。

高遠を訪れたのは前回が初めて。木曽谷と同程度だと勘違いしていた伊那谷の広大さ、伊那市駅から高遠駅までのバスの車窓から見える落差の大きな河岸段丘、地図上ではわからない西高遠と東高遠の隔たりなど、伊那/高遠の地形には興味が尽きませんでした。前回はイベント開始前(朝)に高遠城址公園をぶらりぶらりし、イベント終了後と翌日に伊那市図書館で郷土資料を確認。その時撮った写真やコピーした文献を基に、イベントから3か月が経った6月に「伊那市立図書館 - Wikipedia」を作成しました。約1年が経って高遠の記憶がかなり薄れてきたので、今回のイベントに合わせて事前学習として「信州高遠美術館 - Wikipedia」と「伊那旭座 - Wikipedia」を作成しています。

 

 

高遠を訪れる

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私は愛知県内に住んでいます。JR中央線の特急しなの&JR飯田線&路線バス、または名古屋=伊那便の高速バス&路線バスを使うと、高遠に着くのが11時を過ぎてしまう。これでは日帰りでのイベント参加はできません。そこで今回は 名古屋=飯田便の高速バスで飯田まで行き、飯田から高遠まで(約60km!)宮澤優子さんの車に乗せてもらいました。宮澤さんとは初対面です。伊那ICでは東京から高速バスで来た首都圏組6人を拾い、車にイベント参加者8人を満載して高遠町図書館に到着しました。

参加者は約26人。飯田市立図書館から4人、県立長野図書館から3人、それ以外にも図書館司書が子安さん、砂生さん、新堀さん、宮澤さん。下仁田の片山さん、駒ヶ根から来たこはらさん、長野県のこやまさん、小諸市の土屋さん、高遠高校の宮澤くんなどがいる。Code for GIFUの石井さんとは第1回ブラトヨハシでお会いしています。ウィキペディアンは海獺さん、さかおりさん、Syohei Araiさん、Nさん、Sさんで、甲府から来たさかおりさん以外は首都圏から参加。30-40代が中心ですが高校生もいて年齢層は幅広い。約10人、4割くらいは女性です。

 遠方からの参加者が多かったことで、開始時間は10時30分に変更されています。11時から12時30までまちぶらり。図書館に戻ってお弁当を食べ、13時45分から16時まで編集作業という流れです。

 

 

高遠ぶらりする

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この日の高遠は素晴らしい天気で、雲も風も雪もありませんでした。1週間前のブラタハラは風が強くて街歩きが足早になってしまったので、風がないのは幸運でした。高遠は市街地内も起伏が多いので、もし路肩に雪があったり路面の凍結があると、街歩きのコース変更が必須になってしまいます。まちぶらりの写真は他の参加者がたくさんFacebookに上げているので少しだけ。
前回参加時には、図書館から西高遠の市街地をぐるっと時計回りに歩きました。今回は西高遠の市街地を反時計回りに歩きます。図書館の裏手からやや坂を登り、用水路「井筋」に沿って西に向かい、中央アルプスが美しく見える場所を通ります(写真左上)。2月にだるま市が開催される鉾持神社を歩いた後、建福寺で高遠石工の石仏群ほかを見て(写真右上)、秋葉街道沿いの酒蔵仙醸に寄って図書館に戻りました(写真下2枚)。

 

 

Wikipediaを編集する

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お昼ごはんはざんざ亭の鹿ジビエ弁当。ただの昼食でも地域文化のPRをするあたりが流石です。午後はウィキペディアの編集時間。「高遠石工」(加筆)、「鉾持神社(だるま市)」(加筆)、「高遠高校」(加筆)、「高遠電灯」(新規作成)の4班に分かれて作業を行いました。海獺さん、さかおりさん、この日が誕生日かつパートナー募集中のナイスガイSyohei Araiさん、Nさん、Sさんと5人もウィキペディアンがいたので、私は視聴覚室内を徘徊して写真を撮ります。

 

「インターネット百科事典」を自称しているのがウィキペディアであり、その中身はまとめサイトと大差ないとも言えますが、まとめサイトとは違って法律は守ります。著作権侵害やプライバシー侵害などの法的問題がある場合は、コミュニティ内部で議論して「記事の削除」や「記述の除去」という対応をとることがあり、特に著作権侵害に対しては毎日盛んに議論が行われています。
くさかさん・さかおりさん・海獺さんのような管理者/管理者経験者であれば、法的問題のあるなしに自分なりの基準を持っているし、一般利用者でもぼんやりとした判断基準があります。この基準があるために、著作権侵害を回避しながら短時間で文章をまとめることができる不思議な技能が身についてきます。

ウィキペディアの編集に不慣れな方は少し違うようです。ブラタハラでも今回のWikipedia Town INA Valleryでも、文献の記述をまとめて文章を作成するために要する時間は参加者によってさまざまでした。たとえ著作権に日々接している図書館司書であっても、著作権侵害に気を付けながらウィキペディアの文章を書くのは容易ではないのだろうと思います。

 

 

作成された記事を読む

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高遠石工 - Wikipedia(加筆)

 以前の高遠ぶらりの参加者が作成した記事のようです。諸田さんなら誰のアカウントなのかわかるかな。今回の加筆では、石工がどういう集団だったのかわかるように修正され、守屋貞治以外の主要人物の名前が追加されています。複数の出典をうまく組み合わせてひとまとまりの文章にしているという印象です。建福寺からのリンクはあるので、建福寺へのリンクもほしいところ。

鉾持神社 - Wikipedia(加筆)

今回の加筆ではTemplate内に祭神と社格を追加し、「十四日市」という節を設けてだるま市を説明しています。文献を読んでも判然としない部分があって文章作成が難しかったとのこと。イベント後から翌日にかけて、何人もの方が神社の写真をアップロードしており、それらの写真を基に海獺さんが画像ギャラリーを作っています。「だるま」の記事には鉾持神社へのリンクが追加されました。

長野県高遠高等学校 - Wikipedia(加筆)

 校舎の写真が掲載されました。撮影時間が28日の14時10分ということは、さかおりさんは執筆作業中に高校まで撮りに行ったようです。以前から校章の画像が掲載されていましたが、校章は学校が著作者となる著作物ではないか(=ウィキペディアでは使用できないのではないか)という話もありました。文章では沿革節が加筆されています。執筆作業序盤にはイベントの参加者以外(円周率3パーセントさん)の編集があったようですが、ちょっとこれは・・・。

高遠電灯 - Wikipedia(新規作成)

 郷土資料コーナーになかなか文献がなく、高遠電灯の作成には苦戦しました。イベント中の執筆作業で使ったのは伊那谷電気の夜明け』中の4ページと『高遠町誌人物編』中の人物紹介計5ページ。「沿革」を記述する2人と「歴代社長」を記述する2人に分かれて作業しました。イベント翌日には宮澤さんが「沿革」と「電気事業の概要」を加筆。高遠町図書館にはない文献に加えてNDLデジタルコレクションも使っている。さすが司書。

 

イベント後には諸田さんと平賀さんの引率で2階の閉架と書庫(別棟)の見学。馬嶋文庫、星座を記した巻物、浅間山噴火の際の絵図、善光寺平の洪水の際の絵図などを閲覧させてもらいました。昔も地元の古老(今回なら諸田さんと平賀さん)が若い衆(イベントの参加者)に絵図を見せながら郷土の歴史を伝えていたのでしょう。

高遠はこじんまりとした町なので、何度か歩けば地域にとって重要な寺社や施設が何なのか見えてきます。図書館自体も魅力的で町歩きの拠点にふさわしい。

 

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イベント後には宮澤さんの車で伊那市駅近くに移動し、伊那谷名物のソースカツどんを食べる。おいしいが重い。次に伊那に来るときはローメンにしよう。高速バスで東京に帰る5人を見送り、閉店後のこちらのお店にお邪魔してコーヒーをいただいてから電車に乗りました。営業時間中に何かお土産を買っておけばよかった。

www.wildtree.info

 

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イベント翌日の日曜日には松本市街地と塩尻市街地をぶらぶらしてから帰りました。松本市中央図書館は南側の大きなガラス壁が美しいですがウィキペディアの記事(松本市図書館 - Wikipedia)は残念な内容。塩尻市立図書館 - Wikipediaが入るえんぱーくは図書館以外の部分に見ごたえがあります。まるで大学。この記事は2016年中にIMZANIROHさんが手を加えてくださいました。